失路
その危険に気づいた柳は、進路を空中給油の予定地点に変更。残存燃料が許す限りの速度で急行した。
(その間に、KJ500Hを撃墜した4機編隊のF22を追尾していたJ20A編隊は、バックアップのF22、8機に奇襲された。柳少佐の懸念通りだった。J20Aは、AIM120とAIM9Xの攻撃を受け、4機が撃墜されたのだ。)
遅かった。
柳達が現場に到着した時には、第94戦闘飛行隊に続いて容易くJ20Aの迎撃網を突破してきた、第27戦闘飛行隊のF22により、空中給油機隊は全機が火の玉に変えられた後だったのだ。
中国空軍は第1波、第2派合計で、500機に達する沖縄方面の戦闘機群を支援するため、保有する50機の空中給油機の殆どを、上海、九州、沖縄から、等間隔で500キロの距離の地点に給油エリアを設定した上で投入していた。
この中には、H6、Il78の給油型に加え、新鋭の国産空中給油機であるY20も含まれている。
だが、そのうちの40機は火だるまとなって、全滅してしまっていた。
(この時、中東から韓国へ向かっていたコンテナ船の乗員は、偶然にも現場付近を航行中に、上空から火の玉が堕ちる様を動画撮影することに成功している。)
柳は目の前が真っ暗になるのを感じた。
空中給油を前提にギリギリまで任務を果たしたのに、その給油機が撃墜されてしまったのだ。今となっては出撃した蕪湖基地に辿りつくには、どう考えても燃料が足りない。
沿岸の上海国際空港に不時着するのも不可能だった。
助かるには、海上で射出座席を作動させて緊急脱出するしかない。
今まで、ずっと中国空軍の誇る最新鋭戦闘機のパイロットに選ばれ続け、中国空軍屈指のベテランとしての自分の経歴は、もう終いだと思った。
胡中将を始めとする上層部は、自分達がF22の能力を低く見積もり、逆にJ20の迎撃能力を高く見積もった過失を決して認めないはずだった。
J20一個旅団丸ごと24機の不時着水による全滅の責任は、早めの帰投判断をせず、空中給油を行わなければ基地に戻れないような行動を取り続けた、柳少佐ら大隊長達と付上佐の責任とされるだろう。
他の部隊も基地に辿り着けるか怪しかった。
柳少佐は今回の航空作戦を指揮している胡中将を、個人的知っている。
人民解放空軍戦闘機隊が旅団ではなく、師団編成をとっていた頃の一時期、SU27を装備していた部隊に所属していた柳の上官が胡だったことがあった。
あの男はSU27を飛ばすのは上手かったが、上昇志向が強すぎて、部下を踏み台にすることを恥じない奴だった。
大方、ようやく形になりつつある給油機と警戒機、それにステルス機部隊を使って、米軍流の戦法を派手に成功させて得点を稼ぎたかったのだろう。
その米軍ですら最近は給油機とAWACSが、敵戦闘機や超長射程のミサイルに撃墜されるリスクを検討しているというのに、なぜ敵が我が軍の給油機と警戒機を最優先で狙ってくると考えなかったのか?
確かに護衛は厳重だったが、そもそも前に出し過ぎだ。強気に過ぎるというものだったろう。
もはや手遅れだが。
柳はスロットルから左手を離し、思わずキャノピーの内側を殴りつけた。
(クソ!だが、奴らの基地は破壊した。沖縄周辺に不時着水しなければならないのは、敵も同じ。相打ちだ!)
だが、これも柳の希望通りにはならなかった。
確かに、那覇と嘉手納は、爆撃隊からさらなる打撃を受けて、両飛行場に着陸は不可能な状況だった。
奄美大島の空港に緊急着陸したアミーゴ5のように、フライトの中には直後の弾道ミサイル攻撃により、滑走路もろとも破壊されたものもあった。
だが、日米の戦闘機隊の残存機の大半は、九州沖に進出してきた日米の空中給油機群から空中給油を受けて、最終的に新田原基地や岩国基地、鹿屋や築城といった基地に、緊急着陸することに成功していたからだ。