武夷山市の朝
2025年4月3日 06:50 中国 福建省 武夷山市
付文艶は武夷山市に住む元旅行ガイドだった。もうすぐ45歳になる。
彼女は3人姉妹の末っ子として生まれた。一人っ子政策の世代にしては珍しい。
彼女の父は、ペナルティを覚悟の上で、男子を得るために3人の子をもうけた。だが、皮肉にも生まれてきたのは、3人ともに女の子だったのだ。(一人っ子政策下でも、子供を二人以上産む例はあるのだ。)
ペナルティだけでなく、社会的な制裁までも受けた父は、何度か職を失い、付の幼少期は非常に貧しかった。だが、彼女は父に感謝している。
こういった場合、罰則を逃れるために、親から戸籍を与えらない「闇子」としてひっそりと生きていくことを強いられることが、中国の女子には多かったからだ。
だが、付の父は愛情を持って、3人の娘を育てた。勿論、戸籍も堂々と申請している。
若い頃の付は日本語を勉強し、日本への渡航を夢見たが、それは叶わなかった。
だが、その代わりに日本人相手の旅行ガイドの職を得ることができた。
武夷山は世界的に有名な景勝地でもあり、世界遺産に登録されている。烏龍茶の発祥地ともされており、世界遺産巡りをする、富裕な日本人が多く旅行で訪れていたのだ。
付がガイドの仕事を始めた当時は、日本語を話せる中国人ガイドの質はピンキリで、ガイドが外国人旅行客にぼったくりを行うなどのトラブルは、珍しくなかった。
そんな中、父に似て誠実で優しい付によるガイドは、日本人旅行客に評判だった。
社長クラスの客の中には、付の仕事ぶりを高く評価し、チップをはずむだけでなく日本への移住を進める者まであった。
良かれと思ってのことだろう、国内では決して語られることのない、天安門事件などの弾圧の情報を教えてくれる者もいた。
そちらは、付にはありがた迷惑だったが、仕事ぶりを評価されたことは嬉しかった。
もう少し早ければ、日本人との間に出来た伝手を使って、日本に行ったかもしれない。
だが、付は幼馴染の茶屋の跡継ぎ息子と結婚し、子供が出来ていたから、そうまでする必要は無かった。
金が必要なことに変わりは無かったが、付は十分に幸せで、裕福でないが、誠実な夫と家庭を築くことの方が大事になっていたのだ。
あの頃は、武夷山市内もよく停電が起こっていた。
日本のODAで建設された高速道路があちこちで建設され、見かけは良くなったが、一たび大雨が降れば落石がゴロゴロしているような有様だった。
それからさらに20年近く時間が過ぎ、以前に比べれば国内のインフラはしっかりとしており、文句も無い。生活水準は遥かに良くなり、子供達には自分ほどの苦労をさせずに済んでいた。
景気が悪いと言っても、付が子供の頃と比べると、生活水準は絶対的に良くなっていたのだ。
今では付はガイドの仕事を辞め、夫の店を二人で切り盛りしている。夫の父が引退し、店の働き手が足りなくなっていたのだ。
付はガイドの仕事していた頃を思い出す。
あの頃は日本と戦争になるなんて、思いもしなかった。
中国にも日本人にも善人もいれば、悪人もいるだろう。
だが、少なくとも彼女が若い頃に出会った日本人達は、気前も良く、優しい人間が多かった。
(あの人たちと戦争になるなんて・・。)
こうなってしまった以上、日本人相手の仕事はもう出来ないだろうな、とも思う。
息子が昨日の早朝に、ロケット軍の発射の見物に出かけたと知ったときは、生きた心地がしなかった。
直後に台湾からの攻撃があり、空軍基地でもある武夷山空港で爆発があった。空襲警報が鳴り響き、戦闘機が飛び交い、対空ミサイルが打ちあがる。
夜があけると、空港の方角から黒煙が上がっているのが見えた。
しばらくすると、息子は無事に帰ってきたが、携帯が使い物にならなくなっているらしい。
市内では物資の買い占めが再び始まっていた。
コロナ禍が始まっていらい、中国国内では何度も買い占め騒ぎが起きている。
付の家庭でも、いつ生活必需品が買えなくなるか分からないので、買いだめする習慣が出来上がっていたから、慌てることは無かった。
彼女は心配させた息子を叱りつけてから、粥の朝食をつくり、無事に家族揃って食べる。
食後に夫はいつも通りに、お茶を淹れてくれた。
そして、また一夜が明けた。またしても断続的に空港からは爆発音が聞こえてくる。
今朝の息子は大人しく家に居た。付はもしかしたら、流れ弾が飛んでくるのではという心配で、あまり眠れていなかったが、いつも通りに朝食の支度をした。
朝食を囲みつつ、「台湾・沖縄解放戦争」の話題になる。
「戦争に勝ってるみたいだけど、ニュースはあまりはっきりしたことは流してないね。米軍の空母をやっつけたみたいだから、早く戦争は終わるかな?」
「お家の商売には影響は出ないかしら?」
「国外からの個人輸入希望には影響はでるかもしれないね。インターネットの調子も悪い。しばらくはまたお店の経営苦しくなるかも。」
朝食を終えると、息子は勤めに出発する。夫はタブレット端末を操作して、夜中に届いた注文をチェックしながら、まだお茶を飲んでいた。
「ごちそうさま。お父さん、お母さん、仕事行ってくるよ」
「行ってらっしゃい。危ないところや、空港に近寄ってはだめよ?お仕事だって、戦争が終わるまでは休んでもいいんじゃない?」
「分かってるよ。でも無駄に会社を休んで、チャンスを潰すわけにはいかない。」
「お父さんとお爺ちゃんは、跡取りが出来るから、そのほうが助かるけどな。」
「お父さん!」
「済まない。済まない。そんなに怒るなよ。おや、注文が増えている。お得意様の退役中将、張閣下からだ。きっと息子さんもまだ軍に居るんだろうな。」
「以前、武夷山に勤務されていた頃に、良く買いに来られてたわね。大変ね。早く戦争なんて終わればいいのに。」
「しっ。今は、誰がどこで聞き耳を立てているか分からない。滅多なことは言っちゃダメだよ。お前は日本人寄りだと思われ易いんだから、気を付けないといけないよ。」