自意識過剰
2025年4月1日 20:45 沖縄 南城市
「いんでぺんでんと・おきなわ」代表の久米和子は、3時間前に人生のピークを迎えたつもりだった。
だが、今は理不尽な気持ちを抱え、夜の浜辺の暗闇を砂に足を取られつつ、一人で走ろうともがいている。
(わけがわからないわ。なんでこうなったのかしら?)
1時間半ほど前、彼女は顔なじみの地方紙の新聞記者に会うため、那覇市内の某新聞社に向かっていた。
車は田渕という若い女が運転していた。彼女は大学時代にSONに在籍し、久米のNPOに就職した口だった。
さらに1年だけ会計の仕事を行ったあと、「のれん分け」する形で、自分の組織を立ち上げていた。
だが、実態は久米のNPOが、沖縄県からより多くの補助金をせしめるための方便で、完全な久米のNPOの下部組織だったし、久米も何かと田渕に恩着せがましく助手扱いした。
今も自分で車を運転すれば良いものを、何故か田渕を呼びつけて運転させている。
だが、当の田渕は久米に心酔していたから、扱いの異常さを気にしてはいなかった。
「動画見ました!やりましたね!これで沖縄の新たな歴史が開けます!でも、前田先生は身を隠しなさいと仰ったんですよね?今から新聞社に行ったりして、大丈夫なんですか?」
「大丈夫よ!警察も自衛隊も何も出来はしないわ。知事さんには悪いけど、日本の手先も米軍も、今頃中国が助けに来ると知って、震えあがって逃げ支度をしている最中よ。
私を捕まえたりなんか、やろうと思っても出来やしないわ。私を逮捕なんかしてごらんなさい。それこそ中国軍が怒って攻めてくるわよ。」
「なるほど!さすがですね。久米さんは既に中国にとっても重要人物ですもんね。」
「それに万一、戦争になったとしても中国軍は米軍なんかと違って、民間人を巻き込まないし、あっという間に自衛隊や米軍なんかやっつけちゃうでしょ?ね!だから隠れる必要なんかないでしょ?」
「そりゃそうですねー。」
久米は長い間米軍と自衛隊の観察をしてきた割に、その能力を異様に低く評価していた。
評価といえば、彼女自身への評価にもかなり問題があった。
彼女は、自分自身に中国側がどのような評価をしているのか全く知らない。
かつて工作を主導していた張は、正直、久米や前田の名前すら把握していなかった。
侵攻の理由付けが、手順を踏んで出来たならば十分。
現地協力者がその後、日本の取り締まりと中国の攻撃を生き残り、沖縄で活動をなおも続けられれば勿論助かるが、それは難しいだろうと思っていた。
戦後の傀儡の首班は、一応は宮古島等に移動した人間のうち、澤崎になる予定だった。裏切ってしまったが。
沖縄本島の親中派勢力は、どうしても戦後は日本側の弾圧でリセットされる見込みだった。
親中派ネットワークは、戦後の厳しい環境では、ゼロベースから再構築することになるだろうと中国側は考えている。
要するに中国としては、久米がどうなろうと知ったことでは無く、使い捨ての捨ての駒でしかない。重要人物でも何でもないのだ。
田渕の方は違う意味で日本の官憲を低く評価しており、久米が不当に弾圧され、人権を無視されるのでは?と、その身を案じている。
久米は田渕の気も知らず、早く新聞社に自慢話をしたくてウズウズしていた。
だが、彼女達が新聞社の前に車で乗り付けた時、蜘蛛の子散らしたように沖縄から逃げ出しているはずの警察が待っていた。
田渕は血の気が引いた。やはり警察は久米を逮捕する気だと思った。
実際には警察はまだ、独立宣言動画のことなど知らなかった。
この段階では逮捕のためでなく、石垣で吹き飛び、銃撃されたボートが「いんでぺんでんと・おきなわ」所有だったため、事情を聞きたかっただけだった。
警察は午後から何度も事務所に連絡していたが、活動を活発化させている彼らは事務所を空けていた。
しかも代表の久米の行方を捜してはいたものの、新聞社の前で待機していたのは、右翼団体から爆破予告のあった新聞社の警備班だった。別に久米に用があったわけではない。
だが田渕は過剰に反応した。彼女は警察を見るなり、車を反転させて猛スピードで逃走を開始した。
「久米さん!まだあきらめの悪い警察が久米さんを狙ってるみたいです!つかまったら何されるか分かりません!中国軍が助けに来るまで、どこかに隠れましょう!」
「わかったわ!取り敢えず南へ向かって!」