春節
2025年1月18日 11:00 北京
春節休暇中の張少将は、家族を伴い北京郊外の大型ショッピングモールを訪れていた。
いつもの春節休暇なら国内旅行に出かけるところだが、事態急変に備えて張少将は北京周辺から離れることが出来なかったのだ。
人民解放軍は春節と、その前後一週間にそれぞれ長期休暇期間を設定し、3交代で全軍将兵に休暇を与えていた。
張少将は1陣を選択している。春節期間中は混雑するし、それより後だと本当に事態が急変して、予定が切り上げられるかもしれなかった。
開戦前には軍人に季節外れの休暇が与えられがちだが、たまたま春節が近かったために、人民解放軍の休暇は例年と比べても、それほど違和感の無い日程になっていた。
そう。長征計画の発動まで2か月半を切っている。
公式にはまだ張少将は知らないことになっている計画だと、春節明けから国家主席、首相、外相が手分けして各国を訪問し、計画発動後の国際社会の支持を得るべく根回しをすることになっている。
2月に入ると、米軍の警戒を呼ばないよう、中規模な演習が国内の演習場で繰り返される。
3月になれば、いよいよ部隊の移動が本格化する。中でも海軍機動部隊は、演習名目で全軍の先頭を切ってグアム方面へ出撃する。物資は米軍の衛星の目を盗んで移動を続け、既に沿岸部に相当量が集積されている。
そして4月になれば・・・。
当初難航していた統合司令部の人事は、司令官を劉海軍上将とすることで決着。それからは順調に進展しているらしい。
モールのベンチに張と父は並んで座っていた。
妻と子供二人とそれに母は、子供用品店に入って出て来ない。
父子は手持無沙汰に店から彼等が出てくるのを待っていた。
しばらく無言だった父がつぶやく。
「ここは鳴り物入りで去年オープンしたモールだったな。来てみれば空きテナントだらけじゃないか。今年の春節も景気が悪くなりそうだな。いや、どうだろうか?不景気なればこそ、各家庭は春節だけでも豪華にしようとするだろうか?」
「どうだろうね。僕は経済のことは良く分からないよ。軍のこともね。」
「少将にまでなっておいてよく言う。」
張が父を軍から追いやった当時は破綻していた父子関係だが、父が釈放されてしばらく経過した今では修復している。
父が歳をとって性格が丸くなったこともあるが、結局は張が軍で出世していることが大きい。
陸軍ではないものの将官にまで栄達して、おまけに国家主席にまで目をかけられているとなれば、父に文句は無かった。手塩にかけた部下達が軍から追われたことにわだかまりは残ってはいたものの、結局のところ父は一人息子に甘かったのだ。
張も、丸くなって母に優しくなり、二人の孫を可愛がる好々爺に変化した今の父は好きだった。
彼は若い頃の欧米への憧れはもう捨てている。
父が良い方向に変わり、妻子も出来た。家族を捨てるような真似をせずとも、現体制下で十分以上に望む生き方をしていけると考えている。
そういうわけで、父子は今まで何も無かったように並んで座っていた。
「ところで大丈夫なのか?お前の任務は?私のところにまで妙な噂が流れている。
私のような情報の素人が暇潰しにネットを眺めているだけでも、去年とは異なる物を感じる。
私程度が違和感を感じるということは、米帝に秘匿するのは難しいんじゃないのか?」
「なんの話だい父さん。ネットにはデマとフェイクニュースが大量に溢れているものだよ。気を付けて欲しいなあ。」
「まあ。良い。だが・・・。国家主席のお考えはいつ変わるとも知れない。あのお方には気をつけろよ。
私も党から暗黙の了解を頂いてもらっているものと思っていた行為が、ある日突然国家主席のご意思で罪になった。
お前もあちこちで恨みを買っているのだろう?足元をすくわれぬようにすることだ。」
張は父を制止した。
「父さん!滅多なことは言わないでくれ!」
「おや。お前達の開発した人民の監視システムは、街角の世間話まで監視できるようになったのか?」
「音声監視システムはまだ作ってる途中だよ。それでも誰が聞いているか分からない。僕は国内諜報の全てを把握してるわけじゃないんだ。頼むから。」
「済まなかった。まあ、忘れてくれ。おや、買い物が終わったようだぞ。」
店からようやくのことで、妻子と母が出てきた。次は昼食をどこでとるかの家族会議だった。