宮古島虐殺事件
その数時間前に上海の東方司令部では、王少将が胡中将に先島諸島に対する航空支援を要請していた。だが、当初胡は難色を示した。
「王少将。貴官も理解しているだろう。それは難しい。
認めたくは無いが、我々は沖縄の制空権を失ったのだ。」
王は食い下がる。
「それは小官も理解しております。
ですが、石垣島の上陸部隊は独断で降伏したとはいえ、残る宮古島と与那国の部隊は絶望的な戦況にもかかわらず、忠実に戦闘を続行しています。
彼等は構わないから、自分達諸共に敵を爆撃をしてくれ、とまで言ってきています。
旅団とは言いません。1機でも2機でも。友軍が上空に姿を現すだけでも、彼等は希望を繋ぐことが出来るはずです。
どうかお願いします。」
「・・・承知した。検討しよう。」
上海南東郊外に位置する嘉興基地の空軍第7旅団に、残存するJ16少数機による超低空爆撃が下令されたのは、その1時間後だった。
彼等は既に、機体、滑走路、基地設備に甚大な被害を受けている。
基地機能の復旧は進んでいるが、他の戦区からも集結したJ16は、作戦開始当初3個旅団約70機を擁していたものが、今では稼働14機だ。
パイロット達の間では、誰が最初に言い出したのか、「沖縄に3度出撃して還って来た者はいない」と言い交わすようになっていた。
中央軍事委員会はJ20戦闘機だけでなく、J11、SU35といった戦闘機や、地対空ミサイルまでも東部、南部戦区から引き抜くと、北京に集中配備していた。
いい加減、政治指導部が自身の安全を強化する割に、空軍を中心に犠牲を前提とした攻撃が連続するという現実に、パイロットの間で士気の低下が始まっている。
そんな中、J16にロケット弾ポッドを2門だけ搭載して、単機で宮古島を奇襲。
ウクライナ・ロシア戦争で両軍の攻撃機やヘリがよくやる、低空突撃からの急上昇と同時のロケット弾攻撃。その実施が下令されたのだ。
あまりにも危険な任務に旅団司令部は志願を募った。
2機が必要とのことで、うち1機は旅団長自らが搭乗する。
殆どのパイロットが逡巡する中、残り1機に手を挙げたのは、初日の宮古島爆撃に参加した白上尉だった。
彼は3日の米軍による基地攻撃の混乱の中で実施され、9割未帰還という悲劇的な結果に終わった与那国島の爆撃にも参加し、この時でさえ辛くも生き残っていた。
そして今、自ら志願して通算三回目の攻撃に臨もうとしている。
白上尉は出撃前に、後席員の黄中尉を呼び出した。
「黄。今度の出撃はヤバイ。俺だけで行く。証明書を書いてやるから、病気ということにしてお前は残れ。誰も文句は言わんよ。短い付き合いだったが、今までありがとう。達者でな。」
自殺同然の任務に、後席員まで巻き込むつもりは無い。だが、当の黄は断固拒否した。
「はあ?何言ってるんですか?
上尉、御自分が航法下手くそだって、忘れてません?
北斗の誘導が無いのに、慣性航法装置だけだと私が居なかったら、宮古島に辿り着けっこないですよ!
見て下さい、このチャートを!
ずっと超低空飛行で、対地の目印が何にも無いのに偽装変針が5回も!
もし途中で迎撃にあって機動に入ったら、上尉だけならまず間違いなく位置を失って、太平洋に飛び出して迷子ですよ!
帰りは大陸にぶつかればいいから、どうにかなりますけどね。その前に行方不明間違いなしです!
私が航法やらなきゃ絶対無理です!」
「そういうことだけじゃない!分かっているのか?今度はロケットを無差別に撃つんだ。どこに当たるか分かったもんじゃない。
敵だけじゃなく、民間人や味方にも当たるぞ。手を汚すのは俺だけでいいんだ!
それにお前が死んだら、親御さんの面倒は誰が見る?」
「そんなの皆一人っ子で、同じです。上尉だって同じでしょう?」
「・・・黄。頼むから言うことを聞いてくれよ。」
「上尉とはペアになって半年ですけど、2回の実戦で、一生分の付き合いになりました。
それなのに、上尉だけ行かせたら・・・。
死ぬ時は一緒です!それとも、上尉は自分に一生苦しめって言うんですか?」
2025年4月4日 16:36 石垣島
白上尉と黄中尉の乗り込むJ16は、夕日に照らされる海上を舐めるように飛んでいる。
白と黄は知る由も無かったが、彼等が飛び込もうとしている空域には、第22即応機動連隊の空輸を援護するために、相当数の日米の戦闘機が周辺に滞空していたのだ。
突入するのは、与那国、宮古に2機ずつ。
彼等を援護するために、数個大隊のJ11、J10が大陸沿岸部から沖縄に接近するような動きを見せている。陽動だ。
(この中国軍の動きに対応して、再び復旧した那覇から306飛行隊機が、緊急発進して警戒していた。)
実際には、もはや胡は沖縄方面では積極的な作戦を行わず、米軍の巡航ミサイルに対する迎撃と、台湾方面の支援に留めている。
陽動はある程度の効果をあげて、306飛行隊が緊急発進しただけでなく、航空自衛隊と米海兵隊のF35A、Bの一部は、先島周辺空域から離れていく。
それでも濃密なレーダー網から逃れることが出来ず、超低空進入を試みた4機中2機が捕捉されて撃墜されてしまった。
この中には第7旅団長機も含まれている。
白と黄の機はまだ生き残っていた。
敵の航空機や、艦艇レーダーに捕捉されそうになるたびに、黄は白に変針の指示を出し、何とか宮古島周辺に辿り着いた。
たしかに、白一人で超低空飛行しつつ、敵戦闘機の出現を絶え間なく目視警戒しながら、しかも慣性航法装置だけを頼りに、こんな複雑な航法を行うのは難しかった。
長時間の緊張を強いられ、ただでさえ連日の激戦で疲労している白一人では、一瞬の油断で操縦を誤って、海面に突っ込んでいたかもしれない。(実際4機のうち1機は、パイロットの疲労が原因の操縦ミスにより、途中で墜落していた。)
繰り返される変針で、速度も増減を繰り返す。
その変化を黄は丹念に拾い、昔ながらの計算尺を使った手計算での航法計算に修正を加えている。
時折、チャートを後席のキャノピーに張り付けるようにして広げ、新たな進路と数値を書き込む。
「上尉。つぎで宮古島への突入進路です。右へ40度変針して下さい。速度そのまま。バンク角度は30度。30秒前です。」
黄は衛星による航法支援が出来ない中でも、緻密な航法を行っている。
彼の計算が正しければ最後の変針により、途中で一度も自機と宮古島との位置関係を目視確認しないまま、突入進路に入ることになる。
その後はやはり黄の計算によるタイミングで、白が機体を上昇させる。
そこでロケット弾を斉射するのだ。全ての計算が合っていれば、宮古島を見ないままで、ロケット弾を着弾させることが出来るはずだった。
「了解。」
「10秒前。4、3、2、1、今!」
島への突入進路に入ると、敵のレーダーらしき電波の反応が強まるが、探知される程では無い。黄の計算は概ね合っているようだ。
今までは多数機で突入してきたから探知され易かったが、1機で超低空ともなれば、日米の優秀なレーダーといえども警戒監視網に穴が空くらしい。
「間もなく攻撃開始位置です。上昇まで、10秒。」
橋本3佐は、再び復旧された那覇基地を発進し、第22連隊の空輸を援護するために宮古島上空に進出。周辺空域でのCAPを実施していた。
自分のフライトを二つのエレメントに分離して、宮古島を中心にサークリングしている。
橋本のフライトは、日米戦闘機部隊の言わば最終防衛線にあたった。
どうやら、空輸は上手く行ったようで、そろそろ自分達にも帰投命令が出るだろうと考えていると、周辺で低空を飛行する敵機を、捕捉、撃墜したという内容の無線が飛び交った。
警戒を強めつつ飛んでいると、海面付近にJ16がたった1機で宮古島に突っ込んで行くのを目視した。
悪運強く、日米の戦闘機やAWACSのレーダー網を掻い潜り、しかも橋本機のレーダーからは死角になっている。
それでも3000メートル下方の白達を、橋本の視力は捉えたのだ。
橋本は目を剥いた。プレストークボタンを押下して、ウイングマンに叫ぶ。
「チェック!フォー・オクロック・ロー!ワン・ボギー!エンゲージ!」
機体を急旋回させ反転。そこから、横転させ背面急行下でJ16を追尾にかかる。
同時に敵機の侵入を周囲の友軍に知らせる。他にも敵が居るかもしれないからだ。
(クソ!あきらめの悪い!小数機での超低空侵入とはしてやられた!間に合え!!)
白にはまだ、宮古島は見えない。今までずっと海面と空が見えるだけだった。
「今!」
黄のコールを聞くと同時に、白はスティックを引いて急上昇に移る。ほぼ同時に両翼のロケットポッドを斉射した。
直ちに離脱に移りたいところだが、足元に出現した宮古島の地形を見極め、友軍の上空を通過しようとする。
衝撃。
彼等の機体は橋本が発射した、超低空でも迎撃能力の高い、AAM4Bの至近弾を受けたのだ。同時に地上の87式自走高射機関砲にも射抜かれる。
警報が鳴り、警告灯が真っ赤に染まる。機械音声が脱出を叫んでいた。
「黄!すまん!やられてしまった!脱出だ!先に出ろ!」
「了解!ご無事で!」
機体からの緊急脱出に成功した白は、パラシュートの展開にも成功し、直後に着弾した自分の攻撃結果を目撃した。
とても戦局に影響があるとは思えない。
ようやく現れた味方機が途端に撃墜されたことで、地上の友軍の士気はかえって低下したかもしれなかった。
だが白は、まがりなりにも非常に困難な攻撃を成功に導いた、黄の航法技術に舌を巻いた。確かに、自分一人では、この攻撃は成功しなかっただろう。
彼の撃ったロケット弾は、民間の家屋を含め、宮古島の西側に広範囲に着弾していった。
想像していた以上に、今までの空襲による宮古島市街地の被害は深刻だった。
同時多発的に火災が発生した上に、戦闘が継続したため、消防活動が円滑に行えなかったことも影響していたのだ。
(我々は軍事目標に限定した攻撃を行ったはずなのに・・。民間の市街地の被害がこれほどとは・・。
これじゃロシア人や重慶を爆撃した鬼日本と同じだ。狙ってやったわけじゃないんだ・・・許せ・・・。そうだ!黄は?)
白は300メートルほど横に、黄のパラシュートを見つけた。
生きているようだが、様子が少しおかしい。右腕を負傷したのか、左手だけでパラシュートコードを掴んでいた。
散発的なロケット弾攻撃は、自衛隊には損害を殆どもたらさなかったが、民間の家屋にさらに被害が出ている。
その様子を確認した橋本は、キャノピーを殴りつけ、失意の帰投に入る。
彼の撃墜数は、これで先島沖航空戦の3機に加え4機となった。
だが、撃墜数を誇る機にはなれない。初日に加えて、またしても民間に被害が及ぶのを防げなかったのだ。
(F2みたいな低空突撃で、これだけの警戒網を掻い潜ってきやがる腕と度胸があるくせに、やることが無差別爆撃かよ!)
彼は降下していくパラシュートを撃ちたくなる衝動に襲われたが、懸命に堪えた。
思いがけずかつての部下に出くわした増田2佐は、大喜びで指揮下の空挺1個小隊を、石橋と白神のグループに「掃討戦に自由に使ってくれ」と言って、事実上預けてしまった。
特戦隊員二人にも米側の特殊部隊員四人にもそんな権限は無いが、増田は特戦の司令部と、宮古戦闘団に対して調整を行って、彼等による「指導」を認めさせてしまっていた。
そのかいあってか増田の大隊は、中国空挺部隊を順調に宮古島の東端へと追い詰めている。
その最中に発生した、通り魔のような中国軍機の奇襲に自衛隊側は慌てたが、直ちに上空を警戒していたF15と87式が撃墜した。
石橋達がJ16の攻撃に気付いた時には、すでに撃墜されて、二つのパラシュートが降下を始めたところだった。
この分だと、彼等の周囲に降りて来るだろう。
開戦前の敵特殊部隊や中国シンパ狩りから数えるなら、不眠不休の戦闘が1週間続いているとは思えない程、活力に満ちている「レイ」が言った。
「彼等を早めに押さえた方が良いぞ。民間人に出くわす前に。」
「どういうことだ?」
「国際的な陸戦法規を教えてもらっていないのは、なにもロシア軍や中国軍だけじゃない。民間人も同じだってことさ。」
「まさか・・・。」
アッシュが付け加えた。
「残ってる住民2万に対し、死傷者が500人も出てる。
40人に一人。パンデミック並みだ。
あいつらが降りる先の住民の中にも、親しい人が犠牲になった奴がいるかもしれない。
フラストレーションは相当溜まってるだろう。
そんなところに武装した陸軍兵士じゃない、丸腰のパイロットが降りてきたら?彼等はどうする?」
石橋と白神は最後まで聞かず、走りだしていた。
黄中尉は、右腕を負傷しながらも着地した。右腕をかばおうとしたせいか、さらに右足をひねってしまって、立ち上がることが出来なかった。
これはもう間違いなく、捕虜になるだろう。白上尉と合流するのも難しそうだった。
これからどうしようかと黄が考えていると、周囲で大声が聞こえた。
数人の民間人が、自分を指さしている。
人数が集まると、彼等は自分に駆け寄ってきた。救助しようという様子では無い。彼等は手に金属バット、ゴルフクラブ、それに包丁といったものを持っている。
危険を察した黄は拳銃を取り出そうとしたが、右腕を負傷していて上手くいかなかった。
黄中尉の虐殺事件は、日本側の数少ない、しかも民間人による戦争犯罪だった。
日本政府は、国民に爆撃等に遭った場合にどう身を守るかを周知するのが精いっぱいで、負傷して戦闘能力を失った敵兵に遭遇した場合に、どのように扱うべきかまでは周知してはいなかったのだ。
後の調査で、彼等は家屋を吹き飛ばした中国軍のパイロットに対して、「正当防衛」としての殺害が許容されると思い込んでいたことが判明した。
しかも集団心理で誰かが「殺せ!」と興奮して叫んだことで、本気になった者が続出したのだ。
現場に駆け付けた石橋達は白を拘束したが、黄の方は間に合わなかった。
彼等に出来たのは、その遺体を収容することだけだ。
大まかな事情だけ聞き出して、住民は解放する。興奮した彼等は自分達が何をしたのか、良く分かっていなかった。
相棒の遺体と対面した、中国軍の勇敢なパイロットは悄然と
「死ぬ時は一緒だって言ったのは、お前じゃないか。馬鹿野郎・・・。お前こそ、俺に一生苦しめって言うのかよ・・・。」
と、涙を流して呟いた。
石橋と白神や「レイ」達は中国語も話せる。翻訳アプリもあるが、バッテリーが切れたら使えなくなるような物は、特殊部隊員はアテにしない。
白のつぶやきを聞き、その意味を理解した石橋と白神は(この島に来てからこんなことばっかりだ)と思った。