追加発注
2025年4月1日 07:00 与那国島
2時間仮眠をとった長谷川は、後方支援隊の糧食班が朝食を作ったタイミングに重なったので、戦闘糧食でない温食にありつくことが出来た。
仮眠明けのためか疲れをあまり感じていない。いや、相当に疲れてはいるはずなのだが、彼は延々と動き続けることが出来た。
日頃の訓練の成果でもあるだろうが、長谷川がまるでレンジャー隊員のように不眠不休で動き続けることが出来るのは、今の状況を体が理解しているからだろうと思った。
彼は、15年前にこの感覚を一度体験している。忘れることも無い。東北大震災の災害派遣だ。
あの時、派遣された隊員達は超人的な持久力を発揮し続けた。
東北方面隊の隊員の中には、被災直後に津波に飲まれ、低体温症に陥ったにもかかわらず、着替えて数時間休養しただけで救援活動に加わった者すらいた。
この時の自衛隊員達の超人的な活動の源は、一言で言えば使命感とでも言うべきだったろう。
だが当時、第一師団所属の2曹として遅れて派遣された長谷川には、既に失われ、助けることが出来なかった多数の生命への負い目が残ったのだった。
今無茶をせずして、いつするのだと言わんばかりに、無我夢中で任務を果たしたにもかかわらず。
言うなれば、今の長谷川を動かすのは部下への責任と使命感。それに15年前に背負ったままの贖罪意識だ。
15年前の災害派遣を通して、言葉では言い表せない記憶と感情が長谷川の心に焼き付いてしまっていた。
これが決定的な出来事となって、彼は自衛隊を辞めることが出来なくなってしまっていたのだ。
あの時背負ってしまった負い目を返すため、自分の体は疲労を無視することが出来ると長谷川は理解している。
(いや、いくら自分が頑張ったところで、この美しい与那国が戦場になり、瓦礫になることは避けられそうもない。
またしても、永遠に返せない負い目を積み重ねることになるだろうか?
それとも今度の任務の中で、納得できる結果を出し、自分の心に整理をつけることが出来るだろうか?)
長谷川は頭を振る。余計なことを考えるのは生き残った後だ。
自分の仕事の出来次第で、大勢の命と運命が決まる。目の前の仕事に集中しなくては。それにしても綺麗な島だ。終わったら家族旅行に来よう。
流し込むように食事を終えた長谷川は、中隊本部の天幕に入り、ボードに広げた地図上で作業の進捗を確認する。
作業は計画通り、いや、計画よりかなり早く進捗していた。
以前から米軍も交えた図上演習を通して、与那国警備隊は有事の展開予定地域における、陣地構築の計画を綿密に練っていた。
(その演習には、派遣された長谷川も参加していた。)
九州から空輸された長谷川は与那国駐屯地に出頭すると、与那国警備隊本部で警備隊長と打ち合わせを行った。
計画は以前の計画より増援の規模や送られる予定の物資が増えており、修正が必要だった。
具体的には、増援各部隊の指揮所や敵にとっての高価値目標、弾薬、燃料庫といった重要目標用の掩体壕を追加で構築しなければいけなかった。
長谷川は、追加される掩体壕の数と、それぞれの構築予定位置を警備隊長と取り決めた。
さらに与那国警備隊から受けることが出来る応援の人員を確認すると、素早く工数を計算し、計画をまとめ、中隊に戻って隊員との共有を行った。
それから坑道中隊と共に部隊を半分に分け、それぞれ久部良岳周辺と、浦部岳周辺に配置して作業を開始する。
作業を監督する立場の長谷川は、双方の丘陵を頻繁に行き来しながら、警備隊本部との連絡調整に出向くことの繰り返しだ。
今も工事の打ち合わせのため、警備隊本部に向かおうとしていた。中隊本部のパジェロを若い隊員が運転し、満田森林公園内の道路を移動する。
昨日までは与那国駐屯地に本部はあったが、情勢に緊張緩和の気配は無く、予定通りなら司令部は久部良岳の中腹に長谷川達が先日構築した、司令部用掩体壕に移動しているはずだった。
公園内は細い道路が通っているだけだから、自衛隊のトラックや重機が行き来するには、その運転に職人芸が必要とされる場面も多かった。
だが、今や42連隊と共に到着した368施設中隊が要所の道幅を広げ、今や対面通行や16式機動戦闘車の乗り入れすらも可能なだけの道幅となっていた。
路面は自衛隊車両が乗り入れ可能な頑丈な作りにはなっていなかったから、早くもあちこち傷んでおり、368施設中隊はいつもの演習通り延々と終わりの無い道路補修作業を行っていた。
到着した警備隊司令部は地下式にしてあった。
道路脇の壁面を、掩体掘削機で斜めに深さ10メートル、高さ2メートルの入口用の穴を掘り進め、さらにそこへ坑道掘削機を投入して、高さ3メートル、奥行き30メートル、幅5メートルの横穴を掘ってあった。
横穴の床に板を敷き詰め、半円形のライナープレートと呼ばれる金属製品をはめ込んで、内側を補強してある。
演習等では、司令部の掩体は2階建てにすることも多いが、実戦では頻繁に位置を変えることになるため、当の司令部からレイアウトは1階建てで十分と要望されていた。
埃よけに天幕を張って照明と配線を設置し、机と椅子にディスプレイ、指揮システム端末、通信機器が既に搬入されており、担当の隊員達が持ち場に詰めている。
司令部に入ると、警備隊司令の小泉一佐に挨拶する。
「おう、長谷川一尉。さっそくだが、我々は与那国戦闘団に改称されたぞ。
他も、宮古島戦闘団、石垣戦闘団、多良間戦闘団、沖縄戦闘団、奄美戦闘団だ。与那国戦闘団の指揮官は引き続き私だ。42連隊を含めた増援部隊を一括指揮というわけだな。」
「いよいよですね。ここの使い勝手はどうです?」
「うん。十分だね。短期間でよく作ってくれた。」
「ありがとうございます。繰り返しの説明になり恐縮ですが、この坑道形式の掩体壕は、便宜上、掩体壕甲タイプと呼称して整備中です。
システム通信隊等を含めた、あー、与那国戦闘団本部用として、敵からの標定を避けるための位置変更用予備陣地として、あと3カ所が構築済です。これは野外病院との共用になります。
早めに実際の様子を確認願います。不備があれば仰って下さい。」
「了解だ。」
小泉一佐は長谷川に真っ先に、第4師団から増援された野外手術システムを含めた、野外病院用掩体の構築を命じていた。
以後、目に見えて部下達の士気が向上している。例え重症を負ったとしても、師団レベルの野外病院に搬送さえされれば生存の可能性は高まるからだ。
自衛隊員とて神では無い。死への恐怖を克服できている隊員など、小泉自身や、長谷川を含めて一人も居ないのだ。有事の際に貧乏くじを引き受けるのが自分達の役目。それは納得している。だが、生き残れるものなら、誰だって生き残りたい。
生存への希望が多い程、隊員の士気が向上し、部下が安心して戦えるということを小泉は良く理解していた。
与那国には第4師団から、石垣には第8師団、宮古には西部方面隊、奄美には第13旅団から、それぞれ後方支援衛生隊が差し出した、野外手術システムを含めた野外病院が、厳重に構築された掩体に護られながら展開している。
「浦部岳にも同様の指揮所用の掩体壕甲が3カ所あります。それと久部良と浦部双方に、主弾薬庫および、主燃料庫用の掩体壕甲を2カ所ずつです。3カ所目を今掘っているところですが、このまま続行でよろしいですか?」
「そのままでOKだ。乙の方は?」
掩体掘削機やバケットローダーと人力で掘った穴に、ライナープレートかソイルアーマーを設置し、その周囲を木材で囲んで、さらに天上に土嚢を敷き詰め、最終的に土と元々の植生を戻すという工程を踏んだ掩体壕のことだった。
長谷川達は工事中の様子を中国や民間の衛星から隠すため、作業中は天幕を広げて、掩体壕の位置を掴まれないよう工夫していた。
植生の具合もドローンを飛ばして上空から確認の上、修正している。
「あらかじめライナープレートやソイルアーマー他の資材を与那国駐屯地に搬入させて頂いたおかげで、かなり進捗しています。追加で10カ所完成。まだ追加のご要望があれば、場所を指示下さい。」
(ちなみにソイルアーマーとは、折り畳み式の箱型鋼製枠のことだ。展開し、中に土を詰めることで、迅速に頑丈な掩体を構築できる。
先述したように、防衛出動命令の気配が漂い出した頃から南西方面集団は、フェリーの定期便に便乗して、沖縄本島から先島に存在する各駐屯地の敷地に物資を運んでいた。
掩体用資材もまた追加で運んで、目立たないようにシートを被せて保管していたのだ。)
「いや、君らが寝ずに頑張ってくれたおかげだ。当初計画の150カ所を4日で達成。
さらに、現在までに追加で70カ所。見事だ。いい加減疲れただろうが、掩体は1カ所でも多いに越したことは無い。引き続き予備の追加を頼みたい。」
「お任せ下さい。それではどこに?」
「うん、そうだな・・・。地図を見せてくれ。
皆集まってくれ!この情報計画は共有だ。決まったら、浦部岳にも共有。通信でなく伝令でな。」
掩体壕乙は、16式機動戦闘車や、120ミリ重迫撃砲と牽引役の高機動車、中距離多目的誘導弾、96式誘導弾等の重火器、電子戦や通信機材、分散弾薬庫、燃料庫、炊事所等の秘匿、退避に使用される。
これほど多数を短期間に準備できたのは、長谷川達が不眠不休で頑張ったこともあるが、長谷川が「どうせ地中貫通弾とか大型爆弾の精密爆撃には耐えられないから、演習や検閲みたいにバカ丁寧にやらなくて良い。普通科にも手伝ってもらって、とにかく数を揃えるんだ。偽装だけは手を抜くな。」という指示が徹底されたことが功を奏していた。
施設科が構築したもの以外に、各科の隊員は自らの退避壕をあちこちに掘っているし、久部良岳と浦部岳の麓には、普通科が塹壕、射撃壕、前哨陣地を掘っている。
現状は、仕上げに山頂の掩体壕群との交通壕を掘っているところだった。
それらの位置はネットワーク担当陸曹達が随時、戦闘指揮システムのデジタル地図にアップデートしていた。
さらにはネットワークシステムが機能停止した時のバックアップとして、2度手間を承知の上で、昔ながらの紙ベース地図も手書きで更新されている。
掩体を追加する箇所を決めた、小泉一佐は本部要員を持ち場に戻すと、長谷川と少し雑談をした。
「1週間で与那国は硫黄島みたいに、地下陣地だらけになってしまったんだ。中国さん、本当に攻めて来たら腰抜かすぞ。」
「硫黄島は嫌な例えですね。」
「スマンスマン。あれは玉砕だったが、今回は我々が勝つ。戦闘が始まったら、君らは掩体の補修工事に加えて、予備隊になってもらう。携帯火器の点検もそろそろしておけよ。キツイが頑張ってくれ。頃合いを見計らって、陣地強化は切り上げて、全部隊に休養させるからな。それまでの辛抱だ。」
「承知致しました。」