蜜の味を愉しめる者
1月前 那覇市内 某大学研究室
李が「誰かいないか?」と前田に言って来た。
「どういうことですか?」
「上の方針が変わった。1ヶ月以内に沖縄は戦場になるかもしれない。あなた方にも手伝ってもらうよ。先生と澤崎君には生き残って頂きたいが、残りは使い捨てかな。」
「ひどい話ですね。で、私はどうなるのです?」
前田は澤崎同様、李の正体と本当の目的を知っている、数少ない日本人だった。
だが、弱みを握られた澤崎と異なり、望んで協力している。
李の数代前の担当者は、沖縄での協力者を選定するにあたり、慎重に「面接」を重ねた上で、前田には自分達の正体と本来の目的を伝えていたのだ。
日本に対する憎しみを持ち、それなりの頭脳を持っている人間がハブの役割を果たしてくれた方が、話はいろいろと早いからだ。
「セーフハウスや、連絡用の端末をいくつか用意する。事が起きたら、できるだけ逃げ回って、こちら寄りの情報を発信するのに協力して欲しい。
とはいえ、独立を宣言した後は基本的にゆっくりしてくれて良い。あなたも齢だ。
協力者のリーダーは、澤崎に引き継ぐといい。それでも捕まるだろうが、戦後に捕虜交換か何かで中国に招待するよ。生活も補償する。どうだ?」
「そんなところですか。悪くないですね。」
「それでだ。戦後、日本国内での協力者は、相当に動き辛くなるだろう。
少なくとも、久米、田渕や学生共のように、無意識に我々に協力させる手法は不可能に近くなる。」
「戦後は対中感情が、極限まで悪化するでしょうからね。しかし、それでもなお日本国内に、中国に協力しようとする日本人は必要になる。
いや、これは条件が厳しいですね。
日本に対する強い憎しみを持ちながら、普段はそれと感じさせないような、確信犯である必要があります。
私に近いキャラクターだ。ネットワークを構築できる人間ならなお良い。」
「そういうことだ。誰か心当たりはないか?」
「居ますよ。一人ご紹介しましょう。私も最近知己を得ましてね。
まだ若いが有望だ。あなたや私のように、人の不幸を直接見るのが大好きな、悪趣味な人間ですよ。」
「それは素晴らしい。またのご教授に期待していますよ。前田先生。」
前田が堀部祐一という青年に会ったのは、さらにそのしばらく前だった。
10代前半だった時に東北大震災で家族を失い、養護施設で育ち、自分も養護施設を運営する法人で働いている人間だった。
一見善人に見えたが、前田は初対面で敏感に「同類」の匂いを堀部に感じとっていた。
(コイツは他人の不幸を生きがいにして生きている人間だ)
堀部が災害や行方不明者捜索の現場に駆けつけて、ボランティア活動を行い、「寄り添う」のは、他人の不幸を最も近くで、リアルタイムに味わいたいからだった。
初対面の時、わずかにお互いの活動について会話を交わし、その言葉の端と表情の動きだけで前田は堀部の本性を見抜いていた。
直接的な言動で確認したわけではなかったが、それで十分だった。
そして前田は堀部もまた、自分の本性に気付いていると確信していた。
こうして李の依頼を受け、前田は堀部を「スカウト」したのだ。
そして今、前田は逆探知の危険を冒して、宮古島の堀部と連絡を取っている。
「そちらはどうですか?」
「酷い有様です。こうならないことを願っていましたが、既に民間人に多くの犠牲が出ています。親を失った子供も多いです。
この不景気に、親戚や他人の子供の面倒を見る余裕のある家庭は少ないでしょう。
政府は遺族向けに生活援助法案を通すんでしょうが、お金の問題ばかりでは無いですし、立法には時間もかかります。」
「そこで君達の出番というわけですね。」
「ええ。孤児になった子達は、なるべく我々の養護施設で受け入れようと思います。
今日も、家族が全滅した2歳の女の子を引き取る段取りをしました。今は亡くなった家族の知人が預かってますが、なるべく早く我々が引き取った方が、本人達のためです。」
「それは「素晴らしい」。私は遠からず、身柄を拘束されるでしょう。
この件で平和活動をしてきましたが、その火は一度絶えてしまいます。
ですから後継者が必要です。かねてからの約束通り「資産」を引き継いでくれますか?」
「喜んで。」
「ありがとうございます。あなた方の活動は立派なものですが、無理をしてはいけませんよ。そこは戦場なのですから。」
「・・・覚悟の上です。」
会話の内容は、一見、純粋な人道的活動について語っているようで、真意は真逆だった。