志望変更の理由
豊見城市内に住む城間豪志は、50代になったばかりの経営者。沖縄に留まることを選択した一人でもある。
彼は成功した事業家だった。だが、自信過剰な人間にありがちなことだが、自分の経験が、あらゆる場面で応用が出来ると考えてしまう。
彼のような経営者にとって中国が軍事行動に出るなど、ナンセンスな話でしかなかった。
他ならぬ中国自身の経済活動に致命的なまでに悪影響が出るからだ。
同様に防衛費や自衛隊の存在にも否定的だ。憲法云々よりも、無駄なコストでしか無いからだ。そんなものに税金を突っ込むくらいなら、もっと効率の良い使い方がいくらでもある。
確かに経営者目線に立てば、彼の考え方にも一理はあっただろう。
だが、彼は理解していない。
個人の努力や金銭の力ではどうにもならない、他国の理不尽や自然の驚異に立ち向かうために、それぞれの民族が、叡智としての国民国家という枠組みを作り上げてきたという事実を。
そして、権威主義国家の権力者は、しばしば経済的な合理性を度外視し、自らの権力を維持するためだけに軍事的なオプションを行使するという事実も、やはり理解してない。
現にロシアのウクライナ侵攻という実例が直近にあるのだが、何でかんでも自分の知識と経験を第一の基準として考える城間は、ニュースを目にしても無意識にフィルターをかけて、無視していた。
彼は確かに浜名湖大橋で死んだ小林などとは、次元の違う有能な実業家ではある。
だが、その彼にしても日常レベルで「国家に護られている」という自覚は無かったのだ。
よって、この瞬間にも彼は豊見城市内の自宅に一人留まっていた。
彼には妻と3人の子供が居る。
東京の大学に進学した城間は、商社に就職したあと20代後半で退職。地元の沖縄に帰ってベンチャー企業を立ち上げて、成功させていた。
会社の立ち上げと、ほぼ同時に高校の同級生だった妻と結婚。
彼女との間に出来た子共は、長女が大学2年で今は神戸にいる。長男は今年大学受験。次男が高校生になったばかりだった。
どちらかと言えば、インドア派の城間と異なり、妻と長男、長女は屋外での活動を好んだ。特に長男は、インターハイに出場するくらいに運動神経も良く、キャプテンも務めるくらいにリーダーシップを発揮した。
城間にとっては頼もしい後継者になるはずだったが、長男の春樹は「自分にはやりたいことがある」と言って、会社を継ぐことを拒否していた。
となれば、お決まりの母も交えての親子喧嘩の繰り返しだった。
(「それなら学費を出さないからな!自分で稼げ!」「今時、何で会社を世襲させようとするんだよ!」「二人ともいいかんげんにしてちょうだい!」)
それが、ここ1週間で状況が急変した。
長男は、長女の下宿に家族全員で避難することを主張したのだ。
だが、既に述べてきたように、城間は戦争になどなりはしないという考え方だった。
春樹は自分で集めた情報をまとめて出した考えと、動物的な感性によって、最悪の場合に備えるべきだと判断。
家族全員で、できるだけ安全な場所に避難するべきだと父食い下がった。
だが、いつものように父親を説得できないと判断して、交渉に切り替えたのだ。
「わかった父さん。俺は父さんの会社に入る。もちろん継ぐこと前提だ。その代わりに、母さんと俺達だけでも本州に避難させて欲しい。頼むから。」
それを聞いた城間は、頑なだった態度を一変させた。
相変わらず、自分は沖縄から動こうとしなかったが、代わりに長男が会社を継ぐと約束したのなら、彼にとっては充分にお釣りが来る話だった。
「春樹、お前考え過ぎだぞ。まあいい。そういうことなら、久しぶりに俺のいないところで、皆で羽を伸ばしてきたら良い。学校には適当に言っておく。お姉ちゃんによろしくな。」
そして大急ぎで準備をした春樹達だったが、飛行機に乗る直前に母が「やっぱりお父さん一人を置いていけない」と言い出したのだ。
春樹は覚悟を決めた。
弟の冬馬に「お前だけで姉さんのところに行け。俺は母さんを守るから、万一の時は姉さんのことは頼むぞ!」と言って弟を神戸に送り出し、自分は父母と共に沖縄に残ったのだった。
Jアラートが鳴った時、春樹は家族を叩き起こした。
だが、やはり父親は避難しようとはしなかった。
彼は母親だけでも避難させようと、父と一緒に家に留まろうとする彼女を家の外に引っ張りだした。
二人で電動自転車に飛び乗ると、避難セットを詰めたバックパックを背負って、那覇市が緊急避難場所に指定していた、近くのショッピングモールの地下駐車場に飛び込んだのだ。
大騒ぎして息子と妻が出て行った後、城間はJアラートを「デマ」か「誤報」と決めつけ、寝直そうと寝室に戻った。防災放送も避難を繰り返し叫び始め、うるさかったので耳栓を探す。
すると、北の方から爆発音と衝撃が伝わってきた。同時に停電する。
「マジかよ。」
だが、城間はまだ避難しようとは思わなかった。
スマホを取り出し、自宅2階のテラスから外の様子を撮影しようと思う。
動画サイトに投稿しようというわけでは無い。家族の目をごまかしながら通っている、クラブの嬢達に武勇伝を語れるチャンスと思ったのだ。
テラスから見える光景は、城間のそれまでの考えを全否定していた。
ミサイルが次々と那覇基地周辺に着弾し、地上からもミサイルらしきものも打ちあがり、空中で爆発が連続する。爆発の光で、無数の煙の帯が照らされていた。
上空に戦闘機が飛びかっている音が聞こえるが、暗くて良く分からない。地上では火災があちこちで発生した。どうみてもこれは戦争だ。
「春樹の言ってたことが正しかったか。これはさすがに謝るかな。」
その時、その春樹から電話が入る。
「父さん!さすがにもう分かっただろ!本当に戦争だよ!早く逃げて!まさかスマホで外を撮影なんかしちゃいないよね!」
「ああ、俺の負けだ。いつものモールの地下だったな。俺もそっちに行くよ。」
「良かった。気を付けてね。車は難しいと思うよ。単車にしたら?」
「わかった、わかった。じゃあ、後でな。」
電話を切った城間は、パジャマのまま、上着を羽織ってヘルメットと鍵を持ち出し、単車に乗って自宅から出ようとした。インドア派の城間だったが、例外的にバイクでのツーリングをたまに楽しんでいたのだ。
戦争にならないという自分の読みは、見事に外れて癪ではあった。
だが、息子が合理的な思考を重ねて、自分よりも正しい結論を出したと分かって、嬉しくもあり、頼もしくもあった。
彼同様に今になって、あわてて徒歩で避難しようとしている人々が、家の前の道路を行き来している。
そのうちの1人が絶叫と共に、上を指さす。城間は思わずそちらを向くと、信じられないものを見た。
徐のJ16が燃えながら回転して目前に迫って来ている。
避ける術はなく、城間は自慢の自宅と共に、LS6の爆発と搭載燃料による火焔に飲み込まれていった。
城間の遺体は欠片も残らず、後に行方不明扱いとなる。
周辺で逃げ遅れた人々も、城間同様に墜落と搭載弾薬の誘爆に巻き込まれる。彼の自宅も全壊し、灰塵に帰した。
1週間後。全焼した自宅跡で父の単車の残骸の一部を見つけた春樹は、父の死を確信する。
その瞬間、彼の第一志望は、慶応義塾大学から防衛大学校に変更されたのだった。