台湾強襲上陸
4月2日と3日の国連は大荒れだった。
安全保障理事会の常任理事国同士が、直接交戦しているのだ。
経済面においても世界のGDPの上位3か国が交戦し、半導体の一大供給地である台湾が戦場となり、周辺の海域、空域の交通は停止して物流は遮断。
世界のサプライチェーンは大混乱に陥っている。
安全保障理事会で中国と米国は、お互いが提案した決議を拒否した。
勿論、双方の代表は、お互いを罵倒している。
総会では中国への即時停戦と撤退を求める決議が採択される可能性が濃厚で、多数派工作を進めていた中国の期待を裏切る結果になりつつある。
中国は自分達で思っている程、世界で期待される存在では無かったのだ。
世界の大多数の国々は、台湾云々よりも、サプライチェーンの混乱により自国の経済、さらには政権が危うくなることと、戦後に米国の恨みを買うことを恐れていた。
だが、少なくとも国家主席と張は、こうなることを予想していた。
だからこそ、損害に構わず既成事実を成立させようと、強引な作戦を強行していたのだ。
張は3日の朝には、ついに台湾本島への上陸を強行させている。
台湾上空の航空優勢は獲得しているものの、台湾の防空網に対する制圧は始まったばかりで、雄風やハープーンといった対艦ミサイルも沈黙していない。
加えて、宮古島に退避していた台湾空軍機は、米軍が運び込んだ燃料と弾薬を受け取ると、応急修理が出来た台湾の滑走路に復帰していた。
(このため、台湾軍機は先島における一連の航空戦に介入することは無かった。)
つまり、中国軍は航空優勢の恩恵が出る前に、上陸作戦を強行したのだ。
その台湾西岸の上陸適地は限られている。
北部の基隆、桃園空港周辺。南部の台南、高雄周辺だった。
このうち北部の上陸適地は狭い上に、台北に隣接しているため台湾側の警戒は厳重だった。
南部への上陸は上陸適地が広く、その背後も平地が広がっていて、上陸そのものは北部よりは容易だった。
だが、その後は北部へ進撃するのも、東岸へ進撃するのにも山岳地帯が障害となって、長期戦を覚悟しなければならなかった。
占領の既成事実化を狙う方針とは矛盾するようだが、ともかく台湾に取り付くために、張は主攻を台南、高雄方面に定めた。
一方で、北部への上陸も助攻として行っている。
海上民兵、無人の民間船舶、退役艦艇、USVを突入させて、機雷や対艦ミサイルを引き付ける。
これは台湾南部や金門島などでも使われた手法だが、さらに、これらに紛れて特殊部隊による潜入破壊工作を行って、台湾側に混乱を生じさせていた。
それに台湾側からすれば、今のところ先島諸島への上陸を狙っていると思われる、上海方面からの上陸部隊が、先島を素通りして台湾北部に上陸する可能性もあった。
このため、台湾陸軍は虎の子のM1T戦車を装備した542装甲旅団を擁する、最精鋭の第6軍団主力を台北周辺に拘置せざるを得ない。
南部戦線においては第8軍団による、遅滞防御が選択されていた。
一方の中国陸軍は、第71集団軍を主力に、福建省南部と広東省北部の港湾から、上陸船団とヘリコプターを反復させて、大規模な兵力を上陸させるもつりだった。
彼等は、兵力の一部を澎湖島に振り向けると、主力を損害に構わず、台湾南部の黄金海岸に上陸させはじめたのだ。
これに対して、待ち構えていた台湾砲兵の重砲や迫撃砲に加えて、山岳地帯からはHIMARSがM30A2オルタナティブ弾頭を上陸部隊に向けて撃ち込み、猛烈な迎撃を行った。
このため台南と高雄の中国上陸部隊の先鋒は、かつてのノルマンディーや、硫黄島の海岸のような惨状を呈した。
それでも最初から大損害を覚悟している中国軍は、断固として上陸作戦を継続し、橋頭保を確保することに成功する。