ミッションキル
「福建」飛行隊の追尾に移ったF35C編隊、VFA-125「ラフ・レイダーズ」は、いったんレーダーを切ると、E2Dに敵攻撃隊の位置を伝えた。E2Dは無線を通じて指定された低空域を重点的に捜索し、その結果「福建」飛行隊を探知することに成功したのだ。
そのデータは直ちにデータリンクで、VFA-125のF35Cに転送される。
再びセンサーフュージョンで戦況を確認したVFA-125は、超音速巡航での追撃に移った。
BARCAPのF18は8機だけだから、バックアップで1個フライト4機がニミッツを発艦して急行していたとはいえ、それでも30機もの大編隊を迎撃しきれる可能性は低い。
J15は高空で最大マッハ2.5もの高速を発揮できるが、それはアフターバーナーを使用した場合であって、大気密度の濃い低空での巡航速度はマッハ1以下だった。
結果、超音速巡航を行うVFA-125は、彼らの斜め後方から急速に接近しつつある。
そして中国軍にとって運の悪いことに、最後のF35C飛行隊である彼らだけが、虎の子のAIM260を渡されていたのだった。
超音速巡航で「福建」飛行隊を急追したVFA-125は、中国編隊の左斜め後方50キロにせまると、レーダーを作動させた。
そして高い情報処理能力に物を言わせて、瞬時に発射諸元ファイルを作成し、AIM260を斉射した。
最大射程が200キロあっても、後方から追尾しながらの射撃だと、射程は悪くて10分の1まで低下する。
AIM260はそれぞれ機体からのプログラム誘導により、ミサイル自体のレーダーを作動させない状態で、中国攻撃隊の前方、その予想進路に先回りする形で飛翔していった。
E2Dの捜索レーダーを浴びていることは、「福建」飛行隊は気づいており、警戒していた。
そこへ突然後方から、戦闘機の対空レーダーに照射されたのだ。直ちに援護のJ17が電子戦を開始する。
「福建」飛行隊長はヒヤリとする。電子戦パネルの表示を見る限り、敵は50キロ程度後方だ。
だが、KJ600からのデータリンクでは敵機の情報は無い。ということは、後方から迫っているのはF35Cに違いない。
(呉中佐の捨て身の作戦は、失敗したというのか!?)
だが、まだ撃たれていない。アフターバーナーを使用したとしても、F35Cは鈍足のはずだ。AIM120は後方からの射程は、20キロ程度と言われていたから、この距離なら今からでも、こちらがアフターバーナーを使用すれば、逃げ切れるかもしれない。
「福建」飛行隊長は、直掩隊のうち4機に反転迎撃を命じ、残った機には加速を命じる。
その時、電子戦パネルに新たな警告が表示。後方から未知のミサイルにロックオンされていた。
AIM120では無い。J15の電子戦システム、そのデーターベースライブラリに該当の無い、超長射程ミサイルだった。
(まさかAIM260?)
「福建」飛行隊長の認識は正しかった。必中距離に近づいた段階で、AIM260は自らのアクティブ・レーダーを作動させ、高機動で「福建」飛行隊に襲い掛かかる。
「福建」飛行隊長の反応は悪くなかった。即座に全機に回避と対抗手段を命じる。
だが、J17を含めて妨害電波はAIM260の脅威信号には未対応だったから、あまり効果が無かった。
沖縄での戦いでAIM260は既に使用されていたが、当然ながら解析はまだ出来ていなかった上に、電子的に孤立していた艦隊にデータを渡す手段も無かったのが現実だったのだ。
結果、「福建」攻撃隊は次々と被弾機を出した。
より深刻だったのは、対艦ミサイルを4発搭載したJ15が、次々とミサイルを投棄して回避機動をとったことだった。
事実上の最大射程距離で放たれたAIM260は、命中前にロケットモーターを燃焼し尽くしており、残存速度だけで減速しながら攻撃隊に突入。結果的にVFA-125のパイロット達が期待した程、命中弾は出なかった。
だが、VFA-125のパイロット達は、撃墜を狙うのであれば、1機あたり2発のミサイルを撃つところを、敢えて1発ずつ撃っていた。
ミサイルを撃たれた爆装機が、回避するために対艦ミサイルを緊急投棄することで、任務達成が不可能になること=ミッションキルを狙っている。
その上でセンサーフュージョンで中国側の隊形を確認し、中心に居るJ15を攻撃機と判断。優先的に攻撃を仕掛けたのだった。
(ちなみに80年代頃、航空自衛隊の支援戦闘機F1を装備した飛行隊も、演習時にSSM1対艦ミサイルを早々に投棄することが多く、「それでは本来の対艦攻撃任務を果たせない」と、米軍に手厳しく指摘されることがあった。)
生き残り、対艦ミサイルを投棄しなかった4機のJ15を援護して、9機に減った直掩隊は進んだ。F35の追撃は無い。さすがにミサイルを撃ち尽くしたらしい。
攻撃隊のうち5機は、緊急投棄が功を奏して生き残っているが、対艦ミサイルを投棄したのでは撃墜されたのと同じだった。
自らもAIM260をかわした「福建」飛行隊長は、彼等にもついて来させる。その武装は、短射程ミサイルPL10と機銃しか残っていないが、かまわなかった。