島嶼防衛用高速滑空弾
石橋達のグループは、3日も前日に引き続き独立して行動していた。
「レイ」が通信を傍受しながら、敵の工作員や特殊部隊の出現を警戒していたが、夕刻に中国軍が空挺作戦を決行してきた。
彼等のような少人数の特殊部隊にとって、直接敵部隊と交戦するのは緊急事態に近い。
だが、敵上陸部隊との交戦地域後方に、新たに敵空挺部隊が出現したことで、彼等は素早く状況を判断して行動に移った。
彼等は周辺に居合わせた陸自部隊を集合させ、動揺しかけていた宮古戦闘団の後方部隊を立て直し、中国空挺部隊の掃討するためのリーダーシップを発揮したのだ。
その混乱の最中にあっても、冷静に敵味方の通信をモニターしていた「レイ」は、堀部にしかけた盗聴器が作動したのを見逃さなかった。
そして彼等は、堀部と西川の場所を推定すると、2個班を率いて現場に急行。
間一髪、間接的な住民虐殺の発生を未然に防ぐことに成功したのだった。
ちなみにこの後に生じた中国空挺部隊との遭遇戦で、西川は死亡した。
彼は混乱した思考の中で、日米特殊部隊グループによる拘束から脱走して、中国軍に保護してもらおうと考えたのだ。
ほんの僅かな隙をついて、石橋達から逃亡して中国空挺部隊に駆け出した西川だったが、日米側ほど民間人と戦闘員の識別に気を使っていない中国軍は、彼の行動を戦闘員による突撃と認識。即座に射殺してしまったのだった。
その様子を眺めていた堀部は、周りに聞こえないように口笛を吹いた。
2025年4月3日 15:55 沖縄
アメリカ本土から嘉手納と辺野古に、海兵隊の第13海兵航空群に所属するF35Bが、空中給油を繰り返しながら増援として到着した。
滑走路は未だ復旧中だったが、垂直離着陸や短距離離着陸が可能なF35Bには関係無い。
2025年4月3日 16:01 宮古島
一方、宮古島には中国上陸部隊待望の第2船団が到着していた。
未だに平良港は確保されておらず、橋頭保は自衛隊の重砲の射程圏内だったが、揚陸は敢行された。
第2船団の生き残りは慎重に第1船団の防空圏内に留まっていたが、第1船団が上海への帰投を開始したため、意を決して橋頭保へのビーチングに入ったのだ。
宮古空港の東側の海岸橋頭保にビーチングを敢行したのは、第2船団の最後の生き残りである戦車揚陸艦2隻、フェリー1隻だった。
宮古島の日米守備隊には、これを阻止する火力がもう残っていなかった。
対艦ミサイルは12式も、NMESISも残弾が残っていない。
自衛隊のMLRSも、残弾が残っていなかった。
残存していた19式装輪自走りゅう弾砲は、阻止射撃を行ったものの、揚陸艦と上陸部隊が対砲射撃を開始したため2、3発の射撃で陣地変換を強いられた。
戦車揚陸艦に155ミリ砲弾が1発命中したが、その程度では揚陸艦は止められない。
弱体化した日米の阻止火力を突破してビーチングに成功した戦車揚陸艦は、ランプドアを開けると戦車の揚陸を開始した。
待望の99式A戦車だ。宮古島の守備隊に、10式戦車の増援があるという情報を察知した東部戦区が、急遽15式軽戦車、69式戦車に変えて揚陸部隊に加えたのだ。
中国軍では99式Aだけが、唯一日本側の90式や10式といった戦車に対抗できる。
当初は砂浜の多い宮古島での作戦を考慮し、軽量な15式や69式を揚陸する計画だったが、砂浜でスタックするかもしれないというリスクは承知の上で重量級の99式Aを持ち込んだのだった。
その横では、もう1隻の戦車揚陸艦が自走砲、自走対空車両を、フェリーが増援の陸軍歩兵部隊と輸送トラックを上陸させつつあった。
その後も散発的な迫撃砲の射撃くらいしかなく、揚陸は成功しそうに思われたその時、3隻の船は相次いで大爆発を起こして炎上した。
先行し、守備隊と激戦を演じていた上陸第1波と、空挺の中国軍将兵はその光景に呆然とした。
自衛隊と海兵隊の火力誘導班が送った諸元により、沖縄から海兵隊のATACMS、自衛隊の島嶼防衛用高速滑空弾による攻撃が行われたのだ。
特に滑空弾は着弾時の衝撃波も相まって、フェリーの船体を容易く引き裂いてしまった。
爆発により、フェリーの構造物と、積み荷の装備品や物資が天高く舞い上がり、そして橋頭保を確保する中国軍に降りかかった。遅れて補給物資の弾薬とガソリンが誘爆を始める。
結局、第2船団の生き残りが揚陸できたのは、その積み荷の2割にも満たない量だった。
島嶼防衛用高速滑空弾は、先行量産型の配備が始まったばかりの最新鋭兵器。
最終的には米軍のLRHWダークイーグル同様、中国本土の航空基地を直接打撃できるだけの射程を与えられる計画だったが、その実現は10年先だった。
現行モデルでは、かろうじて沖縄本島から先島に上陸した敵を叩く能力しかなかったが、まさにここぞという状況下で戦果を挙げることに成功したのだ。