一人相撲と勘違い
そして、田渕は自分が囮になると言って、持っていた現金を財布ごと久米に渡すと、車から彼女を降ろして走り去った。
一人になった久米はタクシーを拾うと、さらに南に向かおうとする。奥武島に渡る橋の手前で警察が検問をしているのを見ると、自分を待ち構えていると思い込んで、タクシーを降りた。
そこから久米は運動不足の体に鞭打って、必死に1キロを走ると、近くの百名ビーチに辿りつく。
走り方の加減が分かっておらず、無闇に早いペースで走ろうとして相当に苦しい思いをしていた。
「走る」という行為に、最初から苦しいものというイメージを持ちすぎている、運動嫌いな人間にありがちなミスだ(彼女は学生の頃から、本来の意味での運動というものは嫌っていた)。それでも彼女は脳内の追手から逃げようと必死だった。
パニックに陥り、運動センスの無い彼女は、なぜか走りにくい砂浜を走って逃げようと考えている。
街灯が無く、暗いので闇に紛れると彼女なりに思ったのだが、そこを走れるような脚力は無い。
砂浜を走るには、しっかりと鍛えた足腰が必要なのだ。それこそ水陸機動団の隊員のような。
それから30分もがき苦しみ、砂浜を転がりながら移動したものの、距離は200メートル移動できただけだった。そこであまりの苦しさに一歩も動けなくなると、彼女は泡を吹いてひっくりかえった。
「もうだめ・・・。水。水。」
そこで30分ほど動けなくなっていた彼女だったが、今度は夜風で冷えた足が痙攣を起こしてはね起きる。
痙攣には塩分と水分と聞いたことがあったので、彼女はよりによって波打ち際の海水を、手ですくって飲んでしまった。次の瞬間、死ぬほどの口渇に襲われ出す。
一人で勝手にのたうち回っていた彼女だったが、いつの間にか、数人の黒づくめの男達に取り囲まれていた。銃を持っている。
異様な姿の彼等に驚いた彼女は、その正体に気付いた。
「あなた達、中国軍ね!待っていたわ!こんなに早く助けに来てくれるなんて!私は琉球人民共和国副代表の・・・」
彼等は確かに中国海軍陸戦隊に所属する、特殊部隊のユニットだった。
沖合の海上民兵の武装漁船から、夜になってから半潜航式のボートで、百名ビーチに侵入してきた所だった。
これから知念分屯基地の、陸空自衛隊の対空ミサイル群に対する爆撃を補助するため、レーザー誘導装置と小型の自爆ドローンを持ち込んで、潜入するのが任務だったのだ。
沖縄で行われてきた政治工作のことなど何も知らされてはいない。
彼等は暗視装置を装備していたが、浜辺に一人で横たわっていた久米を、流木かなにかと誤認して接近してしまっていた。
当然ながら、彼等の4人チームはまだ「沖縄に居るはずがない」存在だった。
彼等は一様にばつの悪そうな表情を浮かべていたが、うち一人が意を決したように手刀で首を切るような仕草をすると、二人がうなずいて久米の体をがっちりと起こして、押さえつけた。
「え、何?ああ、やっぱり中国語ね。え?本当にごめんなさい?あなた達が助けに来たの、そんなに遅くないわよ?痛っ!まって、まって!足が痛いの!痙攣してるから!そのうち自分で立てるから、いまは乱暴に・・・グエっ」
最後の一人が、ワイヤーを取り出して背後から久米の首を締め上げると、彼女は蛙のような悲鳴を上げた。
(な、なんでこの私がこんな目に!おかしいわ!間違ってるわ!副代表にこんなの酷すぎる・・。中国にさすがに抗議しないと・・・。)
痛みと渇きと呼吸苦の中で、彼女の人生は終わっていった。
5分後に彼等中国軍陸戦隊特殊ユニットは、急行してきたDELTA、特殊作戦群、ISAの混成ユニットに捕捉されるが、その時には久米はこの世の者でなくなっていた。遺体は手際良く隠蔽されて横たわっており、日米の特殊部隊員達も、直前に浜辺で起きた事件に気付くことは無かった。
彼女が発見されたのは、実に2か月後だった。