秦艦長の憂鬱
3空母が出航する前に、旗艦「福建」で艦隊首脳部の作戦会議が行われていた。
「福建」の艦長である秦上佐は、自身も艦載機乗りだった。最初に「遼寧」の飛行隊が編成された時の、創設メンバーでもある。
彼は最初から海軍の人間だったわけではなく、空軍から空母航空隊編成にあたって転出してきたパイロットだった。
(中隊長だった時に連隊長だった胡中将と揉めて、空軍から追い出された)
当然、それまで海軍での勤務経験はなかったが、米軍に倣って、空母艦長はパイロット出身であるべしとする方針により「福建」初代艦長に抜擢されたのだった。
しかしながらこの人事に対して海軍部内では、彼が海軍生え抜きでないことを快く思わない者もいた。
パイロットでよければ、もともと駆逐艦の艦載ヘリや、空母の艦載ヘリ部隊に勤務したことのある、海軍生え抜きの士官も存在するのだ。
実際、米軍にもヘリパイロット出身の空母艦長は珍しく無い。
だから憧れの最新鋭空母艦長職を空軍に盗まれたように感じ、快く思っていない者も少なからず存在したのだ。
秦艦長にとって不幸だったのはその筆頭が、上官たる空母機動部隊司令長官だったことだった。
秦上佐は、あくまで艦長であって、機動部隊の作戦立案に直接関与する立場ではなかったが、今回の作戦会議では疑問を感じ、戦闘機パイロットらしい率直さで表明していた。
彼曰く、「遼寧」の艦載機部隊は偽装工作の影響で、洋上での訓練が不足しており、艦に慣れていないパイロットも多い。
さらに、自分の「福建」は実質的な就役が去年で、艦載機の数は最も多いものの、訓練不足で練度は3空母の中でもっとも劣る。
つまるところ、自分達の艦載機部隊はパイロットの練度という視点に立つと、見た目程強力では無い。
ゆえに、大陸から離れた太平洋上で、機動部隊単独で米軍の艦隊を迎撃するのは危険が大きい。
それより台湾近海で、陸軍、空軍、揚陸部隊と連携して敵を迎撃した方が、確実な迎撃戦を行えるのではないか?
それに自分は対潜水艦戦闘に詳しくないが、我が方の対潜水艦戦能力は、特にソナーの能力が十分で無いと認識している。
米軍の恐るべき「シーウルフ」級や「ヴァージニア」級攻撃原潜に襲われたら、対抗できないのでは?
それはかつて、これから向かおうとしている海域で、日帝海軍の空母が米潜水艦に甚大な犠牲を払わされた「マリアナ沖海戦」の再現ではないか?
秦艦長の意見は、従来の中国海軍における、空母機動部隊の運用構想を踏まえたものでもあった。
すなわち、大陸の友軍と連携しつつ、台湾の包囲と東岸への戦力投射を重視するものだ。
従来なら既定路線とされただろう。
だが、これに対する艦隊首脳と艦隊付政治士官の反応は、塩辛いものだった。
要約するなら、
確かに秦上佐の指摘する懸念はあるが、台湾近海で戦うと上陸部隊の支援に拘束され、弾薬、燃料を浪費する懸念と、台湾からの攻撃で損害を受ける懸念とがある。
最悪の場合、米艦隊出現までに戦力が低下して、彼等を撃滅する任務を果たせないかもしれない。
そうでなくても、台湾近海まで米艦隊の接近を許せば、敵空母から発進したステルス艦載機のF35Cが、艦隊の防空網をすり抜けて上陸部隊に損害が出るかもしれない。
そもそもハワイから飛来するであろう、米爆撃機による巡航ミサイル攻撃を阻止するためには、台湾から2000キロ離れたグアム近海まで進出する必要がある。
米軍も長距離攻撃能力を強化しており、状況は以前とは変化しているのだ。
従って台湾近海での迎撃を選択した場合、米軍の増援を阻止することに失敗する可能性が高くなるだろう。
最後に司令長官はこう述べた
「君の言う通り、我が航空隊と対潜部隊は苦労するかもしれないが、敵の空母は1隻だ。
戦闘機はステルス機があるとは言え、その数は10機程度。全部合わせても50機も無い。こちらは100機以上。少なくとも艦載機戦力では優勢だ。
練度に不安があると言うが、君の後輩、教え子であるパイロット達の実力を、もう少し信頼してやってはどうかね?
(万一、君達航空隊がしくじっても、艦隊のミサイル攻撃で止めをさせるからね。)」
そもそも秦が懸念を表したところで、方針は既に上海の統合司令部が承認したものなのだから、覆るはずもない無い。だが、それでも言わずにいられなかったのだ。
F35C云々は理に適ったことを言っているようで、陸軍に対する面子の問題だろうと秦は思った。
台湾近海で迎撃を行わないのも、要は海軍、それも機動艦隊だけで米艦隊を撃滅して、空軍やロケット軍に手柄を奪われたくないからだろう。
何だか秦には機動部隊首脳部に、あの胡中将の思考回路が伝染しているような気さえした。
いくら装備が格段に良くなったとはいえ、相手は米軍だ。簡単に勝てるはずがない。
それなのに彼等は勝つことを前提にして、功名争いを優先する思考回路に陥っている。
どうにも秦には艦隊首脳部が敵として、目の前に迫る「ニミッツ」ではなく、戦後の国内での競争相手を見ているように思われた。
秦は内心ではまるで納得していなかったが、ともかく言うべきは言った。
自分自身が、かつてのようにJ15を駆って戦う立場ならば、余計なことは考えずに敵を墜とすか、沈めることだけを考えていればよく、スッキリしていただろうに。
(出世なんてするもんじゃないな。一線の戦闘機乗りではなくなっても、あくまで戦う立場でいたかったから、艦長になったつもりだったのに。
こんなことなら純粋に強く、上手いパイロットになることを目指す若者達と共に飛べる、練習航空隊の隊長職を希望するのだった。)