政治工作
同時刻 北京
張少将は執務室で茶をすすりながら、タブレットを見つめていた。
参謀第3部の主導で開発したAIが、世界中のWEB媒体のニュースのうち、張の任務に関係ありそうなものを選別し、中国語に自動翻訳して表示していた。
それによれば、日本では臨時に国家安全保障会議が開催され、有事法制のさらなる整備が検討されはじめたらしい。
副官を呼びだす。
「日本で政治に動きがある。我々の動きをある程度警戒しているようだ。先月の暗殺が引き金になったかもしれない。」
「とは言え、時間が限られていましたから。」
「そうだよ。時間は限られているし、手段は選んでいられない。さらに積極的に連中の動きを妨害する。連中の政治家のスキャンダルはどの程度確保出来ている?」
「閣下の端末に今表示します。」
「うん。うん。うーん。いいんだが、まだ少ないな。もっと連中の政治家の不祥事を集めてくれ。それから連中のマスコミに情報を渡せ。
奴らの議会を混乱させて、有事法案や防衛予算の成立を妨害するのだ。
不正が事実である必要は無い。架空、捏造。なんでもありだ。
不正があった可能性があると連中の野党とマスコミが信じて、追求できれば良いんだ。要は国会を空転させて政府与党に仕事をさせなければ、それでいい。
連中の安全保障会議のメンバーを重点的に狙え。総理大臣自身のものであればなお良い。連中の野党にも流せ。我々からの情報と気づかせるなよ。」
「承知いたしました。」
それからしばらくして日本の国会と報道は、与党関連のスキャンダルの追求に費やされるようになった。内閣は火消しで手一杯となり、有事法案の改正どころでは無くなってしまったのだ。
元々防衛費の増大による増税で支持率が下落傾向にあるなか、ただでさえ野党とマスコミが私権の制限につながると大喜びで批判するであろう、有事法制改革に手を付ける余裕が無くなってしまった。
改革案には、自衛隊の展開状況をSNSに投稿する行為を禁止する法案等、早急に必要なものがいくつもあったが、今国会での成立どころか法案の提出すら見送られた。
野党の追求は厳しく、中でも法務大臣と防衛大臣は辞任に追い込まれている。
事態がここまで拡大すれば、いつものように総理は野党から「任命責任」を問われることになり、苦しい弁明に追われ続け、野党はなりふり構わず国会を空転させ続けた。
報道も同様だった。与党のスキャンダルの比重がおかれ、有事法制の議論や、中国軍の脅威の増大に警鐘を鳴らすような報道内容は、存在しないではなかったが細々としたものだった。
2024年6月1日 10:00 北京
中国の国家主席は、お気に入りの張少将から日本の国会の状況報告を聞いていた。
防衛大臣と法務大臣を辞任に追い込んだとのことだった。ちなみに彼は民主主義なるものに、本気で価値を認めていない。
(ふん。1年の大半を議会に割いておきながら、本当に大事なことが何も決められず、どうでも良いことばかり決めて仕事をした気になっているとは。
野党に至っては建設的な批判や議論を行う気が全くないように見える。
ただ政権の足を、ひたすら引っ張ることしか考えていないんじゃないか?まあ、おかげで我々の意図通りに動いてくれるわけだが。
これでは政治家に払う税金と時間の無駄では無いか。民主主義とは何と不効率な政治体制だろう。
こんな物を有難がる我が国の民主派は、根絶やしにして正解だ。
議会など、1年に5日も開けば十分ではないか。
台湾も奪回したならば、徹底的に愚か者共を粛清しなければ。
せっかく解放してやっても、我が国の現代的社会主義の意思決定のスピードについてこれまい。)
人民解放軍のハイブリッド戦は、このような日本政財界のスキャンダルを繰り返すことにより、防衛予算と有事法制の成立と、一般国民レベルでの危機感の醸成を効果的に妨害することに成功していく。
国家主席が張に尋ねる。若い頃は陸軍の政治士官でもあった彼は、軍人に対しての態度は基本的に丁寧だった。
「防衛大臣が辞任とのことですが、どのような疑いがあったのです?」
「日本は昨年、ウクライナに中古の重砲と装甲車、それに民間の4輪駆動車多数を供与しております。4輪駆動車は日本政府が自動車メーカーから買い上げる形をとりました。この際、メーカー側から防衛大臣に賄賂があったとのことです。」
「それはけしからん話ですね。他国とは言え、我が国も汚職には手を焼いていますから。で、それは事実なのですか?」
「我々の偽情報を向こうのマスコミと野党が信じ込んだだけの話です。ちなみに後任は女性で、もともと芸能関係者だったとか。」
張はしれっと答える。
国家主席は満足気に大笑いした。
「そうですが、日本も気の毒に。よほど人材が不足しているようですね。
ご苦労でした。張少将。我々も戦略環境を整えるための外交を本格化させるとしましょう。」
話がそこで終わったので、張には国家主席に説明しそびれた事実があった。
中国側は、日本の与党重鎮にハニートラップをしかけ弱みを握っていたのだ。
張は彼等をやんわりと脅すことで、架空のスキャンダルを理由に法務大臣と防衛大臣を辞任させることを拒否する首相に圧力をかけさせ、最終的に飲ませてしまった。
見事な成果だったが、国家主席が気分良く会話を終わらせたというのに、話を被せて自慢話を始めるような張では無かった。