アルバイト
2024年4月5日 14:20 那覇郊外
朝9時集合で10時からはじまった浜辺の清掃作業は、昼を挟んで午後2時に終了していた。
花は正直、拍子抜けしている。
もっと大変な作業を想像していたからだ。
(え?これで一万五千円?
5時間拘束だから、時給3千円ってこと?すごっ。)
最後に集めたゴミ袋をまとめて、リースしたトラック数台に積み込んで終了だった。
参加者全員に、スポーツドリンクと謝礼金1万5千円が手渡される。
澤崎が話しかけてきた。
「八木さんお疲れ様。ずいぶん頑張ってたけど、疲れてない?」
「いえ!大丈夫!へっちゃらです!私、行動力と体力には割と自信があるんです!」
「それは頼もしいね。実はこの後、主催者のNPO団体の事務所で打ち上げ会やるんだけど、どう?八木さんはメンバーじゃなくて、一般参加だけど、頑張ってくれたからおいでよ!もちろん僕らのオゴリさ!」
「え、いいんですか?」
「もちろん!」
そこまではにこやかにしていた澤崎だったが、近くの看板の張り紙を見ると、表情が急に硬くなった。
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもないよ。ちょっと汗かきすぎてから車に乗ってエアコンかけたから、冷えたかな・・。」
「あー。やっぱり沖縄は暑いですよね。」
花は澤崎が見ていたものに、なんとなく視線を向ける。
ありふれた地域の広報が張り出された看板だった。
彼女には特に気になるようなものはなかった。
だが、澤崎にはあった。
看板の張り紙、その中の1枚。
数年前に行方不明になった認知症高齢者の捜索願いがあった。
澤崎は彼がどうなったかを誰よりも知っていた。生きて見つかることは決してないのだ。
他ならぬ澤崎が深夜に飲酒運転をしていた時に、彼を轢き殺していたからだった。
全ては李の前任者が配下と共に行ったことだった。
中国側に目をつけられていた澤崎は、4年前のある日、仲良くなった中国人留学生数人と夜遅くまで酒を飲み、言葉巧みに女子留学生を下宿まで送ってくれと、飲酒運転をするように挑発された。
そして、近所の老人施設から拉致された老人を轢いたのだった。
彼は認知症とは関係なく、気絶した状態で路上に放置されていた。
酒を飲んでいた澤崎は路上に横たわる物体に気付いたが、避けることは出来なかった。
激しい衝撃に車を止めた澤崎は車から降りた。
その時、助手席の女が「大変!あなた人轢いたわよ!」と叫んだ。
そんな馬鹿なと思って駆け付けるが、本当に人だった。しかも一目で手遅れと分かる。
119番か110番通報をしようとしたが、自分が飲酒運転であることを思い出し、スマホを取り出す手が震えたまま止まる。
その場で凍り付いたように澤崎が立っていると、店で別れたはずの留学生の友人がどこからともなく知らない人間を数人伴って現れた。一人はわざとらしく現場の動画撮影をしている。
カタコトの日本語をしゃべる頼り無い中国人留学生のはずの彼は、別人のように冷徹な態度と、完璧な日本語を操っていた。
「澤崎君、大変なことをしちゃったね?このままだと、君とお母さんの人生はお先真っ暗だ。気の毒に。母子家庭で一生懸命生きてきたのに。でも人殺しちゃったから仕方ないかな?私は君と一緒に酒飲んでる動画撮ってるし、危険運転致死罪は確定だよね。」
酒と恐怖で澤崎はまともな判断が出来る状態ではなかった。
「でも、君次第で、この事故。無かったことに出来るよ?代わりに我々に少しだけ協力してくれるだけでいいんだ。どうする?悪い話じゃないだろ?急いで決めないと、他の目撃者できちゃうかもよ?」
「本当に助けてくれるのか!頼む!助けてくれ!」
澤崎は思わず、彼にすがりついていた。
「いいだろう。だが、忘れるな。助けてやるのは、君が我々に協力を続ける限りだ。それができなければ我々は警察に通報するだけのことだ。」
そして遺体は隠蔽され、高齢者の施設脱走からの行方不明騒ぎは大したニュースにもならなかった。
以来、澤崎は中国の手先となって大学内にサークルを立ち上げ、わざと留年を続けて活動を続けていた。
サークルは環境保護活動を謳っていたが、本当の目的は、中国の息がかかった沖縄県内のNGOや一般社団法人に、学生をリクルートして無自覚な工作員に仕立てあげ、将来の沖縄独立運動工作の準備に協力することだった。
以来、実家とは殆ど音信不通になっている。
勿論、澤崎を罠にはめた留学生は中国戦略支援部隊の人間だった。彼等は既に交替で帰国しており、今の主な担当者が李だった。
澤崎にとって不幸だったのは中国側は工作の「実働訓練」の一環として、澤崎の手を汚したことだった。
本当はわざわざ人を死なせてまで澤崎の弱みを握るやり方をする必要は無かったのだ。
無論最も不幸だったのは、訳の分からないまま就寝中に施設から拉致されて殺された男性高齢者と、その妻だった。
彼女には厳重に離設防止がされていたはずの施設から、防犯カメラにも映らずに、夫が行方不明になるなど信じられなかった。いくら施設にクレームを入れても施設にもどうすることも出来なかった。
彼等には施設の防犯カメラが中国の諜報組織にハッキングされていたなど、とても想像できるような話ではなかったのだ。
警察の捜査でも夫は見つからず、何故か殆どニュースにもならなかった。
途方にくれた彼女に出来ることは、自治会に頼んで捜索願いを張り出すのを続けることくらいしかなかった。夫婦には子も、親戚も殆どおらず、取れる行動は限られていたのだ。無論、中国側はそこまで考慮してターゲットを選定していた。