侵攻1ヶ月前
2025年3月4日 13:08 東京
総理の執務室には、数名の閣僚が総理と共に居た。
沖縄で起きた騒ぎの対策を協議している。
「見え透いた偽旗作戦です。」
総理に対して、国家公安委員長が発言していた。
先日発生した那覇市内における警察不祥事疑惑と、それに対する抗議活動についての見解だ。
偽旗作戦とは、ある勢力が対立する勢力を非難しようとする時に、あたかも自身が攻撃された「被害者」に見せかける行為。国家公安委員長は今回の件は、その類だと言い切った。
「真実は両県警が既に発表した通りです。
沖縄独立とやらの主張も、一部の活動家と中国のサイバー戦部隊が煽っているだけで、当の沖縄県民は困惑しているのが実情です。
ただ、従来の市民活動家グループに加え、新たな学生組織が急速に規模を拡大しております。
かれらは活発に活動していて、これ以上のデマの拡散には引き続き注視している状況です。」
中国の諜報組織が沖縄の大学にかなり浸透していることを公安は把握していた。
中国側には高校生の個人情報が、かなり流出しているらしい。
性格的に興味のあることにのめりこみ易く、かつ一度そうなると、周囲の忠告に耳を貸さなくなる者。
高校時代に問題を起こして相談できる友人が少なく、孤独を感じている者。
実家と離れて暮らしており、家族が危険な変化に気づきにくい者。
当初の志望校からランクを引き下げて沖縄の大学に来たため、自己肯定感が低い者。
そして、承認欲求の強い者。
これらの条件を持つ者があらかじめ選別されて、狙い撃ちで勧誘されているようだった。
ちなみに花は、これらの条件の全てを満たしており、中国側の評価は満点だ。
彼女を含め多くの若者が、大学生という自由な時間の多い立場を存分に利用し、最初は環境保護サークルの活動を熱心に行う。
しかしサークルの実態は沖縄独立運動と、中国の侵攻そのものを補助することが本当の目的だった。
既に沖縄ではこういったNPOや学生サークルが、アメーバのような連合体を形成している。
内部に取り込まれた学生達は、徐々に沖縄の自然を守るには、沖縄を日本とアメリカの横暴から守る必要がある、と思いこまされる。
そうして学生達は、正義感に基づいて沖縄独立運動にのめり込んでいく。
本人も気づかないうちに年配の活動家、いや中国情報機関の手先の駒として動く人間へと、驚くべき短期間で変貌していくのだ。
そして当人達は、沖縄に進学したおかげで自分は変われたのだと、無邪気に思い込んでいる。
一生に一度の幸運を手放すものかと。今、自分は人生で最も充実した時間を送っていると信じていた。今まさに、超えてはいけない一線を越えようとしているのに。
かつて昭和時代の過激な学生運動の果てに、他人を巻き込んで自らの人生を破滅させた若者達も、そのような心境だったかもしれなかった。
花個人に関して言えば、沖縄での大学生活は彼女にとっては自分の性格と高校時代に犯した失敗について、ゆっくりと向き合う貴重な時間となったかもしれなかった。
そうなれば、猪突猛進気味の行動に、落ち着きが生まれていた可能性があったのだ。
大学時代にも失敗を犯すだろうが、それも踏まえて、なんとか社会人生活を送れる程度の性格に矯正できたかもしれない。
あるいは、持ち前の行動力と合わさり、周囲の人間に恵まれさえすれば、殻を破って大きな飛躍すらあったかもしれなかった。
だが、現実はそうはなってはいない。
彼女は自分の欠点を省みることも無く、ひたすら中国の陰謀の小さな歯車となって走り続けている。
そして、その現実にまるで気づいていない。
真紀子を含めたわずかな接点のある人間は、貴重な忠告を発した。だが彼女の欠点は、それらに対して聞く耳というものを失わせていたのだ。
「例の神奈川県警のひき逃げ動画とやらも、よく検証すれば、捏造された代物であることはすぐに分かるでしょう。この騒ぎは1月足らずで沈静化するはずです。むしろ中国側の暗躍の証拠になるかもしれません。」
「中国の仕業としてだ。何が目的だ?こんな雑な偽旗作戦の。」
「単なる嫌がらせか、シンパの拡大を狙ったものか。あるいは、さらに大きな動きへの布石かもしれません。」
「布石?何の?まさか沖縄が日本から独立を宣言して、中国に助けを求めて、それを根拠に中国軍が攻め込んでくるとでも?台湾にだけでなく。」
今度は、それまで黙っていた防衛大臣が発言した。
「あながち冗談とも言い切れません。
防衛省は米軍と共有している情報を含め、中国軍の動きが急速に活発化しつつあるのを確認しています。中国の空母2隻が、南シナ海と宮古海峡に向けて出港しました。
米軍は横田基地の在日米軍司令部および日米統合作戦調整センターの人員を増やしています。
最悪の場合。本当に最悪の場合ですよ・・・。」
防衛大臣は言葉を一瞬飲み込んだ。本当にこれを言ってしまっていいのだろうか?
「自衛隊に防衛出動命令を下す。そのお心積もりをされておいた方がよろしいと思います。」
「防衛出動・・。」
閣僚達の間から呻き声が漏れる。誰もが内心で、もしやとは思っていたが、防衛大臣が初めてその可能性をはっきりと口にしたのだ。
総理は目を閉じて、しばらく考えてから答えた。
「・・分かった。自衛隊の準備状況は?」
防衛大臣は、規模はわからないが、おそらく武力衝突がアジアで発生するだろうと予想していた。
その時に総理が判断を誤らないように、文民として彼に助言をするのが自分の役割と認識している。
自衛隊の防衛出動を命じることが出来るのは、総理大臣だけなのだ。
だが、その責任はあまりに重い。
後の世から見れば「なぜ防衛出動を命じなかった?」と批判を受けるような明白な危機でも、当事者にとっては難しい判断になりかねない。
その時になって総理が判断を誤らないためには、誰よりまず、自分が状況を正確に把握しなければならないと防衛大臣は心得ていた。
公設秘書と共に総理官邸を出た防衛大臣は、私設秘書と合流する。
彼は公用車に乗って、彼女達を待っていた。
私設秘書は芸能界時代のマネージャーでもあった。もう20年以上の付き合いになる。
気心は知れているが、彼女が防衛大臣になってからはセキュリティの問題で同行できない場面が増えていた。
「このまま市ヶ谷ですか?」
「ええ、そうよ。でもその前に一杯コーヒー飲みたいかなあ。」
「もう買ってありますよ。ちょっとしたスイーツも。」
「あら!ありがとう!相変わらず気が利くわね!車の中で頂くわ!オヤツは何にしてくれたの?」
「ふふん。開けてのお楽しみですよ。」
責任の重さにストレスを感じていたのは、彼女も同様だった。秘書の差し入れは思いの他、彼女に元気をもたらした。
この日から事態は急速に展開していくことになる。
中国では「長征計画」は「長征作戦」に切り替えが行われていた。