Point of no return
2025年4月1日 21:30 上海
張は、父の差し入れの茶を飲んで休憩していた。
先ほどの国家主席の演説を思い浮かべる。
長征作戦が国際的な支持を得られないことには、何も触れられていないなと思った。
短期決戦で台湾と先島諸島を陥れることに目算はある。
だが、その後どうする?
怒り狂ったアメリカと、国家主席はどう対峙していくつもりだろうか?
張はアメリカが中国に勝ち逃げを許すとは思えなかった。
(まあ、その心配を自分がする必要は無いか)
張は思った。将兵達とその家族には本当に済まないが、長征作戦は損害を度外視した強引な作戦になっていた。
そして、あわよくば米軍の本格介入の前に、台湾占領を既成事実化してしまうのだ。
成功したとしても、多大な犠牲が生じる。その非難の矛先は、政治指導部では無く自分に向くだろう。少なくとも、自分の人民解放軍でのキャリアはこの作戦をピークとして終わる。
この作戦の先のことは、この司令部に居る誰かにでも引き継がれるだろう。
それにしても、中央軍事委員会は作戦成功ありきで、考えすぎではないかと思う。
作戦が意図した通りに展開しなかった場合の、コンティジェンシープランは殆ど考えられていない。
あるいは作戦がとん挫した時、どうやって国家主席の面子を保ったまま幕引きを図るのだろう?
長征作戦が成功しても失敗しても、間に入って仲裁に入ってくれる国は存在しない。
張は戦場での勝利に大した価値を認めていない。それ以前の政治家の立ち回りで戦争の決着は着いていると考えるタイプだった。
他ならぬ中国自身が80年前に、日本に対して戦場では殆ど勝利を得ることが無かったにもかかわらず、日本の対米宣戦布告という政治レベルでの自殺行為を誘って勝利していたからだ。
未だに日本人は、戦場で中国に負けたなどとは思っていないだろう。だが、戦争に勝ったのは中国なのだ。
どうにも張にはこの作戦の後、ロシアと北朝鮮だけを盟友とした祖国が、国際的に孤立していくように思えて仕方が無い。半年前からの国際政治への働きかけは失敗したと言って良いのに、作戦決行ありきでここまで来てしまった。
盗聴の心配があるから、例え私室であっても、独り言の愚痴一つ口にするのも要注意だった。
皮肉なものだ。自分の立場は、あの山本五十六に近いだろう。
この戦争に確信が持てていないにもかかわらず、実戦部隊の長として勝利を追求しなければならないのだ。
もう後戻りは出来ない。
彼にとっての「ニイタカヤマノボレ」は発信されたようなものだった。
既に台湾と沖縄に、特殊部隊が侵入を開始している。
中国に残留する日米台の人間に対しては、リストの優先順位に従って拘束が開始されていた。
海上民兵はあちこちの無人島に上陸を開始している。
グアム沖の機動部隊は、一両日中に敵空母「ニミッツ」のグループと交戦するだろう。
日付が変われば、航天軍が宇宙空間で日米の衛星に攻撃と妨害を開始する。
午前2時には情報支援部隊隷下のサイバー戦部隊が、サイバー空間での攻撃を開始。
そして午前4時になれば。
国家主席の人民への演説と共に、作戦が本格的に開始される。
200隻近い戦闘艦艇は、偽装を解いて台湾の対岸の港で待機している。あるいは平時を装って航行中だ。これに徴用した民間船舶群が加わる。
2000機を超える作戦機も出撃体制を整えている。
台湾と沖縄に着上陸する陸上兵力は、水陸両用旅団群を先頭に30万近い。
本格侵攻開始まであと6時間半だった。