南の島でも、水底は冷たい
2025年4月2日 南西諸島海域 04:00~10:00
中国側のスタンドオフ兵器攻撃と航空作戦とほぼ同時に、海中での戦いも始まっていた。
海上自衛隊は潜水艦を22隻保有している。そのうち、長期のドック入りで動けない艦は5隻だった。
中国による侵攻の兆候を掴んで、前倒しでドックから出す努力が行われたが、結局その5隻は間に合わなかったのだ。
稼働17隻中の5隻が宗谷海峡と、津軽海峡、日本海、対馬海峡で警戒任務にあたっており、残る12隻は、全てが南西海域に投入されていた。そのうち半数は、練成訓練を急遽打ち切った艦だった。
3隻は奄美周辺。3隻は沖縄本島周辺。さらに3隻は先島諸島の南側海域。最後の3隻は先島諸島の北側海域で哨戒線を張っていた。
中国の意図が、先島方面への上陸であることが判明した段階で配置変更が行われた。
沖縄本島、奄美方面の6隻は、このままだと遊兵化するため、先島方面へ慎重に航行しながら位置を変えようとしている。任務は先島諸島に向かう上陸船団の迎撃。
先島の南側海域の3隻は、台湾の東側から敵が回り込んできた場合に備え、そのまま哨戒を続行する。
これに対して、中国は上陸船団の露払いと日米海軍の作戦行動を妨害する目的で、沖縄周辺海域に通常動力型潜水艦の039型、039A型潜水艦14隻を進入させつつあった。
彼等の大部分は、自衛隊の海上輸送を監視した後に、上海と沖縄の中間に着底して待機していたが、弾道弾攻撃開始に合わせて作戦を開始。
先島諸島を海上封鎖、あるいは宮古海峡を突破。さらに数隻は輸送船団とBMDグループを追尾して、日米の艦船を襲撃しようとしていた。
14隻のうち2隻程は、1週間前に訓練に見せかけて、浮上して宮古海峡を突破。さらに2隻がシュノーケル航行で、既に宮古海峡を抜けていた。
4隻は沖縄本島方面に潜伏中。残る6隻は、2隻ずつの単縦陣を形成すると、それぞれ与那国、宮古、石垣に接近していった。
彼等の行動は相当に慎重なものだったが、日米が海底に設置している、音響監視システムに早い段階で探知されていた。
日米は、音響探知に一応成功していたものの、沖縄海域に進入してきた中国潜水艦の正確な数までは把握していなかった。
中国海軍潜水艦隊司令部は空軍を信用していなかったが、事前の情報だと数的に圧倒してはいるため、沖縄周辺の制空権を奪取できるはずだと考えていた。
それは、友軍の対潜哨戒機が沖縄周辺海域まで進出し、彼等の潜水艦を支援可能なことを意味する。
潜水艦と連携させて、隠れているはずの日米の潜水艦を排除すれば、上陸船団に対する脅威は大幅に減らせるはずだった。
実際には米軍の潜水艦は、沖縄周辺には存在しなかったが。
先島諸島北側の海底に着底していた「たいげい」以下3隻の海自潜水艦は、沖縄の通信アンテナから情報を受け取った。
音響監視システムが探知した情報を、海面に浮かせていた通信ブイで受信したのだ。
宮古海峡を突破していた中国側の4隻は、できるだけ深い深度を保って待機していた。着底するには、海底のデータがまだ不足していたのだ。
だが、彼等の通過は、宮古海峡の海底に着底していた、海自潜水艦の1隻「たかしお」の真上だったことで完璧に探知されていた。
「たかしお」の報告を受け、那覇から飛来したP1哨戒機、SH60K哨戒ヘリコプター、それにもがみ型護衛艦の「やはぎ」が探知を継続している。
沖縄南方海域で待機していた、3隻の海自潜水艦は、宮古海峡を突破してきた中国側潜水艦に対する追尾と待ち伏せに入る。
中国の4隻が待機に入った時には、既に完全に捕捉した状態でその周辺に着底して監視していた。
そして弾道弾攻撃と同時に、中国潜水艦が行動を開始する。
ほぼ同時に横須賀からの攻撃命令を受信した海自潜水艦群は、受信用ブイを次々切り離して攻撃態勢に入り、背後から一方的に「039A」型4隻中3隻を撃沈した。
残り1隻は、近くにいた「やはぎ」を攻撃しようとした。
だが、その行動は海自に読まれている。
既に対潜魚雷を搭載して、上空で待機していたP1に難なく撃沈されてしまったのだ。
中国側はAIP機関を搭載し、静粛性を向上させた「039A」型の能力に自信を持っていたが、海上自衛隊が長年蓄積させてきた対潜水艦戦闘能力は、彼らの予想を遥かに上回っていた。
先島諸島北側の3隻の海自潜水艦のうち1隻は引き続き、宮古海峡の警戒と封鎖を続けていた。
残り2隻「はくりゅう」「おうりゅう」は、中国潜水艦の待ち伏せに成功。
それぞれ侵入してきた単縦陣を一つずつ捕捉すると、先頭の潜水艦を撃沈することに成功した。
だが、彼等が有利だったのはそこまでだった。
先頭艦への攻撃で、海自側の潜水艦の存在に気づいた中国潜水艦が、反撃を開始したのだ。
「はくりゅう」「おうりゅう」は、さらに1隻ずつ中国潜水艦を撃沈した後、相打ちの形で自らも撃沈されてしまった。
中国潜水艦隊は先島諸島を包囲するように位置を取り、海洋観測船が採取していた情報に基づき、可能であれば着底して待機する計画だった。
だが、海自潜水艦が配置されていなかった、石垣周辺の海域には罠が張ってあった。
掃海母艦「うらが」が2日前に、潜水艦で着底できるだけの面積のあるフラットな砂地や泥地に対して、対潜水艦機雷を散布済だったのだ。
石垣周辺海域への侵入に成功した最後の2隻のうち、1隻がこの機雷に引っかかり撃沈されてしまった。
つまり、中国海軍は潜水艦6隻で先島諸島を封鎖する計画だったものが、たった1隻しか生き残らなかったのだ。
これにより、宮古島、与那国周辺では、双方の潜水艦は宮古海峡に着底する「たかしお」と、中国側最後の039型1隻以外に存在しない状態となる。
こと、潜水艦に関する限りは、戦況は早くも降着状態だった。
本州へ引き上げる船団とBMDグループの襲撃を狙った4隻は、上空を警戒していたP1、P8、P3、SH60がばら撒いたソノブイ(潜水艦を探知するための機材)によって、行動を封じられた。
海自側哨戒ヘリのディッピングソナー(同じく潜水艦を探知するための機材)や、艦艇の曳航式ソナーの探知可能域まで接近するどころか、完全に身動きが取れなくなって、追尾や襲撃をいったんあきらめざるを得なかった。
それでも中国海軍においては、艦長よりも上席である政治士官に促された2隻は、強引に攻撃を行う。
しかしその積極的な行動は、襲撃運動に入った途端に、次々と探知されて哨戒機が群がる結果となった。
海自哨戒機は次々と魚雷を投下して、2隻ともに撃沈されてしまったのだ。
日米の哨戒機は、航空戦の激化に伴い退避したが、既にその任務は半ば達成したも同然だった。
中国海軍潜水艦隊は、こうして先島諸島周辺の海自潜水艦の排除には成功したものの、14隻の潜水艦をわずか半日で11隻までも失っていた。
生き残っているのは、石垣島の海底に着底する1隻と、沖縄本島周辺でソノブイのバッテリーが切れるのを辛抱強く待っている2隻の、計3隻だけだった。
だが、中国側は連絡が途絶えた潜水艦が多数存在することに不安は感じつつも、そこまで酷い損害を受けているとことには気づいてはいなかった。