花と真紀子
2024年3月27日 11:15 東京国際空港
今年42歳になる八木真紀子は、一人娘に対する心配が絶えない日々を送っている。今日彼女は、その一人娘である花を空港で見送るため羽田に来ていた。
ちなみに真紀子自身の人生は失敗と苦労の連続だ。その原因は、彼女の性格が原因の場合が多かった。
若い時は素直に認めるのが難しかったが、今では渋々と認め、同じ過ちを繰り返さないように心掛けている。それなのに母から見ると、娘の花は成長するにつれて、昔の自分の悪いところばかりが妙に似て来る気がして仕方ない。それが心配の原因だったのだ。
特に思い込みが激しく、聞き分けが悪い部分がかなり似ていた。若い頃の自分より酷いくらいだった。
真紀子自身は、それが原因でずいぶんと痛い目に遭っており、多少なりとも反省して性格が変わって来ていたが、花はまだまだ子供だ。
しかし、娘に対して「それじゃこの先も痛い目みるよ」と説教じみたことを口にしようものなら、「お母さんにだけは言われたくない」と返されるのがオチだった。
他に家族がいない真紀子は花にだけは嫌われたくなくて、それ以上強く忠告ができないことの繰り返しだった。
少々甘やかして、我儘にしてしまったのかもしれないと反省してはいるが、どう諭したものか考えあぐねている。
今の花と同じ年ごろだった頃の真紀子は、娘に似て思い込みが激しい性格でプライドも高かった。
高校時代に、ささいなことから友人関係を崩壊させてしまい、クラスで孤立してしまったことがある。
客観的に見れば真紀子に非があったのだが、当時の彼女はそれを素直に認めて友人に謝罪し、友人関係をやり直すということが出来なかった。
結局、高校卒業と同時に彼女は地元と友人達から逃げて上京する。
上京した真紀子はフリーターから苦労して、非正規の事務職ではあるものの、オフィスワークの仕事に就くことが出来た。
その時はようやく、地元に留まって生活しているかつての同級生が憧れるような、東京でのキラキラした生活が手に入ると思った。
かつての同級生達に勝利したようなつもりになっており調子に乗っていたのだと、今では恥ずかしく思う。
真紀子はそんな時に当時の職場に出入りしていた、取引先の営業マンと交際を始めたのだった。
男には妻子があったので、秘密の交際という形で。
周囲が知ったなら必ず「やめておきなさい」「だまされてるよ」と言われるような交際だったが、真紀子はのめり込んでいった。男の「君が妊娠するようなことがあれば、責任持って今の家族は捨てて君と再婚する」などという言葉を、心底信じていた。
だが、真紀子が本当に妊娠した時、男は彼女の「いつ奥さんと別れるの?」という問いかけに、しばらく言い訳を続けた後、あっさり転職して行方をくらました。勿論、(当時は今ほど普及していなかった)携帯電話の連絡もまったく繋がらなかった。
そして真紀子の雇用は打ち切られる。
弄ばれていたことに気付き、仕事も無くして途方に暮れた真紀子は、ようやくプライドを捨てて実家の両親に助けを求めて地元に帰った。
両親は何も言わずに傷ついた真紀子を暖かく迎え、真紀子は無事に女の子を出産する。
暫くは両親と、母が花と名付けた娘との穏やかな生活が続いた。
だが、地元でかつての同級生達の暮らしぶりを目にしてしまうのも、シングルマザーである理由の言い訳をするのも辛くなっていった。
結局、真紀子は周囲の目の気にするあまり再び上京する。
幼い花は両親に預けていた。東京での生活が軌道に乗ったら花を迎えるつもりだった。
両親は、このまま実家で暮らせば良いじゃないかと何度も真紀子を説得したが、結局は娘の意思を受け入れた。
再び上京したものの、当時はリーマンショックの真只中。年齢も30越えだった真紀子は、かつてのようなオフィスワークの職を得ることが出来なかった。
そこで真紀子はヘルパー2級の資格を取り、介護の仕事を始めた。
給与は高くないが、とりあえず求人の数だけはあったから安定して働けるし、正社員になれると思ったからだ。
実際働いてみると、手の遅かった彼女は先輩女子職員(真紀子と同じくシングルマザーが多かった)達の容赦ないイビりにさらされた。
それでも花との暮らしを実現するため、真紀子は逃げなかった。
叩き上げの介護職員達は、むやみやたらとプライドが高く、彼女にも冷たかった。
しかし、他の仕事で十分に食っていけるのに、この仕事が好きでやっているタイプの本物の介護職員や、リーマンショックで本職を失って転職してきた職員達は変な仕事への拘りもなく、真紀子を応援してくれた。
利用者の真紀子への評判はむしろ、ベテラン気取りの先輩達より良好で「辞めないでね」と懇願される程だった。彼、彼女らの評価に支えられ、日勤専従の非正規から、半年で手当てのつく夜勤を任されるようになり、1年で正社員に昇格することができた。
(その頃になると彼女を疑問の目で見ていた、先輩女子社員の態度も好意的なものに変わっていた)
相変わらず仕事は辛かったが、たまの帰省で会える花との東京暮らしを夢見て真紀子は頑張り続けた。
2年目が終わる頃になると、1か月の勤務で5、6回ある夜勤は過酷ではあったが、消費増税と引き換えの施策である介護職員への処遇改善手当増額もあって、30万超えの月収が手に入るまでになった。ここでようやく、真紀子は花を呼び寄せることにした。
祖父母と地元の友達と分かれることになった6歳の花は大泣きしたが、それでも母についてきてくれたのだ。
花は、最初は東京での暮らしに戸惑ったものの直ぐに順応した。
それからの真紀子は、ひたすら花のために生きて来たと言って良い。
夜勤に備えて日中寝るべき時間も真紀子は花のために起きて家事をしていたから、慢性的な睡眠不足になるほどだった。
それでも30代のうちはなんとかなったが、40代が見えると体力的にきつくなってくる。
腰や膝を痛め、故障を抱えながら働く職員を見て、自分もそうなるかもしれないと不安になった。
思春期を迎えた花の立ち振る舞いが危うさを帯びたこともあり、真紀子は職場を変えることにする。
彼女が新たに選択したのは同じ介護職でも現場スタッフではなく、管理職のサービス提供責任者だった。
管理職にもかかわらず現場職員よりも多少給料は落ちるが、一般スタッフと異なり日勤専従で夜勤が無い。だから生活時間帯を花と合わすことができるのが魅力だ。
元の職場は、職員の層が厚く彼女が日勤の管理職に抜擢されるには、相当順番を待つ必要があった。つまり昇格のチャンスは少なく、この点も転職理由になった。
職員リーダーの経験はあったものの、管理職未経験の彼女をサービス提供責任者で採用する施設は少なかったが、数社を受けてようやく次席候補での採用を手に入れる。
(結局のところ面倒な割に給料が下がる介護の管理職に成りたがる人間は、比較的少数派なのだ。)
新たな職場では立場上売上に責任を持たされ、書類仕事も多かった。若い頃のデスクワークの経験が活きたものの、前職と比べると新たな職場の職員の質は同じ介護現場でも数段落ちていた。
そのため職員間のトラブルや、利用者とその家族からのクレームが多く、スタッフをまとめるのには常に苦労が付きまとった。だが、花と自分の将来のためにと、なんとかやってきた。
花が高校生になった頃、真紀子を不幸が襲う。
実家で火災が起き両親が焼死してしまったのだ。
今まで何かと真紀子を助けて相談に乗ってくれた両親を失い、彼女にはもう頼れる人間は居なくなった。
他に親族が居ないわけではなかったが、疎遠でろくに連絡も取れない。
心の痛みに対しては「日にち薬」が効くのを必死に待った。
そうして、花は真紀子にとって全てとなったのだ。
合計20年近い東京暮らしでも真紀子はひたすら働いて節約した。自分は殆ど遊ばずに、花のために稼ぎを使い、少しでも貯金を貯め、親しい友人を作る時間さえなかった。
それでも真紀子は幸せだった。花が元気に暮らしていれば、それだけで満足だった。
その花は、親の心子知らずというか、高校でSNSへの投稿をめぐって友人関係に深刻なトラブルを起こしていた。真紀子が学校に呼び出される程だ。
学校側からの説明を聞く限り、真紀子から見ても花が悪いのだが、彼女は自分の非を認めなかった。
それどころか母が自分をかばわず、学校と友人の家族に平謝りしたことに不満を持つ有様だった。
学校で完全に孤立した花だったが、真紀子が関係者に平身低頭したおかげでなんとか卒業は出来た。彼女は見事に娘を守り切ったと言えただろう。
だが、次の難題が現れた。進学だ。
皮肉なことに両親の保険金のおかげで、花の大学進学の費用の心配は当面無くなっていたが、花は同級生と出くわしかねない都内での進学は嫌だったらしい。いきなり沖縄の大学に進学すると言い出したのだ。
都内が嫌なのは分かるが沖縄という極端さが花らしかった。
一応、修学旅行で気に入った、という理由を付けていたが、東京から出来るだけ離れたいだけだったろう。
真紀子はどうにも離れた土地で花に一人暮らしをさせるのは心配だった。今の娘を一人で好きにさせていたら、失敗をしでかすのは目に見えている。多少の失敗はいい経験になるだろうが、それでは済まないかもしれない。
例えば、ろくでもない男に弄ばれた自分より酷い失敗をしそうだった。だいたい、花は高校での大失敗すら反省できていないのだ。
そういうわけで母としては、せめて花が経済的に自立できるまでは一緒に暮らした方が良いと考えていたから、何度か花を説得しようとした。
しかし親子の相談はかみ合わず、ケンカの末に押し切られてばかりいた。進学先は結局、花の希望通りに沖縄県内になっている。
羽田から花を沖縄に送り出す時、別れ際に精いっぱいの忠告を口にした。
「花!あんた、思い込こんだら変に思い切りがいいんだから。変な人に騙されないようにね!何かするときは、立ち止まって。できたらお母さんに相談してからにしてね。スマホばっかりしてちゃだめよ!」
それに対する花の返事は、
「わかってるって。何度も言わんなくてもいい!それにSNSはアカウント消されたから、やりようがないの!」
という程度だった。花がどこまで真紀子の話を聞いていたのかは分からない。
娘は手荷物を持って振り返りもせず、怒ったように速足で国内線出発ゲートに入っていった。
それが、真紀子が無事な一人娘の姿を見た最後だった。
後に真紀子は、この時「行っちゃダメ」と、花を抱き留める夢を、何度も見ることになる。