意見具申
2025年3月29日 13:00 北京
張は早々と奇襲の構想が崩れていくのを認めていた。
国家主席主導で、世界規模での陽動作戦を行ったにもかかわらず、米軍は自身の戦力を対応させようとしていない。
殆ど同盟国に対応を任せている。そもそも、これから動く北朝鮮を除けば、動いたと言えるのはロシアだけだった。
そのロシア軍は大統領が約束した通りに、フィンランド国境に戦力を集め、大規模な演習を繰り返していた。
目論見通り、西側は2022年と同様にロシアが演習名目で終結させた戦力をもって、フィンランドに侵攻するのではないか、という議論を行っている。
だが、その対処はNATO即応部隊だけで行っており、ロシアはバルチック艦隊まで動かしたものの、それは英仏独合同艦隊にあしらわれていた。
空軍も同様だ。SU35戦闘機、SU30、34戦闘爆撃機を200機以上飛ばしているらしいが、フィンランドにはノルウェー空軍のF35が30機程応援に来ただけ。米軍の派遣は一兵たりとも無い。
そしてウクライナ方面の戦況は防戦一方ときている。
「これだけの兵力を動かしたのに、米軍もNATOもロシア軍をまるで恐れていないじゃないか。偉大なるロシアも地に落ちたものだな。」
張はロシア軍の凋落ぶりを吐き捨てた。
極東のロシア軍も陽動を始めたが、もともと配属されていた陸軍部隊や、海軍歩兵部隊がウクライナで壊滅していた。
このため、海空軍が活動しても地上部隊の集結が無いため、日本軍は安心して北海道や東北の地上部隊や支援部隊を南西に向けて南下させはじめている。
日本空軍は元から北海道にいる部隊で。海軍は大湊、舞鶴の地域配備部隊だけで、ロシアの陽動に対処するつもりのようだ。特に目障りな三沢のステルス機は、ロシア機に対するアラート任務には出てこなかった。
ロシアの陽動が効果をあげないどころか、北朝鮮への対応と称して、米軍の増援が横田や岩国、グアム、ハワイ、アラスカ、韓国、フィリピンに展開しようとしていた。
世界に散らばる米海軍も太平洋に向かっている。
太平洋で警戒している潜水艦によれば、米原潜も西にむかっているようだ。偵察衛星は太平洋上の米軍艦艇が、台湾周辺に向かっているのを観測していた。
こちらの機動艦隊は、3つの空母グループが偽装進路を解いて合流したところだ。
このままだと、第2次大戦以来の空母機動部隊決戦ということになりそうだった。
つまり結局は、中国政治指導部が友好国に対して行った働きかけは、期待した程米軍の戦力を引き付けていなかったのだ。
こちらの意図を見抜かれているのは明白だった。
人民解放軍の移動は、通常の演習や災害救助訓練および、台湾の挑発行為への対応であると外務省報道官が連呼し、日米台の「過剰反応」を繰り返し非難していた。
それにもかかわらず、かれらは迎撃態勢を整えようとしている。このままでは戦術レベルの奇襲すら実現しなくなる危険があった。
米軍と日本軍の体制が整わないうちに、一挙に台湾と先島諸島を攻め落とす構想だったが、そう都合良くはいかないらしい。
張は各軍の上級指揮官から、まだ部隊の移動と集結は完了していないが、作戦開始を早めるべき、との意見具申を相次いで受けていた。
だが、中央軍事委員会は自分達の決めた大方針が崩れたことを、認めないだろうと張は思っている。
しかし結局、張は意見具申のため、この日も上海からヘリを乗り継ぎながら、1000キロを飛行して北京に移動した。
ダメで元々、と思ったこともあるが彼は統合司令部の上級指揮官達を信用していなかった。
彼等はこのとことろ急速に「張を見直した」感を出しているが、張にしてみれば面従腹背なのが見え見えだ。
ひとたび張の立場が悪くなりだせば、彼等は岩盤掘削機のように手のひらを反して、中央軍事委員会に張の不作為を訴えるだろう。
だから保身のために無駄だと思いつつ、意見具申に向かったのだ。
そして予想通り全くの無駄だった。
せめて無闇に通信傍受を恐れず、秘匿回線くらい使わせて欲しいものだと張は思った。
中央軍事委員会の面々は機密漏洩よりも、自分達の居場所が特定されて、米軍のステルス爆撃機に地中貫通爆弾でも撃ち込まれるのを恐れているのだろう。
作戦開始が近づくに従い連絡を取るのが酷く面倒になっている。
往復に丸1日かけた意見具申は、あきれるくらい短時間で終わった。
「主席閣下。各種報告によりますと、陽動にもかかわらず米帝と日帝の戦力移動が予想以上に進んでおります。」
「なるほど。それは由々しき事態ですね。」
「当初の計画通りに長征作戦を開始しますと、奇襲攻撃の効果が薄れ、わが方の損害が想定を超える恐れがあります。」
張は決して、失敗の恐れがあるとは言わなかった。
「それであなたはどうするべきだと?まさかここまで来て中止を?」
「いえ、そうではありません。長征作戦の予定を早めて決行すべきと愚考します。」
「・・・いや。予定通りで良いのです。わが軍の損害は多少増えるかもしれませんが、覚悟の上です。予定を変更して、いたずらな混乱を招く方が危険というものでしょう。」
こうなることは分かっていたので、張は粘らずさっさと上海へ帰って行った。