独身。アラ〇ー女性記者の信念
撮影を止められた随行記者の1人である教村詩織は、大手の新聞社に所属していた。
その新聞社自体は伝統的に政府に(理不尽に)批判的だったが、彼女を始めとした若手は、そんな時代錯誤な政権批判ではこの先、自社が生き残れないことを理解している。
教村は大手マスコミの信用と潤沢な資金で、検証可能かつ客観的な情報を、いち早く正確に公開することに活路があると信じている。
上層部のように的外れな論評で、あまつさえ世論をリードしよう、などという考えにいつまでも重きを置いていたら、この先は生き残れない。
昔と違っておかしな論旨は、あっというネットで指摘を受けて拡散する現代だ。マスコミによる世論のミスリードは、通用しなくなりつつあるのだ。
だから彼女は、未だ危険のある宮古島行きへの随行の席があると聞いて、迷わず手を挙げたのだった。
一般の人間が見ることが出来ない情報を、自分の足で得ることでしか差別化は図れない。
余計な論評は要らない。情報の説明と要約があれば良い。
それを見た市井の人間や、それこそ大学教授レベルの専門家がSNSでいくらでも解説を加える。しかも無料で。今はそういう時代だ。
(そもそも、世論の「リード」が必要だと考えているような連中は、世の人々の良識をバカにしすぎだろう。)
社内のベテラン気取りの連中は、普段偉そうな政府批判をのたまっていた割に、あれこれと理由をつけて防衛省から急に打診された絶好の取材機会を彼女に譲り渡していた。
そうして沖縄に防衛大臣と共に駆け付けた彼女は、真紀子のトラブルの現場に遭遇する。
撮影こそしなかったが利敵行為を働いた末に、戦闘に巻き込まれて死亡した女学生の遺族が、戦災遺族に土下座するという現実を目にして衝撃を受けていた。
あの母親が積極的に娘に中国への協力を教唆していた、などとはとても思えない。
だが、彼女を詰る遺族の気持ちも痛い程分かる。
犯罪であれ、災害であれ、犠牲の周囲にたまたま居合わせた遺族達の人生が狂っていく有様を、彼女はこれまでに何度も見てきた。
それにしても、記者として、それなりの経歴を踏んで来たつもりだったが、加害者の遺族が被害者遺族に土下座するなどという場面は見たことが無かった。
酷い場合は、加害者側からいい加減な謝罪文しか届かないというのに。
防衛大臣は、ともかく神妙に被害者遺族の話を傾聴することから入り、彼等の気持ちを丁寧に鎮めて行った。
そして最後には、最初に口火を切った男性が真紀子に対して
「あなたも娘さんを失ったことに変わりないのに、自分の気持ちばかりぶつけて済みませんでした」とまで言わせてしまっていた。
防衛大臣はタイミングを見計らって、そそくさと、真紀子と報道陣を伴い、いったんその場を退いた。
撮影こそ出来なかったが、記憶には鮮烈に残った。
加えて、この修羅場をなんとかしてしまった防衛大臣の手腕と人間的な魅力に、教村は素直に感心してしまう。
それにしても、あの優しそうなお母さんは、この先どうやって生きていくのだろうと教村は思う。
もし働いていたなら、仕事を続けることは出来るだろうか?再度の就職は可能なのだろうか?
「売国奴」の家族を日本社会がどう扱うのか、その出発点を見たと思った。
加害者の遺族も、結局は生きていくことが困難になることに変わりは無いはずだった。
定期的な消息の取材を申し入れたら、あのお母さんは受けてくれるだろうか?
犯罪であれ、災害であれ、遺族の取材に対する反応は「そっとしておいて欲しい」と拒否する場合と、「このような思いをするのは、自分達で最後にして欲しい」という思いから、苦しいながらも取材に応じる場合とに大きく2分された。
後者の場合、遺族の願いに反して、類似した悲劇は繰り返される。
厳しい現実に遺族の最後の願いは裏切られ、踏みにじられるのがこの世界だった。
それでもと彼女は思う。
こういったことを繰り返し取材し、世間に伝え続けることに意味はある。
そうしなければ日本という民族は、いつか文化レベルで戦争に伴う哀しみを忘れかねない。
いざ戦争となった時に、最低限度の人道すら忘れ、病院を攻撃しておきながら、自分達は被害者だと主張するような冷酷な集団が、現実に今もウクライナで戦争を行っている。
そんな連中と同レベルに日本人が堕ちないためにも、悲劇を報道することに意味はあるはずだった。
例えそれが、誰かが昼休憩中に目にする、わずか数行のネットニュースにしかならないとしても。
彼女は日本が過去80年戦争を行わなかったのは、憲法9条による制約以上に、敗北に伴う幾多の惨劇の記憶が広く継承されてきたおかげだと信じている。
大臣と言葉を交わし、「もし困ったことがあったら」と、連絡先を記した名刺を渡された真紀子は礼を述べ、その後一人静かに花の骨を拾う。
骨には花の体を引き裂いた弾道弾の断片がいくつも混ざっていた。
こんな鉄屑に花の命を奪われたのかと思うと、悔しくてたまらない。
骨壺に収まり、小さくなった花に、彼女は「花。家に帰ろう。」と語りかけた。
真紀子の涙は止まらない。