電話の向こうの声って小声でも結構聞こえているから注意した方がいい。
東の空から西に向けて、紺、水色、黄色、オレンジ、赤。様々に染まる空。海はその色を写してキラキラと輝く。
私はタクトに手を引かれながら、港町ウィーザントの展望台に続く緩やかな階段を上る。
「前はあんなんだったからな。ちゃんと連れてきたかったんだ」
「ありがとうタクト。嬉しい」
私の、為か──顔が熱い。タクトの耳も赤い。私の顔もきっと赤いだろう。
夕日が誤魔化してくれるとかそんなの聞いたことあるけど、全くの無意味だ。赤いもんは赤い。
生命維持以外の意味で繋がれた手だって、いつもより格段に熱い。
階段を上り終えると、この前とは違って誰も居なかった。
「おぉ! やった! 独り占めだ!!」
「そうだな」
ゆるく笑うタクトに鼓動が跳ね、少し焦りながら繋いだ手をスルッと離し、展望台まで走った。
胸の高さまでの石塀に両腕を乗せて、海に沈む夕日を眺めているたら、タクトに後ろから抱きすくめられた。
「っ」
「ユイ」
すぐの距離で聞こえる声にビクッと肩を揺らすと、軽い笑い声が直に体に響く。
「街に降りて一緒に住まないか」
「へ?」
少し緩んだ腕の中、身をよじりタクトを見上げると、深い緑に染まった、熱のこもる瞳があった。
「結婚して欲しい」
「は、え?」
タクトの顔が少しずつ近付いてくる。
もとより離れていない距離。
「ちょ、まっ───私っんっ」
ゼロになるのは早かった。
柔らかな感触に意識が持っていかれる。
タクトに身を任せるのは思いの外気持ちが良かった。
が。
待って苦しい。
息はどうすれば……鼻か!
鼻呼吸ってどうするんだっけ。
ダメだ完全に混乱してる。
くる、しい。
「ぶっはぁぁぁぁ!!!!」
「きゃっ」
上体反らしの様に体を持ち上げた。肺に一気に新鮮な空気が入ってくる。
「え……」
目の前にはフカフカで清潔な枕。
「ゆ、夢?」
「ユイさん、大丈夫ですか?」
肩で息をしながら横を見ると、既に着替えが終わっているエリーがいた。
「何か怖い夢でも?」
「あ、えっと……あれ?」
何の夢見てたんだっけ? 何か苦しくて。
「あ、鼻呼吸が出来なくなる夢」
「それは怖い夢でしたね」
神妙な顔をしてエリーが背中を撫でてくれる。私が男ならば本気で嫁にしているところだ。
「あ、ユイさん、先ほど私の朝食を係りの方が運んで下さったのでそろそろユイさんも出勤の準備をする時間だと思います」
「うん。ありがとう」
お兄さんと夕食を食べて食堂の窓ガラスを破壊した日から4日が経った。
目下の目標としては、MP基礎値の底上げと雷の矢の製作。
レベルを上げるには魔獣もしくは魔族と戦って、ステータス全体の経験値を溜める必要があるけれど、MPの底上げをするのならただ魔法を使えばいいだけだ。
だがタクトもお兄さんもダミアンさんも、対等に戦えるような人は皆、当たり前に忙しく、MPをアホほど使うような特訓はそうそうできない。
私がそこそこ戦えるということは城の方々にはバレているので、もう喧嘩を売られることもない。
第一に私も働いてお金を貯めなければならないので、日常を普通に過ごして地味に底上げを図っている最中だ。
身支度をして、サイドテーブルに置いてある雷棒を手に取る。毎日念じてはいるが、少し伸びたような気がしないでもないけど、何の変化もない。
雑に鞄に突っ込み、部屋を出た。
「ごめんタクト、おはよー」
「遅い」
7階への階段を下りると、タクトが既に待っていた。
「ごめんって。何か怖い夢見てさ」
「夢? どんなだ」
「鼻呼吸が出来なくなる夢」
「口呼吸はできなかったのか?」
「……うん。なんでだろう鼻呼吸に拘ってた」
いつも通りの下らない会話、いつも通り手を握られる。この4日で私も握り返すのが普通に出来るようになった。
きちんと手を繋いでいる。凄い。人間やればできる。
7階の転移陣に乗り、係りの人に東塔3階に飛ばしてもらう。
食堂に入り、私はとろろ芋と卵と麦ご飯とお味噌汁を注文したら、お新香をおまけで付けて貰えた。
「今日は何の仕事をするんだ?」
スクランブルエッグ、ウインナー、簡単なサラダ、コーヒー……洋朝食の定番のようなプレートを前にしたタクトが、バターロールをかじる。
「今日はガヤさんと街で2回目の出張ヒーリングに行く予定」
私は麦とろろ(卵入り)を頬張る。
ご飯の美味しさもあるけど、出張ヒーリングは楽しみにしていた仕事で、つい顔が綻ぶ。
「嬉しそうだな」
「うん。結構好きなんだこの仕事。タクトは忙しそうだね」
「ティンバーレイクがマジで勇者と合流したからな。まとめることが増えてる。……昼は一緒にとれないと思う」
隠しボスの気配を漂わせたタクトをスルーした。
朝食を食べ終えると直ぐに転移陣の部屋に移動し、タクトを見送って私も陣に乗った。
☆★☆
相変わらずの瘴気の空と篝火が焚かれた広場。
私の斜め後ろでガヤさんが子どもを安心させるように立っている。ガヤさんの一般魔族からの信頼の大きさも相変わらずだ。
「はい、終わりです」
「ありがとう光魔法のお姉さん、ガヤ様」
ダークブロンドの髪をアップにした、ぱっつん前髪と小さい三角の角が可愛い女の子。
10才くらいだろうか。手荒れが治らないという相談だった。
綺麗になった自分の手を嬉しそうに眺める女の子に、サインを書いて欲しいとノートとペンを渡した。
これを書いてもらわないことには私のお給金は支給されない。
「えっと……あの、わたし字が汚くて」
「大丈夫だよ」
そう微笑むと、ぱっつん前髪の奥にあるマユゲが困った様に下がる。戸惑いながらもペンを動かし書いた文字は。
『yew』
「ユーちゃん?」
「! うん!」
ユーちゃんは自分の書いた文字を読んでもらえて嬉しいのか、とても可愛らしい笑顔をくれた。
フィオナの記憶を思い出してから変わったことの1つが、文字が読めるようになったことだ。
きっとユイだけの記憶だったら、戸惑ってユーちゃんを傷付けていたことだろう。あぶねぇあぶねぇ。
ユーちゃんは、また来るねと嬉しそうに帰っていった。
「手荒れは慢性化するからなぁ。大人になればちょっとはマシになるんだが」
「魔族の大人は強いですもんね」
それから小一時間ほど治療を続けた。前回よりも確実に人が増えていて、MPはもうすぐ半分なくなるくらいまで減った。
「そろそろ戻るか。タクトの瘴気払いもあるんだろ?」
「今日は忙しいみたいで昼会えないんですよ。夕食まで堪えるって言ってました」
ガヤさんが呆れたように「大丈夫かよ」と呟いたその時、強めの風がガヤさんにまとわりつくように吹いた。
「風魔法だな──何だ」
『ガヤ、ベリだ。すまないが戻ってこれるか? 通行書類に不備があって見てもらいたい』
「あ~……」
ガヤさんは私をチラリと見た。完全に気を使われている。「私は大丈夫なので行ってください」とジェスチャー混じりに小声で言えば、風魔法の向こうにいるベリさんから「ありがとう」と返事された。
……若干恥ずかしい。
「一人で帰らせて悪いなユイ。なんかあったら光魔法使えばタクトか魔王様が気付くと思うから迷わずやれ」
「恐ろしいこと言わないでくださいよ」
そんなことしたら本当に冗談では済まなくなるのは目に見えている。
ガヤさんはガハハと笑いながら、手際よくテントとテーブルと椅子を片付け、軽そうに担ぎ、転移陣を出して「じゃあな」と居なくなった。
軽く息を吐き、鞄を斜めにかけて広場を出る。
城に帰っても良いけど……折角なら街を見てみたい。
「確か、街の外れにパン屋さんあったよね」
ゆったりと街を歩く。あちらこちらにある篝火がパチパチと音を立てる。
小さな子ども達とすれ違い、治療した子が手を振ってくれたり、ハイタッチをしてきたり、とても可愛い。
大人達は井戸端会議で笑ったり、店の窓の向こうで真剣に仕事をしている。
「何か……いいなぁ」
1か月後、私は前世と同じ16歳になる。
この世界では立派な大人。
この4日間、ただ地味に過ごしていたわけではなく、エリーが魔界で一人立ちが出来るようになってからの身の振り方をどうするかを考えていたりもしていた。
皮算用だろうか。
でも考えておくに越したことはない。
魔界に来たときは魔界で生きていく上での選択肢なんて無かったけど、今は違う。
一人で出来ることも増えたし、人脈だって少しは広がってる。
花火の成功は、エリーの一人立ちを助けるということだけど、私が城に住む大義名分を失うということでもある。
ダミアンさんからは賃金を上げる交渉をした際に、私の城での仕事は仲間内で済ませられるとハッキリ言われている。つまりは、あってもなくても良いものだ。
そんなものにお金を払わせているのも少し心苦しい。
それに王弟のタクトやお姫様のエリーならまだしも、ただの宿屋の娘である私が理由なしに城に住み続けていいものなのか。
「魔界には不動産屋さんとか無いのかな」
花火にどれだけの価値が付くのかわからないけれど、ダミアンさんの語りぐさから言えば、1回である程度まとまったお金は入ってくるんじゃないかと思うし、独り暮らしも視野にいれた方がいいのかな。
「光魔法のお姉さん!」
「ん? あ」
可愛らしい声に呼び止められて振り向く。
そこにいたのは、さっき治療したユーちゃんだった。
「どうしたの? まだ痛い?」
「ううん、ちがうの。あのね」
こちらに走ってきて私の手をキュッと握る。
その可愛さに思わずデレッと萌える。
仕方がないだろう。前世では末っ子。今は一人っ子。子どもに手を握られるとか無い。
「そっちは危ないからこっち」
「えっ」
グイグイと腕を引かれながら、進んでいた道を振り返る。
確かにそこはゲームで荒くれ者系の魔族が、こちらが負けるまで戦いを挑んでくる道だった。連勝を続けると良いアイテムをドロップしてくれる。そんなミニゲーム。
今はMPが半分ほどしかない。
マジでタクトを呼ぶハメになるところだった。
「ありがとうね、ユーちゃん」
「どういたしま──」
グゥ。
「「……。」」
ユーちゃんの顔が真っ赤に染まった。どうしようこの子本当に可愛い。
「おうちの人、お昼ご飯準備してるんじゃない?」
「お父さんもお母さんもはたらいてるから……これからつくるの」
そういえばユーちゃんは一人で来た上に、手荒れが結構酷かった。きっと炊事はユーちゃんがしてるんだろうな。
「ユーちゃん、お姉さんはこれからパンを買いに行きたきんだけど、安全な道がわからないので案内して貰いたいの」
「えっ」
「それでね、一人では寂しいので良ければ一緒に食べてもらえたら嬉しいな」
私の提案にユーちゃんは花が咲いたように笑うから、ギューンとハートを奪い取られてその場に崩れ落ちた。
私を心配するユーちゃんと手を繋ぎ、パン屋へ向かうその道すがら、知らない人について行ってはいけないぞと防犯の心得を必死で説く私がいた。
読んで頂きありがとうございました。
誤字脱字見付け次第修正します!
また読みに来ていただけると嬉しいです。
評価、ブックマーク、小話への感想ありがとうございました(*´∇`*)