攻撃開始
2025年4月2日 0:00 台湾海峡上空 高度1万キロ~3万6千キロ
戦いはマスコミや民間人が目にすることが出来ない領域で始まっていた。
人民解放軍は宇宙領域での優位、言わば制宙権を弾道弾攻撃の前に獲得することを狙っている。
現代戦では制空権以前に、制宙権を握った側が圧倒的優位に立つからだ。
いまや遥か太平洋上に進出した、機動艦隊との通信にも衛星は必要とされる。
写真と赤外線画像による敵情の観測は勿論だ。
例えばウクライナの善戦を支えたものは、西側の偵察衛星による情報提供と、民間による衛星通信の確立によるものであることを、人民解放軍はよく理解していた。
そしてGPSに代表される、衛星測位システムによるミサイルの誘導。とくに複雑な機動を描く極超音速弾は、衛星による誘導が不可欠だった。
米軍の精密誘導兵器の大半もまた、GPSを誘導方式に採用している。
そうであるなら、GPSが使用不能になれば、米軍の能力を根本的に低下させることが出来るはずだった。
これら軍事衛星を用いる利点は、かつては米国とソ連にのみ許された特権だった。
だが、今やソ連の後継たるロシアは、衛星にかけるべき予算など無い。
アメリカもあぐらをかき過ぎた。
中国が凄まじい勢いで宇宙開発を進めても、アメリカは議会の決定で、宇宙空間にデブリをまき散らす衛星攻撃手段の保持を長らく禁じられてきたのだ。
遅まきながら議会の許可が降りたものの、いまや宇宙空間での攻撃力では中国の方が勝っている状態だった。
だが、国家主席は航天軍に対して、SC19やDN3等、対衛星ミサイル=ASATの使用を厳禁していた。
ASATを使用すれば、低層高層にかかわらず飛散した残骸がスペースデブリとなって、宇宙空間を汚染する。スペースデブリの飛散度合いが酷くなれば、戦後の宇宙開発や衛星利用が一切不可能になり、人類は地球に閉じ込められ、宇宙を目指すことが不可能になる恐れすらあった。
かつてSC19対衛星ミサイルで、低軌道衛星を破壊する実験を行った際には、中国は国際的な非難を浴びたが、そういったことを国家主席は気にしているわけでは無い。
自分達が後々に困るから禁止したに過ぎない。
中国は宇宙強国として人類の宇宙開発を主導するべき、と考える国家主席にとっては、デブリの蔓延は許されない事態なのだ。
そこで中国が得意とする燃料電池を電源とした、HPM(高出力マイクロ波)攻撃衛星、レーザー攻撃衛星を主力とし、デブリを飛散させること無く、アメリカと日本の衛星群を無力化させるのが航天軍の計画だった。
だが、低軌道に散らばるアメリカの民間企業による、衛星コンステレーションは厄介だった。
あまりにも数が多すぎる。今や5000機という数に達する衛星を、無力化するのは不可能に近かった。
中国はこの民間衛星コンステレーションが、通信にのみ用いられてるとは信じていない。
彼等の発想に従えば、必ずや軍事的に利用できるようにしてあるはずだった。少なくともGPSのバックアップぐらいはできると考えており、そしてそれは正しかった。
中国は、この民間衛星コンステレーションすらも無力化したいと考えていたが、その構想はまだ具体化していない。
物理的に無力化するが難しいのであれば、システムをハッキングすることが検討されたが、これも上手くいっていない。
ウクライナの支援にも供与されるそれは、ロシアがしつこくハッキングを試みるものだから、米国政府の資金援助もあり、常に世界最高レベルのセキュリティが更新され続けている。
その結果、中国の情報支援部隊の全力をもってしても、未だハッキングに成功していないのが現状だった。
「アメリカ」遠征打撃群ESGが、危険をおかして緊張度が高まってからも航行の自由作戦を行い、ギリギリまでフィリピン領海付近に留まっていたのは偶然ではなかった。
米軍は、もし中国側がASATを使用しだすのであれば、自軍もイージス艦のSM3対空ミサイルをASATとして使用し、中国側の低軌道衛星を攻撃して、中国側のみが衛星を利用できる状況を回避しようとしていたのだ。
なお、「アメリカ」ESGは「かが」他と合流後、実態を反映して「アメリカ」LCG(ライトニング空母群)に名称変更となっていた。
今や彼等は、F35B「ライトニング」戦闘機を主力としているからだ。
衛星を管轄する航天軍は、空軍、海軍、ロケット軍を上回るほどの野心に満ちていた。
ロケット軍など、航天軍のロケット開発技術が無ければ存在しえない、下部組織としか思っていないくらいだ。
長征作戦統合司令官に、情報、技術畑の張中将が抜擢された事実は、彼等の野心を加速させている。
中国航天軍は、近年は年間30基ペースで軍事衛星を打ち上げていた。
西側に正体が割れているものだけで、レーダー衛星18基、光学監視衛星35基、電子情報収集衛星といったリモートセンシング衛星120基、艦隊との通信を中継する通信衛星5基だった。
これに民間のGPS衛星「北斗」40基、2年前に展開の始まった、中国版衛星コンステレーション500基が加わる。
さらに中国が米国に先んじて実用化した、戦闘宇宙衛星30基。
戦闘宇宙衛星は正体不明の衛星として認識されていたが、2023年の段階で8基の存在が確認されていた。
2024年に入ると民間衛星の打ち上げを遅らせて、15基が追加され、今年も前倒しで大原、酒泉、西昌、文昌の4カ所の宇宙センターから7基が、その他のバックアップの衛星と共に打ち上げられていた。
米軍もある程度衛星を攻撃する手段を持ってはいるが、中国側が圧倒的に優位だ。
上海の統合司令部の戦況表示ディスプレイには、全軍の口火を切って、作戦を開始する航天軍の衛星と、西側の衛星の状況が表示されていた。
国家主席はロシアと交渉して支援を取り付けた、「グロナス」の衛星もバックアップとして周辺宙域に居る。
北京から直通の電話が入る。国家主席だった。
短い会話の後、電話を丁寧に置いてから、張は命じた。
「これより長征作戦を開始する。航天軍は所定の計画に従い、日米欧の衛星を台湾海峡上空から排除せよ。」
指揮所の航天軍の連絡士官と、オペレーターの動きが慌ただしくなった。
ディスプレイ上で、30基の戦闘宇宙衛星が機動を開始。まずは米軍の衛星を目標に接近して行く。
戦争が始まった瞬間だった。