B型の強み
水納島と宮古島は約60キロ離れている。
宮古島に配備された陸上自衛隊の重砲の射程圏外ではあるものの、HIMARS等からは余裕で打撃されてしまう。
にもかかわらず、中国軍が水納島に彼等の持つ地対空ミサイルで、最高の性能を持つS400を揚陸したのは、損害交換比率の低下に構わず日米に打撃を与えるという意思の表れだった。
中国による冒険的なS400の配備を日米が認識したのは、衛星情報の分析結果では無かった。
沖縄本島へ負傷者を搬送し、再び補給物資を搭載して宮古島に低空飛行で接近していた陸上自衛隊のオスプレイ2機が、撃墜されたからだった。
2025年4月3日 18:10 宮古島沖
意表を突かれた日米側だったが、すぐに対応した。
普天間を離陸した海兵隊のF35Bが、さっそく水納島のS400のレーダーにHARM対レーダーミサイルを撃ち込んで沈黙させると、続いて誘導爆弾のJDAMによる爆撃で、島の中国軍の主要な装備を破壊してしまったのだ。勿論、S400の指揮統制車両と、ランチャーもその中に含まれている。
第2船団の残存艦艇は、事実上揚陸が失敗に終わると第1船団と再度合流し、上海への帰投に入っていった。
その動きは、直ちに日米の知るところとなる。
負傷者の搬送と、その護衛に目途が立った航空自衛隊は、船団への集中攻撃を計画した。
上海へ向かう船団上空の直掩は、あちこちの部隊から掻き集められていた。
なんとか離陸できた機体で編成された、集成1個旅団相当の戦闘機が付けられていたが、彼等は船団上空から大きく離れてCAPを行うことが来なかった。
弾道弾攻撃のおかげか、那覇、嘉手納からの固定翼機の脅威が一時的に無くなってはいる。
だが、嘉手納、普天間から出撃してくる、海兵隊のF35Bにはなす術が無く、船団の055級、052D級の防空圏内でしか活動出来ない。
これではCAPというより、殆ど盾の役割しか果たせないが、それでもHHQ-9Bを殆ど撃ち尽くした船団にとっては、ありがたい存在だ。
胡中将は、何度もJ20装備の旅団復帰を中央軍事委員会に要請していたが、ことごとく却下されている。
北京市内の地下シェルターを移動する政治家達は、北京上空と黄海のCAPから決してJ20を外そうとしなかったのだ。
部分的に復旧した東部戦区の飛行場から辛うじて離陸できたJ20は、すぐさま中部戦区の飛行場への移動を命じられていた。
空中給油機、警戒管制機も、のきなみ北京の防空を強化するために、長征作戦から取り上げられつつある。
北部戦区、中部戦区共に、稼働戦闘機の大半が防空に専念しているため、斉州島を経由する米軍機は今や自由に行動していた。
彼等は上海方面からの中国軍の大規模な爆撃が停止したのを見て取ると、今度は先島諸島の上陸部隊への爆撃を試みつつある。
それでも、中国軍戦闘機隊はいくつかの中隊が、本隊から分離して超低空で米軍機を待ち受け、IRSTで米軍機を捕捉、格闘戦能力に劣るF35Bを撃墜することに成功する例もあった。
(これとて決して簡単では無い。F35の後方に中国軍機が占位したとしても、そのEO-DASによってF35は、従来は戦闘機の死角とされてきた、真後ろに飛び込んで来た敵機すら捕捉、ロックオンしてしまう。
その上でAIM-9Xを一旦前方に発射し、さらにプログラミング誘導と発射後ロックオンの組み合わせることにより、AIM-9Xを真後ろの敵に向けて、反転させて攻撃することさえ出来るからだ。
さらに言うなら、グアム沖でF35Cが撃墜された時は、AIM-9Xを機内に搭載出来ないバージョンのF35だったのだ。
さらにAIM120は撃ち尽くしていた。ステルス性を重視して、機外のステーションにAIM-9Xを搭載していなかったのだ。おまけに、EO-DASも故障等の悪条件が重なっていた。)
だが、もはや航空優勢を中国側は失ったも同然だった。
2025年4月3日 19:03 与那国島沖
中国上陸船団は最後に与那国島に対する、ヘリボーンを試みた。
先程、危険な空挺作戦を終えて揚陸艦に着艦し、給油を終えたばかりのヘリ部隊は、発艦すると本土に帰投するのでは無く、艦内に滞留していた陸戦隊を収容して与那国に再び向かっていった。
上陸手段を失って、遊兵化していた部隊を与那国に投入する最後のチャンスと彼等は認識している。
日米の対空火器の残弾が枯渇しつつあり、しかも日没を迎えた今なら、事故のリスクは高いが、成功の見込みは高いと中国側は見込んでいた。
だが、彼等の目論見はまたしても外れてしまう。
「かが」に帰投後、空自が持ち込んだ給油車両からの、ホットフュエリングを済ませた航空自衛隊のF35B、1個フライト4機が与那国上空に舞い戻ってCAPを継続していたのだ。
滑走路に打撃を受けた航空基地や、軽空母や強襲揚陸艦からでも作戦可能かつ、強力なセンサーで夜間も戦闘力を存分に発揮できるF35Bの強みが、今こそ発揮されていた。