Raspberry Pi
2025年10月4日 10:30 北京郊外
張予備役少将は自宅で長男と遊んでいた。
張の父はその様子を眺めていたが、二人の遊びは彼の思う「遊び」とはかなり様子が異なっていた。
息子は「オープンアーキテクチャを使った簡単なIOT工作」を孫に教えていると言っていた。
もうこの時点で何を言っているのか分からない。
息子は外国から「ラズベリーパイ」なる小型機器を取り寄せていた。
手のひらに乗るようなサイズだったが、息子に言わせれば、これでも立派なパソコンらしい。
「ラズベリーパイ」とやらは基盤がむき出しで、息子はノートパソコンと、別の基盤をさらに配線で繋げていた。
息子と孫はノートパソコンを操作していたが、そのノートパソコンではなく、「ラズベリーパイ」とやらに差し込んだUSBメモリにインストールした、リナックス・ディストリビューションを操作しているのだという。
この説明に至っては、最早、はるか昔の道士が死者を蘇らせる怪しげな術に聞こえる。
さらにノートパソコンで孫が息子に手伝ってもらって作った「python」なる言語によるプログラムを、「ラズベリーパイ」なる機器に送りこんで実行させる。
するとあら不思議。
別の基盤に差し込んであった、センサーが動きだし、その結果が同じく基盤に差し込んであった、小型ディスプレイに表示されるではないか!
孫はきゃっきゃっと喜んでいる。
うむ。この子達なら自爆ドローンくらいは軽々と作ってしまうに違いない。
(しかも、「ラズベリーパイ」を動かすOSも、「python」も、その他のミドルウェア、ソフトウェアも、殆どが公式に無料で手に入るものだという。
張の父が現役の陸軍士官だった頃、軍で使用していたソフトはアメリカのソフト会社に利用料を支払うのが嫌で、違法にコピーした物だらけだったことを思えば、信じがたい話だった。)
息子と孫の遊びとはこのようなもので、息子はいつもその様子を動画にして、中国全土の子供達向けに配信していた。
実際に工作とプログラミングに取り組む子供から質問を受けたら、丁寧に回答している。
子供達は親切丁寧にプログラムを教えてくれるvtuberの小父さんが、半年前の長征作戦総司令官だったとは夢にも思わないだろう。
中には、親が長征作戦で戦死した子もいるかもしれなかった。
息子は、たった3日で約10万の部下を死傷させたことについては、考えないようにしていると言っていた。
考えてみれば、彼の息子はずっと、このような生活がしたかったのだ。
今の姿が本来のものなのだろう。
彼は思った。降格の上、予備役に編入された息子だったが、このまま世間に忘れられ、こうして暮らした方が幸せかもしれない。
彼にも長征作戦の内幕が、どのようなものだったかは察しがついている。
方針変更を繰り返した末に、政治指導部の意向により長征作戦は極めて投機的な作戦になった。
双方の戦力比がもっとも優位な現時点で侵攻を行い、可能な限りの現状変更を行う。
国家主席の考えは、一言で表すならそうなっただろう。
だが、ロシアとは異なり、きっちりと損切りを決断する最低ラインが定めてあったのだ。軍には内緒で。
無論あわよくば、台湾本島や沖縄の一部を奪取できたなら、それに越したことはない。
途中までは本気でそれを望んでいたに違いない。だが、損害を度外視した攻撃でも不可能と分かった時、国家主席はあっさりと2島の奪取で良しとし、過程で生じた大損害の責任は張に押し付けてしまったのだった。
無論日米台だけでなく、国連も国際社会の大部分も、金門、馬祖両島の占領を公式には認めていない。だが、そこを中国から奪い返すことが不可能に近いことも分かっている。
故に、中国の人民の大半は「戦場では負けたが戦争には勝った」と考えていた。
なんといっても、日中戦争も「戦場では負けたが戦争には勝った」から、人民は喜んで国家主席の提示したナラティブを信じている。
そして、双方の戦闘交換比率を悲惨なものにした張の強引な作戦を批判し、それを止めた中央軍事委員会と国家主席の英断を称賛していた。
だが張の父はそれで良かったと思う。
国家主席は当たり前のように、権力に居座り、国内の統制を強化している。
彼はあまりに偉大な存在になりすぎた。その後継者争いは熾烈なものになるだろう。
いや、そもそも国家主席は権力を他人に譲り渡そうとするだろうか?
世襲に走ることも十分に考えられる。
そうなった時、後継者を狙う側近達、わけても戦功のある英雄の存在は邪魔でしかなくなるはずだった。
あくまで結果的にそうなっただけだろうが、戦争の落し所としては絶妙に中国に優位だとも思った。
仮に、台湾や沖縄の一部を占領することに成功した場合、その先はどうなったか?
日本もアメリカも、諸外国もその事実を認めなかっただろう。
そうであるなら、台湾と先島を確保するため、必然的に次の段階として、沖縄本島とフィリピンに侵攻することになったかもしれない。
その時は、怒り狂ったアメリカと日本に加え、戦場を西太平洋で留めておきたい、オーストラリアや、ニュージーランド、カナダすら参戦してくるかもしれない。
それでも勝てるかもしれない。だが、その次はより広範で大規模な戦争が待ち構えている。キリが無い。
あの大日本帝国や、ナチスドイツもそうやって破滅して行ったのだ。
戦場で負けたことにより、その先に待ち受けていただろう、世界を巻き込んだかもしれない破滅を中国は回避したのだ。
もしかしたら、息子はわざと敗北することで、世界を救ったのかもしれない。いや、いくら何でも親の贔屓がすぎるか・・。
中露の元首が行ったことは、古典的な手法だ。
つまり内憂が解決できないので、外患を自ら作り出し、国内のガス抜きと統制の強化を行い、自らの権力を正当化する。なんのことは無い、歴史は繰り返したのだ。
「だが・・・。」
中露の「成功」を見て、明らかに世界中の権威主義国家が、体制維持のための武力行使に誘惑されつつある。
我が国にしても、国家主席の権力が緩む度に、引き締めのために限定戦争を繰り返すという未来になりかねない。
それに、アメリカは今回の武力衝突をきっかけに、従来の「戦略的曖昧さ」を捨て去り、明確に台湾の独立を支持した。
これを受けて中国が断固として反対してきたはずの、台湾独立は必至の情勢だ。
台湾が独立を宣言したところで、これを阻止するための戦力は失われてしまっている。
軍の回復には10年は必要だろう。台湾は多大な犠牲と引き換えにした、この機会を逃さない。
どうしても、台湾独立を阻止したいなら、核でも使う他無い。
さすがに国家主席もそこまでは、いや、独裁者は自分が権力を握れていない世界になど、未練は無いだろう。世界を平然と道連れにしかねない。
国家主席の決断は、向こう何年かの権力の安定と引き換えに、台湾独立を手助けするという皮肉な結果を生んだのだ。
そして、日米や周辺国との決定的に対立してしまった。
今後の中国には、ロシアやイラン、北朝鮮程度としか友好国と呼べる国が無い。グローバルサウスとやらはアテにならないと思う。
祖国は海洋国家群にゆっくりと首を締め上げられ、衰退していくしかない。
だが、唯々諾々と国家主席がそんな運命を受け入れるわけがなかった。
となれば、やはり、またどこかで戦争は起きるだろう。
退役中将は孫を見つめて思う。
私は生い先短いが、この子の生きる未来は、そんな世界なのか?
・・・いかんいかん。悪い方に考えすぎだ。
彼は二人に声をかける。
「二人ともすごいじゃないか。少しは休憩してお茶でも飲まないか。」
「ああ。父さんありがとう。武夷山のやつがいいな。」