中央軍事委員会
2024年3月11日 13:00 北京
中国では最大の政治的イベントである全人代が終わったばかりの北京では、中国軍の最高意思決定機関である中央軍事委員会の会議が開かれていた。
会議の主席は、中国共産党書記長にして国家主席。彼が会議の口火を切ると忠実な会議のメンバーは熱心な態度で聞き入る。
「皆、全人代の直後に改めて集まってもらったのは他でもない、全人代では我が国の経済は着実に成長を続けているとした。
だが皆承知している通り、実際には我が国の経済は残念ながら下降に入っている。それが実態だ。
それに伴い軍の強化も緩めざるを得ない。ならばその前提の上で、新たな方針を軍に対して示す必要があると考える。」
国家主席の言葉が続いた。
事態を変化させたのは、2年前の2022年だった。
この年の2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、ロシア・ウクライナ戦争が勃発。今も継続している。
世界の国々は、ロシアだけでなく、同じ権威主義国家である中国もまた、武力による現状変更を試みるのではないかとの疑念を抱き、その動向に警戒心を持った。
特に西側諸国はそれまでの比較的融和的だった態度を一変させ、中国との関係を見直すに至っている。
(彼等にしてみれば経済的な繋がりを優先して、西側の価値観と相反する問題があっても目を瞑って済まして来たことが、ロシアによるウクライナ侵攻を招いたからだ。このままでは同じ過ちが、より大規模にアジア太平洋地域で再現されかねない。)
それだけではない。日本は中国を包囲する目的の同盟関係の構築を策謀し続けている。かつて日本とアメリカのみだった同盟関係は、同調する国を近隣で増やし、中国を取り囲もうとしている。
韓国、台湾だけでなく、オーストラリア、ニュージーランド、ベトナム、フィリピン、インドが程度の差こそあれ、日米との軍事的な関係を強化している。
もちろん日米台や西側諸国は軍備増強に走っていた。
対して中国の同盟国と呼べるのは、ウクライナで消耗しきったロシアと、経済が実質崩壊してミサイルと核以外に取り得の無い北朝鮮くらいしかない。
インドネシア、イラン、南アフリカ、中東やアフリカ諸国はビジネス以上の関係ではなかったし、一部の国は中国からの莫大な経済援助の恩義を忘れ、借金を逆恨みしている有様だった。
せっかく日米台の中国に対する警戒心が緩みきっている間に、圧倒的な経済成長を背景として、加速度的に軍事バランスを優位に持ち込むことにより、アジア太平洋地域のパワーバランスをアメリカの圧倒的優位から、中国優位にしようとしていたものを。
しかも、中国経済が下降線をたどっているならば、中国と日米台の軍事バランスは今が最も中国にとって有利ということになる。
中国国内においては圧倒的な権力基盤を持つ国家主席だったが、彼とて次の任期を手中にして続投できるかには確信が持てなかった。
それだけ今の中国が抱える経済問題と人民の潜在的な不満は深刻なのだ。どれだけ規制してもネットには政府への不満が溢れている。
人民は偉大な国家主席がこれまで成し遂げた、数々の業績のことなど忘れ去ってしまったかのようだった。
人民の賃金と生活水準は飛躍的に上昇していたが、単価の上昇を招き、かえって中国は世界の工場としての地位を失いつつあった。
そのため諸外国の投資は今や中国ではなく、インド、東南アジアにシフトしている。そして終わりの見えないコロナの流行、不動産価格の崩落、急速に進む高齢化、それにもかかわらず未整備なままの社会保障制度、貧富の格差の拡大、どれだけ摘発しても根絶できない政府組織の腐敗と環境汚染。そしてこれらを原因とする経済の失速。
(いい加減、西側諸国は毎年の5%の経済成長が、「盛った」数字だと気付いている。)
どれも過去、全力で解決に取り組んだものの、未だ根本的な解決に至っていない深刻な問題だった。このままだと人民の不満は高まるばかりだ。
だが国家主席は自分以外に、この難局から中国を救える指導者は今後も居ないと確信している。
そのためには間もなく任期を終える彼が、次の5年も国家主席を務めることが絶対に必要なのだ。
したがって今必要なのは、解決が困難な経済分野以外での、人民が熱狂し、国家主席の指導力を改めて認識するような大きな実績だ。
オリンピックや万博誘致程度では人民は飽いている。
それが手に入る手段が一つだけあり、しかもそのチャンスは時間と共に失われていく。
「ここまで言えば聡明なる委員会の諸君には、次に私が何を言うか予想できると思う。」
一気に語り終えると国家主席は水を口に含み、充分に口腔を湿らせてから飲み下して、間を取る。
会議のメンバーが気持ちを新たに自分に注目しているのを確認する。
そして、おもむろに口を開ける。
「同志諸君。私は偉大なる歴代国家主席と人民の悲願である、台湾統一を果たす。今を逃せば統一は時間と共に難しくなるだろう。今が決断の時だ。
この壮挙が成功した時、アメリカは世界の覇権を失うだろう。そうなった時こそ我が中華人民共和国の時代が訪れる。過去200年に渡って、欧米が我が中華民族から奪った世界の中心としての地位を今こそ取り戻すのだ!」
会議の出席者は快哉を叫び立ち上がって拍手をした。