生きてるんだから食べなきゃ損!
2026年3月 東京
4月が近づく。あの戦争「沖縄・台湾侵攻」から早くも1年が経とうとしていた。
真紀子は桜を見るのが苦手になった自分に気付く。
以前は楽しみにしていたのに、今はどうしても、花を失った時の記憶に繋がってしまうからだった。
そして彼女は、娘が東京に帰ってくる夢を見ることが増える。
夢の中で真紀子は、心の底から喜んだ。
ああ、花、生きてるじゃない!誰よ?花が死んだなんて言ったのは?もう、どこにもいかないでね!
そして夢は唐突に、あの日の羽田へ飛ぶ。
真紀子は必死に、羽田から沖縄へ旅立とうとする花を止めようとする。そこで目が覚めるのだった。
夢でも花に会えたことは嬉しかった。
だが、目覚めると同時に、花がもうこの世にいないことを思い知らされ、反動で言い表しようの無い寂しさと悲しみに苛まれた。
里奈もテレビで関連する番組を見てしまうせいか、普段よりも元気が無いように見えた。
訳もなく怖がったり、泣いたりする時もあった。
真紀子は当分の間、里奈にあまりテレビを見せないことにする。
政府主催の戦没者慰霊祭の案内が来ていたが、真紀子は不参加を選択した。
里奈が同行できないし、留守番もまだ無理だった。
後に里奈がもう少し大きくなり「お泊り」が出来るようになると、大臣家が恐縮する真紀子に「遠慮しなくていいから」と、定期的に里奈を一晩預かるようになった。
自称「嫁の尻にしかれ度、N年連続1位」芸人の夫をはじめ、大臣の家族は諸手をあげて里奈を可愛がり、おかげで真紀子も適度に休むことが出来た。(それが動機で政治家になっただけあって、大臣は夫婦揃って根っからの世話好きでもあった。)
そして、里奈が5歳になる時に数日の間預かってもらって、真紀子はようやく宮古島を訪れて心残りだった、下地家の墓参りを果たしたのだ。
花が亡くなった現場のゴルフ場は、今では陸上自衛隊の駐屯地になっていた。
石橋と白神は、宮古島に行く時は連絡して欲しいとのことで、習志野に連絡したものの、生憎二人とも任務のため、またしても当時の状況を現地で真紀子に説明することは出来なかった。
だが、二人の紹介で真紀子は駐屯地に入ることが出来たのだ。
313高射中隊が展開し壊滅した現場と、花が亡くなった地点には、それぞれ慰霊碑があった。
真紀子はそれぞれに献花する。
313高射中隊の人的被害そのものは、石橋達の警告が功を奏して、最小限と言って良かったが、犠牲が出たことに変わりは無かった。
駐屯地を案内してくれた幹部隊員の説明を聞いた真紀子は、少し考えを変えた。
澤崎は罪を背負う必要は無いとは言った。
だが、花が何をしてしまい、そもそもどうして戦争になり、花を助けることは可能だったのか?事実関係を知っておく義務は、あるように思われたのだった。
東京に帰った真紀子は教村の新聞社が出版していた、「写真で見る 沖縄・台湾侵攻」他、数冊の書籍を買い込み、ネットも参考にしながら事実関係を把握しようとした。
だが、国際政治史としての「沖縄・台湾進攻」は未だ検証と研究段階にあって、結論と言えるものはまだ出されていない。
真紀子が衝撃を受けたのは、花が313高射中隊の壊滅を招いたことが、宮古島における空襲の被害を拡大し、激しい地上戦が行われる原因になった、という指摘が多かったことだった。
薄々とは思っていたが、やはり花のせいで里奈は家族を失い、その里奈を自分が育てているのだ。
これは罪滅ぼしと呼べるものなのだろうか?
いや、事実関係を知らないまま、里奈の側に居ることの方が無責任ではないか?
真紀子は葛藤に苛まれた。
インターネットの情報は、より遠慮が無かった。
SONのメンバーでも、最大の被害をもたらした「戦犯筆頭」として、花は激しく非難されていた。
「親も連帯責任」「家族諸共国外追放でヨシ」等と過激な文言に溢れており、かつて勝部が、ネットの情報はあまり見ない方が良いと警告したのも分かる。
事実はある程度把握したものの、真紀子にとっては辛い結果だった。
そんな彼女の様子を見て、事務所では大臣も私設秘書や他の事務員達も、もう充分だから止めておきなさいと諭した。後は澤崎が言う通り、里奈との生活だけを考えれば良い。
それでも何か責任から逃れているような気がするなら、教村の取材を積極的に受け入れてはどうか?という提案もあった。
真紀子はその通りにした。
2030年4月 東京
戦後5年。世間はある程度戦争を忘れ、逆に新たな自衛隊が形となりつつある。
真紀子はケアマネージャーの資格を取得。長らく世話になった事務所を退職し、正社員として介護業界に復帰する。
その頃には彼女の苗字に反応を示す者は減っていた。
たまに個人的に当時のことを聞かれることもあったが、八木花の母であることを理由に、理不尽な扱いを受けることは無かったし、真紀子も相手を見極めた上で、当時のことを話せる程度には心の整理はついていた。
事務所側は快く、真紀子を送り出すと、多忙な大臣も事務所に顔を出して「他人じゃないんだから、また困ったら相談してね。たまにはお茶飲みに来てよ。約束だからね!」と言ってくれた。
事務所には真紀子だけでなく、常に「訳アリ」の女性が事務職員として数人雇用されている。
本人のプライバシーと、大臣が偽善者呼ばわりされるのを嫌って、大っぴらにしてはいない。
彼女達は、自立できる目途がたったら、事務所を退職していった。
これが、かつて困難な状況にある女性の救済を主たる活動目的に掲げながら、自分達の活動を続けるために、その自立には消極的だった、かつての悪徳NPO群とは決定的に異なる点だった。
今や彼等は日本には存在しなくなっているが。
だから、自立の準備が出来た真紀子は、次の誰かのために席を空けるべきだったのだ。
そして日々は流れ、里奈が小5のある日、真紀子が恐れていたことが起きた。
6年生の女子数人が面白半分に、里奈に「アンタの親は本当の親じゃない。本当の家族の仇だよ」と告げたのだ。
その日の出来事を里奈から告げられた真紀子は、とうとうこの日が来たと思った。
いつか里奈に話さなければいけないと思いつつ、余りに複雑な事情の説明を行うタイミングを決めかねていたのだ。(かつて勤めていた事務所の人間達は、いつでも相談しに来て良いと言っていたが、さすがに退職した後で、いつまでも個人的に甘えるのはどうかと思ってしまったのだ)
だが、里奈は「私、そいつらに言ってやったのよ。え?何それ?それで私が傷つくことを期待してたわけ?残念でした!お母さんはお母さんだし、宮古島に住んでたこともとっくに知っているし、宮古島の家族も、花お姉ちゃんも私の大事な家族だし、何より私は幸せなの。アンタらみたいなしょうもない奴らと違ってね!ってね。」
それを聞いた真紀子は「いままで黙っててごめん」と言って里奈を抱きしめる。
娘はあきれたように「お母さん苦しいって・・・。」と言った。
2035年4月9日 08:30 東京
真紀子と里奈は揃って入学式に出発する。
真紀子の中で、葛藤は未だに残っている。
花の罪も、花を止めることができなかった後悔も、救うこともできなかった悲しみも、全てに責任を感じてしまうことも消えることは無い。
だがそれでも真紀子は、花のいない世界で生きていくしかなかった。
暗くなりかけた真紀子の気持ちを、里奈が吹き飛ばしてくれた。スマホを見せながら、母に提案する。
「ねえねえ!お母さん!お昼はやっぱりファミレスでいいよ!その後、ここのスイーツバイキングに行こうよ!」
「あら!それはいいわね。そうしようか!」
2035年4月9日 11:30 東京
入学式を終えた真紀子は何かを思い出した。
「ちょっと待って。里奈?あなた最近食べ過ぎじゃない?やっぱりスイーツは無しにしよう?」
「ええ?ええええー!?そんなあー!ここまで来てそれは殺生だよおー!お母さんお願い!部活入るからー!ね!いいでしょ!
せっかく生きてるんだから、おいしいもの一杯食べなきゃ損だよおー!」
里奈は真紀子の腕にすがりつき、うるうると目を潤ませて必死に訴える。
「ああ、もう。しかた無い子ねえ・・・。分かったわ。食べた分は部活頑張りなさいね。文化系でしたってオチは無しよ?」
「やったー!お母さん、大好きー!!」
そう言うと、里奈は真紀子にすがりついたまま、猫のように甘える。
仲良く歩く二人の遥か頭上の青空を、二筋の飛行機雲が通り過ぎて行く。
飛行機雲の源になっていたのは、開発が前倒しされ、先行配備が去年始まったばかりの、(今や航空「宇宙」自衛隊の)新鋭戦闘機F3「テンペスト/烈風」2機編隊だった。それぞれ長距離飛行用燃料タンクと、レーダーリフレクターを搭載して百里基地を離陸している。
百里で編成された臨時F3飛行隊は、各基地を巡回し、運用テストを行っていた。今日の行き先は那覇基地、その後は馬毛基地、下地基地。
リーダーはかつて204飛行隊で最初から最後まで沖縄上空の激戦を戦い、4機を撃墜して生き残った橋本2佐。ウイングマンは、10年前とは見違える程精悍になった新垣2等空尉だ。
橋本は戦闘機パイロットとしては自衛隊最高齢で、引退を目前に控えており、臨時F3飛行隊隊長職が最後の花道であり、このフライトが事実上のラストフライトだった。
橋本は無線で新垣に話しかける。「ニル、緊張しているか?」
「あれ?ハッチさん、何で分かるんですか?」
「故郷へ凱旋だろ?親御さんも待っていることだし、照れくさいんだろ?」
「敵いませんね、お見通しの通りですよ。」
「ニル」が新垣のTACネームだった。
新垣は教育課程で実技の成績が抜群にもかかわらず、「航空法」「気象」「航空力学」といった座学の成績は常に落第寸前だった。
実用機過程、特に抜擢されてF35過程に入ると、その傾向は拍車がかかり、F35の性能を発揮するのに必須である、システム関連座学の成績は酷いものだった。
システムをどう扱ってどう戦うのか?という命題に対する理解は直ぐに出来できるのだが、基礎的な理解がどうして、という程出来なかった。
教官が「お前の頭はカラか?」と呆れるほどだった。
そんな様子が教育隊から飛行隊に伝わっていたのだ。最初に新垣は201飛行隊に配属されたのだが、着任の儀式としてTACネームを決める時に、J11キラーの田辺3佐が、システム用語で「空っぽ」を意味する「ニル」(ヌルと言うのが一般的だが)にしようと提案し、そのまま採用されてしまったのだ。
橋本が指摘したとおり実際新垣は緊張している。
それは沖縄で侵攻10周年の式典が開かれているからだ。
しかも二人はこれから、本来の任務に併せて式典会場を、ブルーインパルスの前に慰霊飛行する役目がある。
会場には橋本が言う通り、新垣の両親をはじめ、多くの人々が参列する。(八木母子は招待されていたが、今回も謝絶していた。)
新垣にとっては今回の大役が誇らしくもあり、照れくさくもあり、当時のことを思えば切なくもあるのだ。
一連の沖縄航空戦で最も激しく戦ったパイロットの1人で、もうすぐラストフライトを迎える橋本。
当時は不良少年ながら、真っ先に人命救助に参加。後に売国奴に堕ちる知事を殴り飛ばし、その後に更生して立派なファイターパイロットになった新垣。
2人の抱える物語は、この人選を納得させるものが十分にあった。
式典は本来、開戦の日である2日の予定だった。それが季節外れの暴風雨で、1週間延期になって9日開催になったのだ。
それでも政府関係者は万難を排し、リスケジュールして馳せ参じている。
その顔ぶれは、今や初の女性総理となった当時の防衛大臣。澤崎議員と、かつて中村という苗字だったその夫人他多数だ。
さらに那覇基地では新垣の悪友、平良が今や整備員となって2機の到着を待っている。
2人は今度こそ沖縄には指一本触れさせないという、強い決意を胸に沖縄に向かって飛んでいく。
嬉々として店に向かおうとしていた、里奈が空を見上げると急に足を止めた。
「ねえお母さん、見て見て。珍しいなあ。飛行機雲が2本並んでるよ。」
「あら本当だ。綺麗だね。」
たまたま見上げた空は、東京にしては広く透き通っているようだ。
偶然にも母娘が立ち止まったのは高台で、しかも周囲には高い建物も電線も少なく、空が良く見えた。
そこを駆け抜けて行く2本の飛行機雲。
真紀子は随分久しぶりに、晴れやかな気持ちで、空を見上げている自分に気付く。
空気には冷たさが残るが、陽射しは暖かった。そして、この時期特有の心地良い風が吹いている。
真紀子は陽光と空気を味わい、亡き娘に思いを馳せた。
(暖かいなあ・・。花も上から見てるかなあ・・・。)
「お母さん!」
里奈が少し真剣なまなざしで、話しかけてきた。
「・・なあに?里奈?」
ちょっとだけ照れくさそうにして、里奈が言う。
「私、お母さんの子になって良かった。本当に大好きだからね!」
「・・ありがとう。・・里奈。私も大好きよ。」
2人はそのまま足を止め、沖縄の方向へ向かっていく飛行機雲を見送った。
--沖縄・台湾侵攻 2025 Easy Mode --End