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二人の隠れ家

作者: はやはや

 飴色に光る木材で組まれたログハウス。黒い煙突もあって、冬の寒い時期、室内で煖炉を燃やすと、煙突から灰色がかった煙がたなびく。


――Hyuga


 日本語で日向ひなた。ここは地元で人気のお店。予約は受け付けていないから、開店前には駐車場にお客さんの車がいっぱい停まる。ランチだけ営業している気軽なお店だ。


 ここは飲食店であるとともに、潤樹じゅんきと私の隠れ家のような存在でもある。店の二階部分が私達の住居スペースになっている。

 ここにいると木の暖かさのせいか、側に潤樹がいてくれるからか、手足を投げ出して安心できる感覚を覚える。誰にも攻撃されず、騙されず、自分達の好きなように時間を過ごせる場所。それがHyugaだった。


 五年程前、潤樹と私はそれぞれ暗闇の中にいたのだ。



 ◇


 潤樹は私より五つ年下。家は近所だった。私が六年生の時に、潤樹は一年生。朝の登校班で小さな潤樹の荷物を持ってあげたことがある。

 潤樹は昔から可愛らしい顔立ちをしていた。今でもそれは変わらない。そして物静か。私達の接点は小学生時代を一年一緒に過ごしただけだった。



 私は大学を卒業し、中堅の企業に勤めた。職種は事務職。給料がいいわけではなかったけれど、週に一回はお気に入りのカフェで一番高いコーヒーを奮発して飲めるくらいの生活ができていた。

 このまま何となく仕事を続けて、縁があれば結婚するのかな。でも、もしかしたらずっと一人かもなと思っていた時に、あの出会いがあったのだ。



 その人は中学時代の友達、サヤの会社にいるドライバーだった。年齢は私より四歳上。石野さんといった。サヤが仲介する形で連絡先を交換し、二ヶ月程経ってから実際に会った。


 正直、期待していなかった。これまでにも職場の人繋がりとか友達の彼氏繋がりとかで、似たようなシチュエーションを何度か経験したものの「ちょっと無理だな」と思うような人ばかりだったから。

 でも、石野さんは違った。一目見た時に、この人は大丈夫と思った。この人なら側にいても嫌悪感のようなささくれた気持ちは湧かないだろうと思った。


 初めて会った日は昼前に待ち合わせをして、ランチとウィンドウショッピングとお茶をして別れた。別れる時にもう少し一緒にいたかったなと思っている自分に驚いた。

 それ以降、毎日メールのやり取りをし、遊びに出かけた。メールも出かける誘いも石野さんからだった。そうしたことが続き、もしかして付き合えるのでは? と思った。そうして、それは現実になった。


 石野さんと付き合ってみて、私は初めて自分が惹かれた人と一緒にいるのだと思った。それくらい幸せだった。そんな期間が三ヶ月程続いた時だった。


「引っ越しして部屋を借りようと思うんだけど、一緒に住まない?」


 カフェでお茶をしていた時に、突然そう言われた。私は手に持っていた紙コップを強く握ってしまったらしく、蓋の飲み口から少しだけコーヒーがこぼれた。そんな私を見て石野さんは「動揺しすぎ」と笑った。


 でも、それが不幸の始まりだった。

 シフト勤務で比較的時間がある石野さんが、物件を探してくれることになった。「こんな物件、どう?」と写真を見せてくれたこともある。

 そして、ある日。とある室内の写真を見せながら「ここにしようと思うんだけど」と石野さんは言った。その時に、おかしいと気づくべきだったのだ。

「私も部屋を見に行ってみたい」と言うべきだったのだ。

 それなのに私は、一人で物事を進める石野さんを頼りがいのある人と思ってしまった。


「敷金、礼金と一ヶ月分の家賃を入居前に払う必要があるらしくて、それを割り勘して負担してもらえない? 十六万なんだけど」


 石野さんは優しく微笑みながら言った。私はそれを承諾した。振り込みは手違いがあったら困るからと言われ、その次に石野さんに会った時に現金を渡した。

 そして帰宅して以降、彼とは全く連絡が取れなくなった。



 ◇


 騙された。

 どん底にいる時、サヤから電話がかかってきた。石野さんが急に仕事を辞めたと言う。


麻弥まや、何か知らない?」


 と訊かれた。何か知りたいのは、こっちだ! と怒りに震えながら「知らない」と愛想なく返事した。サヤはその雰囲気が気になったらしく


「何かあった?」


 と訊いた。私は一連の流れを話し、最後に橋を焼いてしまうようなことをサヤに言った。


「ろくでもない奴、紹介しやがって! ふざけんな!」


 そう叫ぶと私は一方的に電話を切り、サヤの着信を拒否設定した。

 私は友達と恋人を一気に失った。それが原因で心に不調をきたしたのだった。会社に出勤できなくなり、有給を消化して退職し、実家に戻ってきたのだった。



 ◇


 麻弥さんの淹れてくれるコーヒーは美味しい。苦味が残らない。それを飲んでいる時が一番幸せだ。

 Hyugaを初めてもうすぐ二年。ちゃんと食事を摂れるようになったからか、僕の体重は体調を崩す前とほぼ同じくらいまで戻ってきた。


 僕は数年前、人生のどん底にいた。

 高校を卒業した後、デザインを学べる専門学校に進学した。卒業後はデザイン関係の仕事に就きたいと思っていた。僕が進学したのはデザイン界では有名な専門学校だった。

 だから入学が決まった時は嬉しかった。希望に満ち溢れていた。でも、そんな前途揚々な気持ちは、たちまち、ひしゃげた。


 同級生はみんな才能があるように見えた。僕が苦心する課題も、みんな難なくこなしていく。そして、どれも個性があった。

 陰口や嫌味を言われたことなんてないのに、次第にみんなが僕のことを嘲笑って、馬鹿にしているように思えてきた。


「アイツ馬鹿なんじゃない」

「才能ないんだから辞めればいいのに」


 なんて声が頭の中に響くようになり、学校に行けなくなった。どうしようもない衝動に駆られ、過食嘔吐を繰り返すようになった。

 学校から実家に連絡が行き、僕が休んでいることが両親にバレた。そして、退学手続きをし実家に戻ったのだった。実家に戻るとひきこもりのような生活になった。両親にバレないように過食嘔吐は続いていたので、近所のコンビニにだけは出かけられた。


 何も希望が見えない、したいこともない。

 自室の窓から太陽の光が入ってきても、僕がいる世界は真っ暗だった。

 そんな時に偶然、会ったのが麻弥さんだった。


 麻弥さんに会ったのは、地元のクリーン活動の手伝いに駆り出された時だった。お年寄りが多い地域なので、力を貸せと母親から尻を叩かれるようにして、渋々、参加したのだった。

 男手として期待されていたのかもしれないけれど、その頃の僕はガリガリでフラフラだった。

 それでも何とか作業をやり遂げた。そして、集めたゴミ袋を近くにある処理施設まで軽トラで運ぶのを任されたのだった。

 とはいえ、僕一人では可哀想と思われたらしく、「若い者同士、力を合わせろ」と自治会長から勝手に指名されたのが、麻弥さんだった。その時、僕は麻弥さんを覚えていなくて、この近所に住む誰かの娘なのだろうと思った。


 切れ長の目になで肩。浴衣が似合いそうな、楚々とした雰囲気がありながらも、その瞳は濁っているように見えた。


 ぼーっと突っ立っている僕に、自治会長は軽トラのキーと缶コーヒーを二つ渡した。



 ◇


 荷台にゴミ袋を積み込み、僕が運転席に乗り込むと、麻弥さんは遠慮がちに助手席に乗ってきた。ゆっくり発進させる。

 しばらく車を走らせていると麻弥さんが言った。


「潤樹君だよね?」


 僕の名前を知っていて驚いた。一瞬、助手席に顔を向ける。


「私、かしわ麻弥。小学校の時、一年だけ登校班、かぶってたんだよ」


 名前を聞いて、僕の家の三軒隣に住む、柏さん家のお姉ちゃんだと思い出す。登校班がかぶっていたことは思い出せななかったけれど。

 それきり会話はなく、目的地に着いた。荷台から麻弥さんと協力してゴミ袋を下ろす。全て下ろし終えるとほっとした。

 再び車に乗り込んだ時に、自治会長から渡された缶コーヒーがドリンクホルダーに並んでいるのを見つけた。


「ちょっと休憩していかない?」


 麻弥さんが缶コーヒーに目を向けながら言った。


 駐車場の脇に広場があり、そこには小さな滑り台と鉄棒、ベンチが二つあった。そのベンチの一つに並んで腰かける。植え込みの影になっていて落ち着いた。

 僕達はそれぞれ缶コーヒーを開けた。一口含むと〝微糖〟と書いてある割には、まとわりつくような甘さが、口の中に広がった。


――飲み込みたくない!


 反射的に口からコーヒーが出そうになったけれど、すんでのところで堪えた。もし、今ここでコーヒーを吐き出したら、麻弥さんは困惑するだろうし、気味悪がるだろう。

 何とか飲み下すも、それが胃に到達すると同時に、苦いものと酸っぱいものが込み上げる。それを堪えるのは無理だった。慌てて植え込みの中に顔を突っ込み吐いた。


 一体、何をやっているんだろう。こんなことが、いつまで続くんだろう。


 麻弥さんの方に向き直るのが怖かった。だから、僕はしばらく植え込みの中に顔を突っ込んだままだった。


 不意に背中に何かが触れた。優しく僕の背中をさすってくれている。


「全部、出せた?」


 麻弥さんの声が聞こえた。

 口の中の苦いものを全て吐き出してから、植え込みから恐る恐る顔を出す。僕を見つめる麻弥さんの表情は泣いているようにも笑っているようにも見えた。


 ◇


「見苦しいところを見せてしまって……」


 再びベンチに座り、そう言うと麻弥さんは黙ったまま首を横に振った。


「多分、今、私達、どん底にいるよね」


 麻弥さんは悲しみを含んだ笑顔でそう言って、僕の右手中指にできた、吐きだこを指差した。慌てて手の甲を下に向けて隠す。


「私ね恋人に騙されてお金取られたの。被害金額は大したことなかったんだけど、それが原因で友達も無くしちゃった。って自分から友達を切ったんだけどね」


 ふぅと大きなため息をつくと麻弥さんは、缶コーヒーを喉を鳴らして飲んだ。つんとあげた顎のラインが綺麗だった。

 麻弥さんを見た時から僕と同じように、何かを抱えているのではないかと思っていたけれど、やっぱりそうだった。

 麻弥さんは僕のことを訊かなかった。僕は自然に口を開いていた。


「専門学校中退してから、過食嘔吐が始まって」


 そこで言葉は途切れた。それ以上、言えることがなかった。


「頑張って生きてきたんだねー。私達」


 綿雲が広がる空を見上げながら麻弥さんが言う。僕は目の奥がじんわり熱くなった。



 ◇


「本日のランチプレートです」


 木製のプレートには自家製トマトソースのかかった大豆ミートのハンバーグ、サラダ、マッシュポテト、十穀米、小さなカップに入ったコンソメスープが乗っている。食後にコーヒーがつく。


 メニューを考え調理するのは潤樹。コーヒー担当は私。



 実家がある自治会のクリーン活動で再会した日から、私達は共に過ごしてきた。そして、互いに傷ついた過去を持つからこそ、その辛い経験をいい方向に生かしていきたいと思うようになった。


 傷を舐め合うより、そちらの方が建設的だ。

 それがHyugaだった。


 潤樹は調理の専門学校へ。私はバリスタ養成の過程がある専門学校へ入学したのだった。二年間の課程を終え、今年Hyugaをオープンした。


 ランチプレートが人気を呼び、口コミやSNSで人気がじわじわ広がっていった。コーヒーも美味しいと書き込みがあり、嬉しくなった。

 店が軌道に乗ったところで、私達はHyugaの二階のスペースで一緒に暮らすようになった。元々、休憩室だったので、ミニキッチンとトイレはあり、シャワーブースだけ新たに設置して、生活を始めたのだった。


 私達は婚姻関係を結んでいない。二人で時間を重ねていくうちに、同士のような相棒のような、なくてはならない関係になった。

 これからも、ずっと一緒にいる。



 ◇


 最後のプレートを洗い終える。

 タオルで手を拭きながら、凝り固まった腰を伸ばすように前に体を倒す。

 Hyugaでの毎日は充実している。


「潤樹ー。ご飯用意できたよ」


 二階から麻弥さんの声が聞こえる。二階に上がるとテーブルの上にはトーストサンドが乗ったお皿があった。朝、昼、晩の食事は基本、麻弥さんが作ってくれる。


「いただきます」


 二人で向かい合って手を合わせて言う。一口トーストサンドを頬張ると、さくっと軽やかな音がした。中味はパラミドビーフとアボカド。粒マスタードがアクセントになっている。


「美味しい」


 と言うと麻弥さんは「それはよかった」と笑う。いつからか麻弥さんの瞳から濁りがなくなった。心から笑ってくれるようになった。

 僕がその笑顔を引き出せているのだとしたら、それは尊いことだ。

 僕の中にあった鬱屈もHyugaを始めてから、日に日に消えていった。僕は麻弥さんを愛しているのだと思う。

 恋愛感情というのではなく、家族のような愛情。


 麻弥さんが、これからもそばにいてくれるなら僕にできることは何でもする覚悟だ。


「あ、見て」


 麻弥さんの声がして顔を上げる。麻弥さんの目は、窓の外に植えられたオリーブの木に向いていた。そこには二羽の鳥ヤマガラが、並んで羽を休めていた。

読んでいただき、ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
心が洗われる素敵な物語を書いて下さりありがとうございました(#^.^#)
[良い点] 人生において衝突する壁や、自身では乗り越えることができない障害に直面する事って、何度も訪れると思いますが、それは今まで頑張ってきていないからではないんだよ、というのが麻弥さんの台詞を読んで…
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