夜戦
2025年4月4日 0:00 沖縄諸島
日付が変わった。台湾の戦況は中国側にとって比較的順調だったが、沖縄方面では急速に悪化している。
中国側としては深夜に入ったことで一息でもつければ、というところだったが、日米の作戦行動は夜間も活発だった。
相変わらず中国軍は航空支援を試みてはいたが、散発的かつゲリラ的なもので、島の奪取には絶望的に少ない投射量だった。空輸による上陸部隊、降下部隊への補給もより厳しくなっている。
先島の沖合に居座っていた、船団の護衛艦055級等からの対空ミサイルの心配がなくなり、F35等に護衛されて、日米の大型輸送ヘリによる地対空ミサイルの補給が行われたからだ。
沖縄に最も近いにもかかわらず、無人機が運用できる短い滑走路しか有していないため、未だLRHWにも巡航ミサイルにも攻撃されていなかった岱山基地から、偵察のためBZK-005を数機が発進した。
BZK-005は、中高度での運用を前提にした機体だが、超低空で接近を試みる。
しかし、それでも先島諸島の手前50キロであっさり撃墜されてしまった。
故に、中国側は一時残弾が枯渇したか、撃破により沈黙したと見られていた日米の対空ミサイルが、復活したことを確認していた。
あるいはF35か、F22が上空に滞空しているかのどちらかだ。
実態はその両方だったが。
先島の各島に上陸、降下した中国軍部隊は諦めずに、空港、港湾の確保を目指したが、航空支援が得られないため急速に状況が悪化していた。
それどころか宮古島には、岩国から飛来した米軍機がSDBやJDAM、JSOWといった誘導爆弾による航空支援を継続して行うようになっていた。
これにより、比較的順調だった宮古島の中国軍の作戦は一挙に難しいものになっていた。
最初の爆撃で、上陸部隊司令部と集積して隠蔽していた物資、かろうじて揚陸していた対空ミサイルの大半を吹き飛ばされた。
宮古空港と下地島前面に展開していた上陸部隊は、塹壕線に爆撃を受ける。そして直後の海兵隊と陸自部隊の反撃により、後退を強いられたのだ。
石垣島には、沖縄からのF35Bが、与那国には「アメリカ」のF35Bが航空支援を行っていた。
(「かが」飛行隊は、母艦に対地攻撃兵器を搭載する機能が無いため、CAPか直掩に徹していた。「かが」が対地攻撃兵器を搭載して、F35Bの完全な運用能力を獲得するには、さらなる改装が必要で、それはまだ先の話だったのだ。)
両島の中国軍部隊は動揺している。彼等は、初日にあれほど投入された友軍機がまるで現れず、逆に米軍機に一方的に爆撃された事実をもって、航空優勢が敵中にあると理解した。
彼等は、士気の高い精鋭であり、ウクライナ戦争における最新の戦訓を良く研究もしていた。
それだけに、スネーク島の戦訓に見られるように、航空優勢を失ってしまえば、陣地構築も十分でない状況で島嶼戦を継続したところで、それがどのような結末に至るか理解している。
空爆が終わると今度は、F35やドローンによる観測で射撃諸元を受けとった、日米地上部隊からの砲迫射撃が行われた。
夜間戦闘でこれだけ戦況が悪化するのだから、夜明けになればさらに厳しくなる。
しかも夜間戦闘に必須の暗視装置等の装備に必要とされるバッテリーも、このまま補給が無ければ明日以降は事欠くだろう。
だが、彼等の上級部隊は、いや、張は先島上陸部隊に降伏を許可しなかった。
かといって、これといった支援もせず、できるだけ自衛隊と米軍を拘束することだけを命じている。
上級部隊から持久を命じられた先島上陸部隊は命令を無視して降伏などしなかった。
自分達のスコップだけで構築した塹壕や、手近な家屋。そして奪取した陣地に拠って、なおも守備を試みている。
これは思いの他効果があった。彼等が立て籠もった家屋に、逃げ遅れた住民が取り残されていないか、慎重に確認をおこなった後でなければ、日米側は攻撃を行うことが出来ないからだ。