インストラクターパイロット
その時、相手のF15が今度は急にシザースを打ち切って、水平飛行に戻った。
潘は面食らった。シザース機動はまだ1旋転目が終わったばかりで、相手には機動を続ける体力が、1分間相当は残っているはずだったからだ。
相手は潘のJ11Bの前に飛び出す。再びHMDでのロックオンを躱されたものの、潘もまたシザースから立ち直ると、今度こそ後方から完璧にロックオンを決める。
相手は水平飛行に戻ると、今度は左の垂直旋回に入っていた。
(苦しまぎれか?もう逃げられないぞ)
潘はF15のパイロットの意図を図りかねたが、ロックオンをかける。だがすぐに気付く。
「罠だ!」
次の瞬間、J11Bの右翼が吹き飛んだ。
潘は一瞬もためらわず、フェイスカーテンハンドルを思いきり引っ張って、体を小さくし、コクピットから緊急脱出する。
直後に2発目のAAM5が、藩のJ11Bを打ち砕いた。
(失敗だった。敵の僚機が考えていたより遥かに早くカバーしてきた。あのしぶといF15のパイロットは、そこまで読んでいたのか?)
田辺2等空尉は、柳瀬3等佐の僚機=ウイングマンを務めていた。まだ飛行時間は1000時間にもならなかったが、201飛行隊でインストラクターパイロットを務める柳瀬3佐に鍛えられて、急速に技術を伸ばしていた。
航空自衛隊の戦術戦闘飛行隊では、技量に優れたパイロットがインストラクターパイロットとして、若手を指導する。
普段の訓練からして柳瀬3佐と組んでのフライトが多かったが、今日の実戦でも彼の2番機に入った。
F2と交戦中のJ11編隊を奇襲することに201飛行隊が成功した時、柳瀬3佐は自身のフライトを分離した。
柳瀬は田辺だけを率いて、1機で孤立していたJ11Bの攻撃に入ったが、何故か田辺に自機との間隔を広げるように指示した。
その直後に、田辺は柳瀬機がAAM5を発射するのを目撃したが、次の瞬間に信じられないものを目撃する。
J11Bはスピンもどきの機動、日本のパイロットが昔から「捻りこみ」と呼んできた機動に近い動きで、あり得ない程の急速な方向転換を行うと、AAM5を躱してしまったのだ。
サイドスラスターで高機動を行うAAM5は、回避不可能なはずなのに。
それでだけでなく、柳瀬機は相手の前に飛び出しかけている。
間隔を広げていたおかげで、田辺からは状況が見えていたが、柳瀬からはJ11Bが消えたように見えたはずだった。
(危険だ!中国にもあの機動を出来るパイロットが存在するとは!)
田辺はプレストークボタンを押して無線を作動させ、柳瀬に緊急回避を促す「ブレイク」を叫ぼうとする。だが、彼はさらに信じられないものを見る。
柳瀬はまるでそうなることが分かっていたかのように、即座にバレルロールを行って相手の前に飛び出す事態を回避したのだ。
だが、彼等のF15はHMDを装備していないため、AAM5の能力を完全に発揮できない。
J11BがHMDを装備しているタイプだったら、このままだと柳瀬は撃墜されてしまう。
その時柳瀬から、他人事のような落ち着いた声で無線が入る。
「キャノ。ロックしとけ。まだ撃つなよ。」
柳瀬のF15とJ11Bは、お互いバレルロールを打ち合い、ローリングシザースにもつれつつあった。
間隔を開けていたので、田辺機はシザースに入っていない。
スロットルを絞って2機の前に出ないようにしつつ、簡単に田辺機のAAM5はJ11Bを捉えた。
だが、このまま発射すると、柳瀬機を誤射するか、命中の爆発に巻き込む可能性がある。だから柳瀬はまだ撃つなと言ってきたのだ。
「ロックオン!」
すると柳瀬はシザースを切り上げ、J11Bの前にあえて飛び出して間隔を空ける。
さらに急旋回を行って、田辺機の射線から退避。ほんの一瞬だけ柳瀬機を巻き込む心配が無くなった。
すかさず柳瀬が「やれ」と言ってきた。
「エメット3・2、フォックス・ツー、フォックス・ツー!」
田辺がAAM5の発射を無線でコールし、リリースボタンを押し込むと、翼下のレールランチャーからAAM5が飛び出す。一瞬間を置いてもう1発。
間一髪、J11Bが攻撃を開始する前に、田辺が放ったAAM5が相手の右主翼を吹き飛ばす。
さらに驚いたことに、相手のパイロットは瞬時の判断でベイルアウトを行って、2発目のAAM5が直撃する寸前に脱出した。
「なんて奴だ。」
田辺はJ11Bのパイロットの瞬間的な判断力に舌を巻く。
薄氷の勝利だった。
一瞬のチャンスを逃したら、次の瞬間には柳瀬が撃墜されていた所だった。
そうなってしまえば、田辺一人では勝ち目が無かったはずだ。
いくら背後をとっていても、AAM5を躱し、劣位から柳瀬と互角以上に戦った上に、あれだけ反射神経の良いパイロットだ。
性能の劣るF15では、AAM5で攻撃する前に切り返されて、正面からの打ち合いに持ち込まれていたかもしれない。
そうなった場合、HMDを相手が装備していたなら、今度は田辺が一方的に攻撃されていたはずだった。腕が違いすぎる。
離脱しても良かったが、簡単に逃がしてくれそうな相手でもなかった。
「サンキュー、「キャノ」。助かったぜ。」
間一髪だったのに、柳瀬の声はパチンコ代を貸した時に礼を言われた時と、大して変わらなかった。
(「キャノ」が田辺のTACネームだった。配属されて間もない頃に、腕時計をF15のキャノピーぶつけて傷をつけてしまうという失敗をした時に、柳瀬がつけた)
怖かった。性能の劣るF15でも、J11Bと互角に戦える技術を磨き上げてきた柳瀬が居なければ、殺されていたと思うとゾッとする。時間にすれば一瞬で終わった格闘戦だったが、様々なものが詰まっていたと田辺は感じていた。