復旧及び復帰
2025年4月2日 10:00 沖縄本島
滑走路、エプロン、格納庫、誘導路、弾薬庫、燃料タンク等に甚大な被害を受けた那覇基地だったが、すぐさま基地施設隊による消火と、復旧作業が始まっている。
滑走路の復旧は、1発の弾道弾と、1発のレーザー誘導爆弾の直撃を受けた、A滑走路からだった。
50台もの重機が投入され、破片を取り除き、傷んだブロックを除去し破孔を成型してから、大穴に土を投入して転圧をかける。
そこへグラスファイバー製や金属製のマットを敷き詰めて、さらに細かな破片を取り除く。
仕上げにバキュームカーがそこら中を走って、異物を吸引していた。
微小なコンクリートや金属片でも、ジェット機のエンジンが吸い込めば致命傷になるからだ。
この種の復旧作業の訓練は、実弾を用いて毎年行われていた。
航空自衛隊では250キロ爆弾による被害の復旧の場合、2時間半程度で毎回完了する程だ。
今回は500キロクラスのレーザー誘導爆弾と、弾道弾による大穴だったため、応用力を試されている。
それでも、二つ合わせて8時間で応急処置が完了し、A滑走路だけでも使用可能な状態になった。
B滑走路を使用可能にするためには、その前に誘導路の穴を補修することが必要だったため、まだ着手もできていない。
米軍の嘉手納基地の方は、2本の滑走路のうち、南側の小型機用滑走路を補修から開始していた。
この滑走路は3発の直撃弾を滑走路の中央と両端に受けていた。
米軍は、風下側の応急補修を3時間で終えると、中央の穴は破片の除去で止めて、いったん作業を中断した。
さらにその1時間後。岩国に退避していた525戦闘飛行隊12機のF22が、1機も欠けることなく嘉手納に戻ってきた。
忘れられがちかもしれないが、F22は開発当初は短距離離着陸性能を求められていた機体だった。
最終的に要求仕様から外れたものの、ベクターノズルを用いれば、小型固定翼機しか離発着できないような地方空港程度、すなわち、1200メートル程の滑走路があれば離着陸が可能だったのだ。
これは長さ3700メートルの嘉手納の滑走路であれば、とりあえず3分の1が使えれば、十分に戦うことが出来ることを意味する。
残り1個の第90戦闘飛行隊は引き続き岩国に留まっていたが、「嘉手納にF22が早くも復帰した」の報は、嘉手納だけでなく那覇基地の自衛隊員の士気をも飛躍的に高めた。