九州沖航空戦
201飛行隊はかつての米ソ冷戦時代には、同じく千歳に配備されている203飛行隊と共に、航空自衛隊最重要の戦闘機部隊とされ、編成も他の飛行隊より1個フライト分多い24機編成だった。
だが、今や通常編成に戻っている。かつては最優先だった機材の配備も、優先順位が下がっている。
24機編成の「ビッグ・スコードロン」は、現在では那覇の第9航空団に対して行われている措置だった。
だが、機体の性能が劣っていようと、それでも勝てる方法を模索するのが戦闘機パイロットというものだ。
201飛行隊は敵機を撃墜するのではなく、囮役を買って出ることで、上陸船団上空の直掩機を引き寄せ、対艦攻撃作戦そのものを成功させようとしていた。
そして今、201飛行隊は築城を出撃して尖閣諸島方面に、高度6000メートルでこれ見よがしに進撃している。
レーダーも積極的に使用しているが、実際にはF35Aの索敵データを元に、地上要撃管制=GCIとAWACSの音声による管制を受けてもいる。
目標となる第2船団上空のCAPは、人民解放空軍第109旅団の主力2個大隊が行っていた。
中国空軍の戦闘機旅団は通常、4機編成で中隊を、中隊2個で大隊を編成する。
さらに大隊3個で24機の旅団を編成していた。
通常は2個大隊で作戦を行い、残り1個大隊は予備とされることが多い。
今回のレギュラーの2個大隊のうち1個大隊は、ベテランパイロットの潘少佐が指揮を執っていた。
ウイグル自治区の昌吉から展開してきた第109旅団は、平時は内陸に展開する部隊なだけあって、洋上航法の訓練をあまりしていなかった。
そのため、今回の作戦における主任務は、本来は上海上空のCAP、本土を攻撃された場合の迎撃、バックアップとされていた。
だが、任務は大きく変更された。弾道弾、巡航ミサイル攻撃で、戦闘機部隊のローテーションに大きな混乱が生じたのだ。
本来は上海上空のCAPを交替するために離陸したばかりだった藩達が、急遽船団の直掩に駆り出されることになっている。
潘少佐の大隊は、J20の大隊と交代して第2船団の周囲を周回している。本来は引き続きJ20の2個大隊が引き継ぐはずが、彼等は滑走路を破壊されて発進出来なくなっていたためだ。
北斗も使えないので、昔ながらの航法と、上海のGCIコントロールが頼りなのだが、いざとなれば妨害電波で支援が途切れることを覚悟しなければならない。
中国内陸ウイグルの砂で、痛みがちなエンジンを抱えての洋上飛行。
しかも本土からの救難機ヘリは当てにできない距離。船団も自分達の任務があるから、万一潘少佐の大隊にトラブルが発生しても、救助は望み薄だった。
それでも、細かく飛行チャートをチェックしながら、第2大隊長の潘少佐は思っている。こんなことで手一杯になるようでは、戦闘機パイロットの価値は無いと。
中国本土への爆撃にせよ、船団への攻撃にせよ、今の混乱した状況は敵にとってのチャンスだ。かならず敵は現れると彼は予測していた。
すると、電子戦画面に反応が現れる。セントラルコンピューターは、逆探知の反応はF15のAPG63レーダーのものだと判定していた。
F15JSIのAPG82や、F15改のAPG63V1では無い。
潘少佐は、8機の大隊を集結させつつ、目標に機首を向けて状況を考えていた。自分のレーダーで目標を探知する。
距離は400キロ。高度は6000メートル。
直ちに第一大隊を率いている旅団長に敵機発見を報告する。
高度から考えても、旧式のF15らしいことから考えても、これは囮だと潘は考えた。
このまま正面から戦ったところで、相手に勝ち目は無い。
互角に戦うつもりなら、せめてこちらのレーダーを掻い潜ろうと、低空から接近するなり、派手に妨害電波を放つなりするはずだった。
第2中隊に指示をだす。
「低空をルックダウンで捜索しろ。こいつらは囮に違いない。F2が接近してくるはずだ。第1中隊はIRSTでステルス機の接近を警戒せよ。」
潘はF15が陽動であると見抜き、F2かF35が忍び寄って来ることを警戒していた。