neet meets 地雷女
嘉手納基地には出入りするためのゲートが複数存在する。
緊張が高まってから、その警備は厳重に強化され、日本側の機動隊も警護に動員されていた。
中国側の煽動もあり、ゲートにはネットでの親中派活動に留まらず、実際に行動を起こした者達が多数駆け付ける事態となっていた。
最も組織化され、過激な行動を取るSONや、昔ながらの過激派のような連中は、先島と沖縄本島の高価値目標に対するターゲッティングや破壊活動に投入されていた。
そのため、基地ゲートでの座り込みのような行動を行う連中は、それほど実害を伴う行動を行っていない。
彼等、「実際の行動を伴うネット親中派」は米軍車両の出入があれば、基地ゲート前で座り込みを行おうとして機動隊に排除された。
あるいはドローンを不意に飛ばそうとしては、機動隊のレーザー車や、米軍の妨害電波で破壊されていた。
それでも、その様子をネットに投稿すれば中国側が「いいね」と、称賛するコメントを大量に付けるものだから、彼等はSONの若者達同様に、承認欲求を満たし続けるためにその場に留まっている。
彼等は、いったん機動隊に追い払われるとネットカフェやレンタカー、周辺のコンビニといった場所で時間をつぶしては、再びゲリラ的に基地ゲートに現れる行為を繰り返していた。
彼等は基地のスピーカーが「攻撃が予想されるので、基地から離れなさい」と繰り返すようになっても、その警告を無視していた。
そして4月2日の早朝、基地ゲート前から「機動隊が居なくなった」という情報を得て、再び集まってきていたのだ。
機動隊は、宇宙での戦闘開始が確認されると、いよいよ攻撃が間近いとして基地内のシェルターに避難していた。
その状況は、彼等ネット親中派にとっては危険では無く、チャンスに映ったのだ。
(ちなみに彼等自身、何の「チャンス」かは分かっていない。せいぜい、上手く行かない彼等の人生を「中国様がリセットしてくれる」のを応援しに来たり、動画の投稿という形で「乗っかりに来た」というのが実態だったからだ)
その中に佐藤明という30代の無職男性が居た。
彼は、この手の連中の御多分に漏れず、コミュニケーション能力が低く、仕事も出来ない割にやたらとプライドは高く、おまけに他人や世の中への不満も過剰という人物だった。
おかげで仕事は長続きせず、30代を超えても、かつ、人手不足が言われている情勢下にあってさえ、再就職に苦労している有様だった。
彼の履歴書、面接での受け答えを見れば、まともな事業者であれば「雇ったところで長続きせず、余計なトラブルだけを起こすだろう」とあっさりと見抜かれるからだ。
(それでも深刻な人手不足を受けて、採用されることはあるものだから、彼は自分の問題点を長らく認識出来ずに来ている。)
さすがに現実に直面して、このままではマズイと思ってきては居る。しかし例えば、真紀子のように30歳を超えてから、正社員になるために介護職に就くような選択はしなかった。
知人にそう提案されたこともあった。だが、金が無いので、金と時間さえあれば誰でも取れるヘルパーの資格を取れない、というのが彼の答えだった。
実際にはまだ健在な両親が、息子が立ち直るためならと、資金を援助してやっただろう。
それでもその選択をしなかったのは、プライドが高いから「ジジイババアにこき使われる仕事なんて、まっぴら」だからだ。
佐藤は半年前に仕事を「トンで」以来、埼玉の実家に転がり込み、久方ぶりのニート生活を決め込んでいた。
仕事探しをするでもなく、だらだらとネットを眺める日々で、SNSで誰かを貶して憂さを晴らしているうちに親中派に染まっていたのだった。
それがなぜ金も無いくせに沖縄に居るのかと言えば、最近親中派界隈で「姫」と持ち上げられているアカウントの呼びかけに応じたからだ。
普段の仕事は、沖縄の大きな病院でナースをしているという、そのアカウントは「ハイパーなーす」と名乗り、アカウント名に中露の国旗を添えて、熱心な反日米台、親中露の活動をしていた。
さらに「ハイパーナース」は、日米の緊急展開が始まってから、嘉手納基地周辺での抗議と妨害活動に協力するよう呼びかけた。
佐藤にとっては美人看護士だという彼女に、実際会えるかもしれないチャンスに見えた。
それで、アイドルの握手会に行くような感覚で、なけなしの金をはたいて沖縄にやってきたのだ。
あわよくば彼女と面識を得て、看護士の彼女と交際できるかもしれない、とまで夢を見た。
他の連中の多くも似たようなムシの良い思惑を持って、本州から来ている。
だが、実際に会うことの出来た「ハイパーなーす」こと、松川唯は、佐藤達のような男連中ですらドン引きするほどの「地雷女」だった。
看護士というのは本当だったが、頻繁に東京に旅行してはホストクラブ通いしているらしく、せっかくの高給は使い果たして借金まであった。
SNSや動画サイトでの活動を始めたのは、ホストクラブ通いの金が給料では不足するから、小遣いを稼ぐため。
なんでホストに入れ込むようになったかというと、彼女に残された寿命は少ないので、好きに生きたいということだった。
彼女は極端な反ワクチン論者でもあり、職場の指示で無理やりコロナワクチンを繰り返し接種させられたので、数年以内にはその副作用で死ぬのだと本気で言っていた。
おまけに、松川は顔立ちこそ整っているが、基本的に自分の話を延々とするだけの痛い女というのが、佐藤のような人間にすらすぐに分かった。
佐藤達は知らなかったが、松川唯という看護士はナース界隈で言うところの「オペ看」だったのだ。
「オペ看」とは、オペ室、つまり手術室勤務の看護士のことを言うのだが、往々にして、患者とのコミュニケーション能力に問題があり「病棟勤務をさせることができない」看護士の配置となりがち、という事情がある。
(勿論、問題の全くないオペ看の方が、圧倒的多数だ。)
松川は典型的なダメ「オペ看」だった。
病棟では患者の話を聞かず、自分の勤務の都合を優先する割に、すぐに余計なお喋りに夢中になるだけでなく、陰謀諭や怪しげな民間療法、反ワクチン諭を患者とその家族に吹き込もうとするのだ。
当然ながらトラブルだらけとなり、病棟勤務から外されて、そのシフトは手術室勤務でずっと固定されている。
そんな彼女にとって、ネットで集めた男女を振り回し、嘉手納基地周辺で迷惑行為を煽動することは、政治的信念云々よりも憂さ晴らしだったのだが、本人の中では「反戦平和活動」ということになっている。
佐藤は基地ゲート付近に戻ってくると、松川とバッタリ会う。
「佐藤さんでしたっけ?お互いに、まだまだあきらめずに頑張りましょう!沖縄は独立したんだから、不法に居座る米軍を追い出さないと!」
「あ・・・。ありがとうございます!松川さん!頑張りましょうね!」
さらに数人が集まり、彼女を中心として会話に夢中になる。
彼等はスピーカーやJアラートが、弾道弾の発射を警告しても無視していた。
機動隊が居なくなったから、いっそ基地に進入してやろうか、などと話す者までいた。
時間が時間ということもあり、その時ゲート周辺に居たのは松川や佐藤を含めて50人程度だった。
そして、弾道弾の着弾が始まる。
彼等からは最も近い場所で2キロ程度離れていた。
「攻撃です!直ちに避難しなさい!」
スピーカーが絶叫したが、彼等の受け止め方は要約するなら、
「全然遠いじゃん。ってかあの爆発はアメリカの自作自演でしょ?」
というもので、灼熱する弾道弾が降ってきても、最後までその場を動こうとしなかった。
津波が迫っているのに、最後まで動画を撮影する心理に似ていたかもしれない。
そして、かれらの周囲で何かが、パラパラと降ってきた。
霰や雹が降ってきた時のような音がする。
近くの駐車場に停めてあった、車の車体とフロントガラスに穴が空き、続いて炎上した。
焼けた弾道弾の破片が、燃料タンクを貫通してガソリンに引火したのだ。
直径わずか数ミリの弾道弾の断片であっても、上空から降り注ぐそれは、致命傷をもたらすには十分だった。
佐藤は流石に驚いた。だが遅すぎだ。左腕に電流が走る。左腕を見た彼は、目を剥いた。
焼けた弾道弾の断片が肘付近に食い込んでおり、10円玉ほどの傷が出来ていて、そこから血が派手に噴き出していたのだ。
「なんだよ、これ?痛ええええ!?」
続いて足にも破片が突き刺さる。
凄まじい痛みに佐藤は悲鳴を上げて、地面に転がった。
そこで佐藤は、松川の存在を思い出す。
そうだ、看護士の彼女に助けてもらえば良いじゃないか!
彼女の方を向いた彼は驚愕する。松川もまた倒れていたのだ。しかも、「はいぱーナース」の眉間には、深々と金属片が突き刺さっていた。
「え、これってマジで?し、死んでる・・?」
彼女と佐藤だけではなかった。降り注いだ弾道弾の断片で、ゲート周辺に集まっていた、にわか「反戦平和活動」家達に死傷者が多数生じていた。
彼等は助けを求めていたが、救急要請は既にパンクしていたし、通信状態も悪化。道路も乗り捨てられた車で渋滞していて、自力で病院に向かうのも困難だった。
混乱した彼等のうち、無傷の者は死傷者を置き去りにして逃げ散っていく。
「待って!置いて行かないでくれよ!助けて!」
佐藤は泣いて助けを求めていた。
その様子は嘉手納基地の警備隊のモニターにも映っていた。
放っておくわけにもいかず、嘉手納基地内部から救助隊が派遣されて、死傷者は基地内に収容された。
基地の受けた被害の復旧作業は続いていたし、中国側攻撃も継続していて、嘉手納基地は絶賛戦闘中だったから、ハタ迷惑以外の何でもない。
それにもかかわらず、彼等は自分達が度重なる警告を無視した結果、こうなっていることが理解出来ないのか、「救助が遅い」と悪態をつく始末だった。
中には真実に気づいている者もいたが、彼等は御多分に漏れず「自分の非を認めたら死ぬ病」を患っており、危険を冒して救助に来た米軍部隊と機動隊員に感謝も述べなかった。
その中にあって、佐藤は貴重な例外だった。
弾道弾の破片に「お灸」を据えられた彼は、ようやくのことで「俺何やってんだろ。自分がこんなにアホだとは思わんかった」と反省していた。
その経緯は花と似た物があったが、彼女と異なり命が助かっただけ遥かに幸運だったという言うべきだっただろう。
民間病院の受け入れ態勢が混乱していることもあり、嘉手納基地から那覇の自衛隊病院に移送された佐藤は、そこで松川とは違う本物の看護士達と接した。
随分と久しぶりに、多くの人に優しく扱われた彼は、入院している間にようやくのことで真面目にこれからの身の振り方を考えるようになった。
やはり彼は運が良かったのだ。
実家に帰った後で、彼は自分の愚かさを認めるようになり、同時に親や人の話を真面目に聞くようになった。ハローワークの職業相談にも真剣に通い、やっとのことでまともに生活していけるようになっていくが、詳細は別の物語となる。