ダークホース
2025年4月3日 12:15 九州南部
鹿屋基地を離陸したのは、第11飛行隊のP1哨戒機10機だった。
彼等は新型対艦ミサイルASM4を8発ずつ、合計80発搭載している。
ASM4は海上自衛隊の艦対艦ミサイル、SSM2から発展した、開発段階では「哨戒機用新空対艦誘導弾」と呼称されていた新型ミサイルだ。射程は400キロでステルス性能も無く、亜音速ではあったが、文字通り哨戒機であるP1での運用が可能だった。
同じく鹿屋基地に所属する第12飛行隊は、本来の九州近海の哨戒任務を続行していた。
しかし、第11飛行隊は大幅に対空能力の落ちた中国の第2船団を狙って、積極的な対艦攻撃に転じたのだ。
護衛は新田原を離陸した301飛行隊のF35A12機。彼等は沖縄沖の航空戦から帰投したばかりだったが、文句は無かった。
2025年4月3日 13:47 沖縄沖
第2船団の上空に護衛機は存在しなかった。
藩少佐の救援要請に応じて、まだ攻撃されていなかった南京の東に位置する、肥東海軍航空隊基地に緊急着陸していたJ11B1個旅団が、燃料補給が間に合った機体を緊急発進させてはいた。
だが、彼等は例によって、斉州島上空の安全地帯から進出したF35Aに阻止されてしまったのだ。20機中15機を撃墜されて、撤退に追い込まれてしまっている。
F2やF35と異なり、P1は対空ミサイルに対する防御手段がレーダー警戒装置しか無く、回避機動も中国側の高機動を誇る空対空ミサイルの前では、出来ないに等しい。
しかし、戦場を見渡すE3やE767からは、敵戦闘機の脅威は無いと伝えられていた。
第11飛行隊は沖縄諸島に隠れるように南下した後で、沖縄本島上空を跨ぎ超えると、第1船団の防空圏内に入る直前の第2船団に攻撃を開始する。
第11飛行隊は第2船団に触接を継続していた、303飛行隊のF35Aからのデータリンクを頼りに、80発のASM4を最大射程で発射。
第2船団には、未だに戦闘能力を保っていた防空艦は、2隻の052D級しか残されていない。しかもHHQ-9Aの残弾は2隻併せても、60発でしか無かった。
攻撃を認識した第2船団の防空指揮官は、全弾迎撃をあきらめると、通常は飛来した対艦ミサイル1発に対して2発が発射される対空ミサイルを、1発に減らして迎撃を開始する。
それでも迎撃能力は飽和してしまい、ASM4は実に14発が命中した。
第11飛行隊の攻撃によって、迎撃能力が残っていた052D級の1隻が撃沈された。さらに迎撃システムが沈黙しても、勇敢に船団の盾になろうと随伴を続行していた護衛艦は、4隻が撃沈されてしまった。
そして、彼等が守ろうとしていた、フェリー、戦車揚陸艦もとうとう3隻が撃沈されたのだ。
さらに深刻だったのは、これで発射可能なHQQ-9Aが1発も残っていないということだった。
これでは無傷の052D級が1隻残っていても、意味は殆ど無い。
これは早朝のF2の攻撃で、第2船団が艦対空ミサイルを消耗し、迎撃能力を大幅に削り落とされたことが響いていた。
だが彼等の悪夢はこれで終わらなかった。
奄美、沖縄本島周辺海域から先島へ移動中だった、海自潜水艦群が攻撃を開始したからだ。
魚雷での攻撃にはとても間に合わず、海自潜水艦隊が選択したのは、水中発射型の対艦ミサイルUGM-84Lによる攻撃だった。
距離200キロで放たれたそれは、1隻あたり4~8発、6隻でわずか30発でしかない。
だが、既にHHQ-9Aを撃ち尽くした第2船団の護衛艦には、満足な迎撃手段がもう残っていない。
それでも半数の15発を迎撃するか、失中させることに成功する。
だが、残り半数の15発はどうにもならず、さらに3隻の護衛艦と輸送船5隻が撃沈破されるに至った。
最後に残っていた052D級も、最後まで盾の役割を果たして撃沈されている。
054A級1隻とフェリー2隻、戦車揚陸艦1隻まで激減し、壊滅的な被害を受けた第2船団は、第1船団の防空圏内に入ることには成功した。
だが、その意図は増援を送り込むというより、自らが助かろうとすることで精いっぱい、という有様だった。
本来は、三つの島にそれぞれ重装備と補給物資を届ける目論見だったが、輸送船が出航当初の25パーセントまで激減してしまっていた。
そのため長征作戦統合司令部は最も戦況が優位に見えた宮古島に、第2船団の全てを送るように命令を出した。
上陸作戦成功を確信しつつあった矢先での暗転だった。
12式やF2による「本命」の対艦ミサイル攻撃を切り抜けた後で、哨戒機や潜水艦による、数的には少数の対艦ミサイル攻撃での大損害。いわば伏兵にしてやられた、と言って良い状況だった。
同時に長征作戦統合司令部は、第1船団の揚陸艦隊には上陸部隊への支援を打ち切り、増援を送り込むために上海への帰投命令を出した。