垂直降下
2025年4月2日 06:15 グアム沖
開戦と同時に発射されるはずだった、ロケット軍ご自慢の対艦弾道ミサイルは、結局米艦隊が中国本土に接近した場合に備え、温存されることになっていた。
055級2隻に先行配備されていた、DF21F対艦弾道弾8発は期待された結果を出せていない。
衛星が無力化されたため、潜水艦からの概略情報で撃ったが、殆どが見当外れの位置に着弾したらしい。
命中コースに乗った弾頭も、恐らくSM3に迎撃されたのだろう。
中国が大きな期待をかけてきた、対艦弾道弾は今のところ結果を出せていないのだ。
ハワイから中国機動部隊との間合いを保つように、ゆっくりとグアム近海に接近しつつあった「ニミッツ」CSGは、日付が変わって宇宙空間の戦闘が始まると、速度を上げて接近し始めたということだった。
そして艦隊から先行して「ニミッツ」CSGの所在を追っていた、095級原子力潜水艦が連絡を絶った。
撃沈されたか、制圧されたかのどちらかだ。
やはり航空攻撃でケリをつけるしか無い。
中国機動部隊は、殆どの稼働機を一挙に発進させた。
呉中佐は、自ら率いる「山東」飛行隊第1大隊8機を高度6千メートルで飛行させている。
50キロ後方に第2大隊が、さらにその後方30キロを第3大隊が飛行していた。
さらに2機のJ17が、第1大隊の上空、高度7千メートルに張り付いている。
J17は、「福建」飛行隊にも2機同行していた。
「福建」飛行隊は、「山東」飛行隊の最後尾、第3大隊からみて、後方30キロ、右に100キロ離れた位置を、高度150メートルで飛行していた。
「山東」隊が、米空母の迎撃機を引き付けている間に、空中戦の行われる空域の横をすり抜ける作戦だった。
敵のE2Dのレーダーにギリギリまで探知されないように、海面に近い低高度を飛行している。
米艦隊への攻撃を担当する「福建」の飛行隊は、訓練がまだ十分で無いパイロットが多く、給油機との会合や、給油そのものに手間取る機が続出した。
同じ理由で、巡航高度も150メートルが限界。海面ギリギリの超低空飛行とはいかなかった。
これでは思ったよりも早くE2Dに探知されるかもしれない。
それでも、計画からそれほどの遅れは生じず、「山東」「福建」の飛行隊はそれぞれフォーメーションを組み、「ニミッツ」の方向へ飛行を開始した。
対空戦闘任務のJ15は各機ともに、長射程対空ミサイルPL15を6発と短射程のPL10を4発、それに30ミリ機関砲弾を150発搭載している。
「福建」攻撃隊のうち、対艦任務のJ15は射程400キロのYJ12対艦ミサイルを4発搭載している。
戦闘機で対艦ミサイルを4発も搭載できるのは、大型戦闘機であるJ15の強みだ。
米軍のF18やF35は2発に留まる。
(日本のF2はJ15よりも小型のくせに、対艦ミサイル4発搭載を実現していたが。)
「遼寧」の飛行隊は、既に機動部隊の周囲を周回し、防空戦に備えている。
任務を終えた給油機は次々と母艦に着艦、燃料補給と武装を搭載して再度の発艦に備える。「遼寧」飛行隊のバックアップとするためだ。
危険な作戦を立案し、みずから最もリスクの高い囮役を選択した呉中佐だが、自分の考えた作戦に自信を持っている。
会敵予想空域に入る前から、呉は自機のレーダーを作動させていた。最大出力。
まず間違いなく、レーダーの逆探知によって、こちらの存在は敵に気づかれただろう。
逆にいまのところ、早期警戒機のE2Dらしきものの以外に、敵のレーダー波は逆探知できていない。
(かなり遠いがチャンスがあれば、E2Dも食ってやろう。)
第2大隊、第3大隊はIRSTのみ起動し、レーダーは止めたままだ。
第1大隊各機は、呉の指示で、AESAレーダーの収束モードで索敵を行った。
1本の強力な細いレーダービームを左右に振れば、F35といえど探知できるかもしれないと呉は考えている。
敵はF35Cの接近戦能力にそれほどの自信が無いはずだから、なるべくAIM120を100キロ以上で撃とうするはずだ。
そうなれば、J17ともども妨害電波を発振。チャフを散布しながら回避運動を取る。
敵のミサイルAIM120は傑作として名高いが、最大射程で撃つと、後半ではロケットモーターを燃焼し尽くし、残存速度を減速しながら飛翔するために、回避のチャンスが広がると言われていた。(それは中国のPL15とPL12も同じだが)
呉はそれを狙っていたし、あわよくば第1大隊の何機かは、F35Cをロックオンできるかもしれないと期待している。
しばらくすると、400キロ先の目標をレーダーが探知した。
レーダーディスプレイの画面に目をやり、詳細を確認する。
セントラルコンピューターはF18と判定した。数は8機。呉はそのまま索敵を続ける。
レーダーを操作してAESAレーダー素子のいくらかを、F18のうち2機の追尾に充てる。残りの素子は相変わらずビームを収束させて索敵を続けた。
F18は横並びの体形をとっていた。米軍が「BARCAP」と呼んでいる迎撃体形だ。
ならば、F18の前方に制空任務を与えられた編隊が存在するはずだったが、今のところレーダーに反応が無い。(F18の前方にかならず居るはずだ・・・。)
F18との距離が300キロに近づいた時、唐突にレーダー上のF18の前方に、小さな反応が一瞬だけ現れ、すぐに消えた。
レーダーを操作し、捜索範囲を狭め、反応があった場所に集中的にビームを振るようにする。
一度消えた反応が再び現れ、また消える。
反応は短い間隔で点滅するようになる。
「居た!」
F35Cに間違いない。このままレーダーを絞っていれば、F35Cをしっかりと探知して、ロックオンをかけられるはずだった。距離は約100キロ。F18との距離は200キロで、PL15の最大射程に入っていたが、F35への対応が先だ。
呉は無線封止を解除して、部下に指示を出す。
「100キロ先にF35が居る!微かだが、レーダーを絞れば探知できるぞ!」
「こちらも見つけました!」
「第2、3大隊へ、正面100キロに、F35らしき反応。レーダーを絞って攻撃態勢に入れ。」
中国側の思惑通りと思われた時、呉のヘルメットに突然警告音が鳴り響いた。
同時に電子戦ディスプレイに、敵レーダーの反応が新たに発生する。
第1大隊から見て、10時方向、約50キロの距離から戦闘機のレーダーを浴びていた。
(欺瞞電波?それとも別のF35編隊か!?)
一刻の猶予も無かった、これだけF35に接近されているということは、直ぐにでも攻撃される。
「全機回避機動!電子戦開始!チャフを撒け!」
アフターバーナーを点火。「福建」飛行隊とは反対方向の左に垂直旋回を切る。
さらに警告音。自機に向かって4発ものAIM120が飛んできた。やはり別のF35Cが居たらしい。
呉は先制攻撃には失敗したが、とりあえず囮の役割は十分果たしたと考えていた。
このまま敵をひきつければいい。
しかし急旋回も、ひと昔前のレーダーの目をごまかす効果があったビーム機動も、J17の妨害電波もチャフも、何もかもが効果が無いらしい。AIM120は進路を変える様子が無かった。
呉は、僚機に連絡する。「合図したら垂直降下だ!」背後を見る。
既に大隊はバラバラに回避機動をとっている。
AIM120を回避できたとしても、再集結するまで呉の大隊の戦闘力はひどく低下することになるだろう。
呉達に向かっているはずのミサイルはまだ見えない。僚機はしっかりと背後に追随していた。
呉は電子戦画面をみ見つめ、AIM120の反応が接近するタイミングを計る。
かなりミサイルが接近してから、チャフを散布すると同時に、操縦桿を払い、引く。同時にスロットルを操作した。
J15は急横転して背面になり、機首を真下に向けると、アフターバーナーを使用して、ほぼ垂直に海面に向けた急降下に入る。通常ではあり得ない、自殺行為と言っていい操作だ。
(これでどうだ?)
電子戦画面からミサイルの表示が一つ減る。回避機動と妨害電波が効果を発揮したらしい。
だが、3発は振り切れなかった。AIM120の反応は接近を続ける。
バックミラーに黒い点が見えた。ミサイルだ。
呉は喉を締め上げられるような思いをしていた。激しい回避機動や欺瞞を無視して、3発のAIM120がなおも突っ込んでくる。
その時、脳裏に閃くものがあった。兵装の緊急投棄スイッチを操作。4発のPL15を投棄する。
AIM120の1発目は、J15の後方にまき散らされたPL15をロックオンするようなことは無かったものの、PL15に磁気式近接信管が反応して爆発した。PL15はさらに2発が誘爆する。
さらにAIM120の2発目と3発目が、合計3発の対空ミサイルがまき散らした破片に突っ込み、爆発した。
(助かった!)
首を思いきり捻り、後方を睨んでいた呉は、その光景を見た。
警報が止まり、恐怖に満たされていた心に安堵が広がる。
だが、その気分は次の瞬間に起きた、僚機の爆発と共に消し飛んだ。
僚機は隊長ほど運が良くなかったのだ。
呉は僚機を、部下を失った内心の衝撃を押し殺し、努めて冷静を保った。(畜生!いい部下だったのに!)
彼の窮地はまだ続いている。今度は海面が目の前にせまっていた。
アフターバーナーをカットする。同時にスロットルをアイドル位置に戻し、さらにエアブレーキを展開して急減速を図りつつ、スティックを引いて垂直降下から機体を立ち直らせようとする。
一気に荷重がかかり、呉は人体の限界一杯である9Gに耐える。直ぐにGメーターは9Gすらも超え、機体は限界を超えたことを警報で知らせる。
それでも、呉の目の前には容赦なく海面が迫ってきつつあった。
無茶な機動の結果、オーバーGに陥って気が遠くなりかける。
呉は叫んで意識を保とうとした。
一瞬遠のく意識の隅で、呉は両翼がフラッターを起こすのさえ感じたが、彼は機体と整備員を信じた。
だが、そうでもしなければ、撃墜されるか、海面に突っ込むかというギリギリの瞬間を、呉は飛び抜けつつあったのだ。
ようやく水平飛行に移ってGが抜けた時には、高度は実に200メートルを割っていた。
呉は全身で息をしていた。喉が痛い。フライトスーツ、ヘルメットの内側が気持ちの悪い脂汗で、ぐっしょりと濡れている。
危なかったが、呉はJ15の限界以上の性能を引き出すことで、このピンチを乗り切ったのだ。
上空を見つめると、黒煙と白煙、それに飛行機雲がいくつも伸びていた。いくつか火球もまたたく。(とにかく戦況を把握しなくては。第1大隊はどの程度損害を受けただろう?第2、3大隊は追撃に移っただろうか?)
呉は復讐に燃えた。機速と高度を回復して反撃に移ろうとする。
だが次の瞬間、再び警報が鳴り響く。
呉の判断力と反射神経をもってしても回避機動を取る間もなく、AIM120が真上から力尽きた呉のJ15に命中。彼と愛機を打ち砕いてしまった。
呉を執拗に追いかけてきたF35C2機は、ギリギリまでレーダーを使わずに、光学センサーであるEO-DASだけで追尾していた。
しかもF35Cの統合型コアプロセッサーは、レーダーを起動してから探知、捕捉、ロックオン、発射諸元計算、そしてAIM120発射までの膨大な演算プロセスを、ごく短時間で処理してしまっていたのだ。
このため呉中佐はレーダー警報から、攻撃を受けるまでに時間を与えられず、何か手を打つ間もなく撃墜された。殆ど何が起きたのか分からなかった程だった。