上陸の気配
J10装備の爆撃隊32機は、先行するJ16部隊の被害状況を見ると、03式の迎撃を警戒して超低空飛行での接近を続けた。
彼等の半数はGPS誘導爆弾を装備し、残り半数は、レーザー誘導爆弾、画像誘導式ミサイルを装備している。
だが、実際には03式の中隊は即応弾を撃ち尽くしており、とりあえず警戒する必要が無くなっていた。
中国側が選択した低空侵入は、かえって増援で配備された81式や93式といった、比較的短射程の対空ミサイルにも迎撃の機会を与えることになった。
衛星誘導式爆弾装備のJ10大隊群は、宮古島手前10キロで上昇を開始。
急上昇中の高度3000、距離5キロで64発もの爆弾を投下した。だが上昇中の機体から切り離された爆弾は、誘導されることのないまま放物線を描いて宮古島を通り越し、大半が南の海上に着弾した。
退避に移った彼等に対して、81式短距離誘導弾が16発ほど発射されたが、旧式化した81式では射程がギリギリで退避中のJ10を追いきれなかった。それでも、なんとか2機を撃墜することには成功した。
超低空飛行で宮古島に接近を続けていたJ10の残り2個大隊16機だったが、彼等は超低空飛行にもかかわらず、難なく11式のレーダーに探知されてしまった。
陸上自衛隊の対空ミサイルの中でも、取得数の少ない11式短距離地対空誘導弾だったが、第六高射特科大隊から抽出されて宮古戦闘団に配属されている。
彼等はこれまで巡航ミサイルへの迎撃は見送り、J16のスタンドオフ兵器による爆撃に対しては射程圏外で、我慢を強いられてきたのだ。
正面から11式の射撃を受けたJ10部隊は、ドロップタンクを切り離すと、回避機動を取った。
だが、低空目標の迎撃能力の高い11式は次々とJ10を捉え、6機を撃墜していった。
急上昇に移った残り10機は、さらに93式近距離地対空誘導弾の迎撃を受けて、3機を失う。
復讐に燃える残り7機は、血眼になって対空ミサイルを探した。
だが彼等もまた、あてにしていた地上からのレーザー照射の支援を得ることは出来ない。
空中から、ようやくランチャーやレーダーを発見し、爆撃を加えたものの、彼等が上空から目視確認した目標には、多数のダミーが含まれていた。
それでも11式1基と03式01基に対して、それぞれランチャーを破壊することに成功。対空ミサイルを殆ど沈黙させたと判断した彼らは、自衛隊の車両を見つけるとさらに爆撃を加えた。
これにより隠蔽が間に合わず、露出していた96式装甲車5両、73式トラック、高機動車多数が破壊された。91式携帯地対空誘導弾を携帯した普通科隊員が反撃を行ったが、91式自体はJ10の激しい回避機動と、フレアの散布により命中しなかった。
しかし再び低空へ逃げたJ10の1機は、待ち構えていた87式自走高射機関砲の張った弾幕に飛び込んで撃墜された。
結局、宮古島の爆撃隊はJ16とJ10合計で14機を失ったが、犠牲に見合う戦果を挙げることが出来たかは、微妙なところだった。
対空ミサイルのランチャーを、いくらかは撃破した。だが、レーダー車両や、指揮管制車両の大半は撃ち漏らしている。それでは、まだ多数が生き残っているランチャーを沈黙させることにはならないのだ。
だが、攻撃に加わったパイロット達と、彼等の司令部は多大な戦果を挙げたことを確信している。
石垣、与那国でも戦況は似たような推移を見せた。だが、宮古島と異なり、それぞれ2個中隊の03式が迎撃を行い、与那国に至っては、宜蘭から台湾陸軍のパトリオットさえ加勢してきたのだ。
この結果、宮古島攻撃隊を上回る損害を両隊は出した。
石垣島攻撃隊は、J16とJ10を合計22機。
与那国ではJ16とJ10だけでなく、パトリオットに捕捉されたJ11にも損害が発生しており、合計で25機が失われた。
大損害だが、中国側は、自衛隊側の防空能力を高く評価していたから、初期においてはいかなる犠牲を払っても、爆撃を敢行する覚悟だった。
胡中将はウクライナで中途半端な爆撃しか行わず、戦局に殆ど寄与しないロシア空軍を見下していたから、彼等と同じ失敗をするつもりは無かったのだ。
石垣島では、03式の捜索レーダーを撃破する金星を挙げていたが、迎撃網を無力化するには程遠かった。
12式地対艦誘導弾に至っては、秘匿された掩体壕に命中弾が出ず、各島で全く損害を出していない。
一連の激しい爆撃は先島諸島と沖縄本島にのみ行われ、弾道弾攻撃による滑走路破壊は、与那国、石垣、宮古島に対してのみ行われなかった。
そして爆撃と同時に、上陸船団が上海を出航したことが衛星から確認されていた。
さらにその後、寧波を出撃した艦隊と合流している。
上陸船団の考えられる進路は、先島諸島。
日本本土に中国軍が上陸を目論んでいるのが、確実な情勢だった。
しかも、陸自守備隊の陣地に対して爆撃が行われたことからも、石垣、宮古、与那国の3島同時攻略の可能性が大きい。
上陸船団らしき艦隊は二手に分かれ、先鋒は22ノットの高速で航行している。
これは上海からわずか1日で、上陸作戦が可能になることを意味していた。
予想されていた事態ではあった。
だが、改めて敵の先島諸島への上陸という現実を突きつけられた日本側は戦慄する。
先島諸島には、まだ数万の民間人が逃げ遅れたままなのだ。




