逆襲
中国軍上陸第1波の苦戦は続いていた。
断崖の多い与那国島は、限られた狭い浜辺しか上陸適地が存在しないのだ。
なんとか障害物と地雷を踏み越えた敵上陸部隊に対して、自衛隊側は120ミリ重迫撃砲を装備した3個重迫撃砲中隊と、普通科中隊の81ミリ迫撃砲が射撃を開始した。
与那国には155ミリ砲は、FH70も19式も配備されなかったが、その分第8師団の装備する120ミリ重迫撃砲の、殆ど全てが投入されていたのだ。
彼等は3発程度の急速射撃を行うと、すぐに陣地変換に入った。
一度陣地変換に入ると、高機動車で牽引する120ミリ迫撃砲の移動には、比較的手間がかかる。
その上、山中の道路を渋滞しないように移動する必要もあり、次の射撃までには段取りが組まれていても、それなりに時間が必要だった。
だが、ごく短い射撃でも、キルゾーンに対して集中的になされたその威力は絶大だった。
後続の陸戦隊員を揚陸中だった726A型がさらに1隻破壊され、進撃を開始した水陸両用車と陸戦隊員に損害が続出する。
生き残った726A型は、自衛隊側のミサイルも迫撃砲も陣地変換に入ったスキに、母艦へと戻って行った。
生き残った上陸部隊も前進を開始する。
だが、その戦力は大きく減少していた。
南側のZBDは30両中、20両が撃破され、240名の陸戦隊員のうち、戦闘可能な者は100名まで減少していたのだ。
彼等の盾となるべきZTDも、10両中7両が撃破されている。
4隻の726A型が運ぶ予定だった、360名の陸戦隊員も90名は艇ごと失われてしまい、さらに迫撃砲による砲撃と地雷で230名まで減少していた。
726Aの各艇長は全速で母艦に戻っていった。一刻もはやく、第2波を海岸に連れていかなければ、第1波が全滅してしまう。
北側は、空中強襲大隊はまだ被害がマシだったものの、水陸合成大隊は水際機雷で大損害を出したこともあり、300名中100名しか戦闘力を保っていない。生き残った者は他にもいたが、その多くが装備を失っていた。
生き残ったヘリ部隊は、母艦で第2陣を搭乗させると与那国空港に降着を図った。
対空砲火は日米側の陣地変換、隠匿、残弾の減少のため、微弱になっている。
だが、自衛隊側は中国軍が降着した途端に、施設隊員が滑走路に埋め込んでいた地雷を起爆させ、滑走路もろとも空中強襲大隊を吹き飛ばしてしまったのだ。
それでも100名の隊員が、牧場を突破してきた第1波と合流し、共に空港を確保する。
しかしながら、滑走路を使って迅速に増援を呼び込む目論見は不可能になった。
空港を占拠した空中強襲大隊は、合計300名をもって空港を確保し、その場で陣地構築を行った。
ところが、そこからは500メートル先の久部良岳の自衛隊陣地からの射撃を受けて、身動きがとれなくなってしまう。
ナンタ浜から上陸した合成大隊も、その先の集落に立て籠るのが精いっぱいだった。
両部隊ともに、後続と支援を求めて悲鳴を上げている。
南側の2個大隊も、比川地区を確保した後はそれ以上前進できずにいた。
生き残った水陸両用車を押し立てて前進を試みたが、01式対戦車誘導弾と16式機動戦闘車の射撃に阻まれ、撃退される。
特に16式はセンサーが強力な上に、エンジン音が戦車に比べて静かなため、中国陸戦隊員にとって「突然目の前にあらわれ、105ミリ砲と、同軸機銃を精密に撃ってくる」のだ。
防御に徹している限り、厄介極まりない相手だった。
勢いに乗る与那国戦闘団は、16式1個中隊と、与那国警備隊の普通科中隊を主力として逆襲を行い、一挙に南側の上陸部隊せん滅を図った。
だが、これは失敗に終わる。
中国側は一時後退したものの、逆襲を受けても恐慌状態に陥ることもなく、素早く戦線を張った。
さらに中華版ジャベリンとも称される、HJ12対戦車ミサイルと、FPVドローン、水陸両用車の射撃。それに船団からの最後の支援射撃を集中して、与那国戦闘団の逆襲を阻止してしまったのだ。
与那国戦闘団は逆襲により、上陸部隊側の水陸両用車をさらに撃破したものの、引き換えに16式1個小隊4両が撃破され、普通科隊員30名が死傷。逆襲はとん挫したのだった。
与那国戦闘団の小泉1佐とその司令部は、中国側の練度の高さと、装備の充実度合いに戦慄を覚えた。
上陸前に相当に戦力を削り落としたから良かったものの、もし完全な状態で上陸されていたら、相当な苦戦を強いられていたに違いなかったからだ。
日米は中国側の増援が気になるものの、120ミリ迫撃砲による打撃を中心とした、慎重な防御作戦に回帰した。主導権はまだ中国側にあった。