謝罪
2025年4月5日 15:10 宮古島警察署および市立体育館 臨時安置室
伊丹駐屯地から新田原基地までCH47、さらに那覇基地まではCH47JA、最後はUH60JAに乗って、真紀子はやっとの思いで宮古島に到着した。そして1年ぶりに娘に会うことが出来たのだ。
直接遺体を見るまでは、何かの間違いかもしれないという淡い期待もあったが、現実は非情だった。
紛れもない。
花だった。
「本当に馬鹿な子。あんなに言っておいたのに・・・。やっと会えると思ったのに・・。ダメじゃない・・。お母さんの言うこと聞かないと・・・。」
それだけ言うと、真紀子は花の傷ついた遺体にすがりついて泣き出した。
その後は、長時間のフライトの疲労もあり、放心状態で警察官に言われるまま手続きを行っていった。
気が付くと、彼女は宮古島の斎場で火葬の順番を待っている。
花がどんな風に亡くなったのか知りたいと思ったが、警察も混乱の中で詳しいことが分かっていなかった。
事情聴取は後日ということにして、ともかく衛生上の問題もあるため、花の遺体を荼毘に付すことになったのだ。
他に家族のいない八木家は、火葬の手続きを待つ他の家族達と比べてひどく目立った。
真紀子は他の家族からの、刺すような視線に気付く。
まるで新興宗教にハマるか、闇バイトの誘惑に飲み込まれるかのように、花はSONの活動にはまり込んで行った。
真紀子はもっと強くSONを抜けるよう、花を説得するべきだったかもしれない。
だが、現実には花が真実に気づくことが出来たのは、その死の直前でしかなかった。
花の行為が現実にどの程度の影響があったのか、どこまで花が自分の行為を理解していたのかは、真紀子には分からない。
しかし、今回の戦争で花は、中国に加担してしまっていたことに間違いは無いのだ。
花が何者なのか、察しがついている他の家族達が「アンタの馬鹿娘のせいでうちの家族はこうなった。親のアンタにも責任がある」とでも言いたげな視線を送ってくるのは、仕方の無いことだと真紀子は思う。
遺族達に何を言われても、されても、真紀子は受け入れる覚悟を大阪に居る時から決めていたのだ。
花を失って自暴自棄になっていた面もあっただろう。
とうとう我慢できなくなったらしい遺族男性の1人が、真紀子に近寄って問い詰め出した。
アンタ例の学生達の親か?本当なんだな?
いったいどうしてくれるんだ?
アンタの馬鹿娘達のせいで、島はめちゃくちゃだ!
ウチも、ここにいる皆も!家族を殺されたんだ!!
男性は顔と目を真っ赤にしていた。彼もまた涙を流している。
1人が真紀子に罵倒を始めると、追随する者が増えた。
真紀子は黙って聞いていたが、途中で「申し訳ありません!うちの娘のせいで!本当に、本当に、お詫びのしようもありません!」と叫ぶと、土下座をしていた。
だが、「それで済む話か!」という声と共に、罵倒は続いた。そのままだと暴力にまでエスカレートしたかもしれない。
そこへ「なんの騒ぎです!?ここは斎場ですよ。お静かにされて下さい。」
と言って現れたのは、視察中の防衛大臣だった。
彼女は随行する記者たちに「撮っては駄目よ」と言うと、その場を収めに入った。
こうして真紀子は図らずも防衛大臣の知遇を得たのだった。