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沖縄・台湾侵攻2025 Easy Mode 完全版 Ver2.1  作者: しののめ八雲
掃討
192/221

U4

中国から提案のあった停戦の申し出を、日米台は受け入れた。


台湾は化学兵器まで使用された金門島、馬祖島の奪回を強く主張したが、それが不可能に近いことは誰よりも良く分かっていた。

あまりにも中国本土に近すぎる。


仮に金門島を奪回したければ、当然中国側は隣接する泉州、廈門アモイ、漳州を拠点として、頑強に抵抗するだろう。

金門島の奪回作戦は、隣接する地域からの激しい攻撃で妨害されることになる。

故に、前提として泉州、廈門、漳州に対して、徹底的な攻撃を加えて制圧する必要がある。

極端な話、それらの地域に上陸して占領した後でなければ、一度奪われてしまった金門島を奪回することは難しい。


中国本土の民間空港どころか航空基地まで攻撃するのにも、実際にはギリギリの決断だった米国が、それほどの規模で中国本土を攻撃することはあり得ない。

核兵器まで使った、本格的な米中の全面戦争になりかねないからだ。

かといって、台湾単独で奪回作戦を行うだけの戦力は無い。

海軍と空軍に回復に10年はかかる損害を受けたのは台湾も中国同様だったし、開戦当初の戦力があったとしても、金門島の奪回にはまだ戦力が足りないのだ。


台湾としては、渋々ながら「金門島、馬祖島を奪われただけで済んだ」という煮え湯を飲み込むしかなかった。



結局4日の夜間には偶発的なものを除いて、戦闘行為は発生しなかった。


この間に、日米の艦隊は先島諸島の制海権を完全に掌握していた。

随伴していた潜水救難艦「ちはや」が撃沈された「はくりゅう」に生存者がいることを確認。死力を尽くして救助活動を行っている。



2025年4月5日 05:30 那覇基地 


那覇基地に多用途支援機U4で降り立ったのは防衛大臣だった。(橋本のフライトが出迎えと護衛に上がっていた。)

政府高官がこのような状況で移動に使う自衛隊機といえば、要人輸送ヘリEC-225のイメージが強いかもしれないが、東京からは距離があるのでU4が使用された。


停戦を双方が正式には受諾していない状況下で、防衛大臣が那覇に飛び込んで来たのは、本人だけでなく、随行員や、ろくな防御手段を持たないU4のパイロッや、同乗したマスコミの人間をも危険にさらす行為として、後に批判を浴びることになる。


だが、それ以上に「美魔女」である彼女が沈痛な表情を浮かべながら、危険がまだまだ残る沖縄に現状把握のために、いち早く文字通り飛んで来たという事実の方が重要だった。


U4には、在京のマスコミも乗り込んでおり、沖縄に到着すると、彼女は彼等をそのまま引き連れて視察を行った。

沖縄本島だけでなく、宮古、石垣、与那国までも、中国軍の武装解除が完了していないにもかかわらず、危険を冒して自衛隊ヘリを乗り継いで赴いた。


宮古島では、この惨劇を招いた責任を問う住民に罵倒される場面もあった。

それは記録として残り、彼女にとっても反論しようもなく、ただただ傾聴するしかない時間だった。


だが、それでも彼女は一刻も早く現地の声を自分の耳で聴き、自分の目で視ることを希望していた。批判や罵倒に曝されることは覚悟の上だった。


今このタイミングで、現地の声をありのままに聴いたという事実が、後に効いてくるということを彼女は理解していた。

ヒントは?と問われたなら、かつての芸能活動経験と、ウクライナ大統領の我が身の安全を度外視した前線視察に感銘を受け、参考にしていたと答えただろう。


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