表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Symbiotic girl 共生少女  作者: 月見里歩
1章
5/22

ハローモンスター(その1)猫猿

 前回の流れ。

・水泳大会の予選で泳いでいた筈が、突然異世界の広大な洞窟内に来てしまっていた。

・とりあえず人を探す事にする。


※一部表現、内容、誤字、スペースを編集しました。

 しばらく歩くと、幾らか寒さはマシになった。

 森に入ると、目印の屋根は見えなくなったが、iDの方位磁石が機能したので、一方向にひたすら歩いていた。


 だが、それらとは別に、美咲が抱える問題があった。

 競泳用の水着姿で森を進むのは、他に誰もいないと分かっていても気恥ずかしさがあるのだ。

 非常時に何を贅沢なと思うかもしれないが、せめて胸から腰に巻く大きなタオルが欲しかった。

 ほんの少し前までは、パンツさえあれば心が満たされたのに、パンツだけでなく着替え一式が欲しい事態になるとは思いもしなかった。


 そうして、何十回目かの「夢なら早く覚めて」と思った時だった。

 森が開け、ついに目的の場所に到着した。

 そこは、森と洞窟の巨大な柱の間に作られた町だった。


「すごい!」


 目の前に広がる広大な町に、美咲の鬱屈とした気持ちは少し小さくなる。

 見えていた建物の屋根は、町の中でもひと際大きく、例えれば教会の様に見えた。

 ヨーロッパの田舎にありそうな、西洋建築っぽい建物以外に、石柱をくりぬいて作った建物もあった。

 巨大な壁の様な天井を支える石柱の表面には、よく見れば所々に人工的な四角い窓が開いていた。

 美咲には、自然を利用した超巨大な高層ビルに見えた。

 実際、窓は柱の上の方、高さで言うと150メートル程度までポツポツと開いている。


 どこに投稿する訳でもないのに、美咲はその光景をiDの写真機能で保存した。


 ただ一つ、この町には決定的な問題があった。

 目の前に間違いなく人のいた大きな痕跡があるというのに、人の姿がどこにも見当たらないのだ。

 更に、町の至る所で物が壊されていたり、血の乾いた形跡が見られた。


 立ち直りかけていた美咲の気持ちは、急速に焦りを帯び始めた。


「あの! すみません! 誰か! いませんか!」


 美咲は、呼びかけながら建物を覗き込み、人を探し始めた。

 広場にも市場にも誰もいない。

 何か事件があったにせよ、生活臭は残っているので、つい最近までは普通に暮らしていた筈であった。


 美咲は、この町で何が起きたのか、当然不安に思っていた。

 だが、そんな事よりも、とにかく人に会う事を優先させてしまった。

 藁にもすがりたい美咲には、この町の現実は受け入れられていなかった。


 助けを求めて人を探し、彷徨っていると、建物の窓の中に人影が見えた気がした。

 美咲は、ようやく人に会えたと思い建物に駆け寄った。

 すると、確かに建物の中に何かがいた。


 町の住人を期待したが、それは真っ先に裏切られる事となった。

 気配が人とは、そもそも違うのだ。


「あのっ……!?」


 美咲は話しかけようとした言葉を飲み込んで、足を止める。

 グルルルと、唸り声も聞こえてきた。

 ここまで、森の中で野生動物との遭遇は、運良く、一度も無かった。

 なので、何が出てくるのか想像も出来なかった。

 あの巨大な魚を見た後だと、そこに何がいても不思議ではなかった。


 美咲は、静かにその場を離れ始めた。

 しかし、もう手遅れだった。


 その場を離れる前に、開いている扉からゆっくりと現れたのは、一匹の猿だった。

 いや、美咲が第一印象で猿と思っただけである。

 どう表現するのが正しいのかは、今の美咲には分からない。


 iDの自動検索では未登録生物と表示され、勝手に自動登録された。

 そのまま、クラウドへの自動共有が始まるとエラーが表示される。

 サムネイルを見ると、さっきの魚も勝手に登録されていた。

 普段なら便利なのだろうが、今は、その利便性を享受する暇も環境も無かった。


 その猿らしき生物の身長は、美咲の胸程の高さで、一見大きくない。

 猫背に撫肩で、手が異様に長く、全身がかなり筋肉質に見える。

 その体表は、黒い毛で深く覆われ、顔に覗かせる素肌は血色の悪い白に近かった。

 大きな黒目がちな目をしていて、大きな猫耳がついている。

 鼻も猫の様だった。

 この瞬間もクンカクンカと、鼻を動かして臭いを嗅いでいるのがわかる。


 見ようによっては、大きくてまん丸な瞳が、可愛く見えない事も、ない。

 美咲も人並みには猫が好きである。


 だが目の前の猿は、ゲーム好きの葵や兄なら、間違いなくモンスターと表現するであろう風貌である。

 しかし美咲の価値観からは、単純な見た目から危険性や狂暴さをすぐに判断出来なかった。


 その見た目から、美咲は仮に“猫猿”と呼ぶことにした。




 結果的には良かったのだが、猫猿の持ち物が、どうにも良く無かった。

 猫猿が戸口から出てくると、引きずる様にだらんと垂らした長い手には、地面を引きずって、赤いラインを引く何かが握り絞められていた。

 その手には、人の上半身ほどの大きさの、肋骨が剥き出しになった動物の死体が握られていた。

 美咲が、それが何なのか、何の動物か分からなかったのは、その死体に頭も手足も既に無く、猫猿が食べたのか、あまりにも激しく欠損していたせいだった。


「……ぁ」


 美咲は、猫猿と目があってしまった。

 猫猿は嬉しそうに笑うと、その口から赤く染まった牙が見えた。

 ヤバっと思ったが、身体が恐怖に強張って動こうとしなかった。


 ギャッギャッギャッ!

 猫猿は大きな目を更に見開くと瞳孔をカメラのレンズの様に調整し、耳障りな甲高い声で叫んだ。

 それは、本来なら獲物を見つけた喜びを表す叫びの筈だったが、美咲には結果的に助けとなった。

 美咲には、ある種のスタートの合図に聞こえていたのだ。

 無意識に脳の回路がスイッチされ、身体の自由が戻ると、足の痛みも忘れて全力で走り出した。


 一瞬振り向くと、さっきの猫猿が死体を投げ捨てて、叫びながら追ってきているのが見えた。

 身長が美咲よりも小さいのに、長い腕も使ってかなり走るのが早い。

 あの形相で威嚇する生物に追いつかれたら、酷い目に遭う事だけは、想像できた。


 美咲の逃走を追いかける猫猿の叫びに呼応し、周囲の建物から猫猿と似たような声が聞こえてきた。

 この町は、あの猫猿達に襲われて、放棄されたのか壊滅したのかもしれないと美咲は思うと、気付くのが遅すぎると悔やむ。

 逃げながら、美咲は思わず二度見をした。

 さっきまで追って来ていたのは一匹だけだったのに、気が付けば十数匹の猫猿が全力疾走で追って来ていたのだ。


 それからは振り向かずに、声も出さずに、涙目になりながら、息を切らせて必死に走った。

 町中の建物からは、ゾロゾロと猫猿達が湧いて来た。

 全部で何頭いるのか数えたくも無い。


 美咲が、身を守れる建物が無いか探すと、町の外れに堅牢な砦が見えた。

 猫猿達は町中に集中しているので、砦に町の人が籠城している事を美咲は期待した。


 茂みをかき分け、林を突っ切り、すぐに砦が目の前に見えてきた。

 周囲には広く深い堀があり、脆そうな吊り橋が正門に向かってかかっているのが見えた。

 思わず渡る事を躊躇するが、後ろの猫猿の群を見ると、一気にボロボロの吊り橋に向かって駆け出した。

 こんな時に、いちいち橋を叩いて渡る暇など無い。


 美咲がもう一息で橋を渡り切りそうなところで、猫猿達がワラワラと吊り橋を渡り始める。

 美咲しか見えていないのか、橋の強度を考えているとは思えなかった。

 大きく揺れる橋を渡っていると、橋を形作っていた縄がキリキリと悲鳴を上げ始めた。

 まずい、と橋を渡っていた全員が思った時には、もう遅く、美咲が渡り切る前に橋の縄が切れてしまった。


 美咲は、足元の浮遊感に嫌な汗をかきながらも、急速に沈みゆく橋を泣きながら走り切り、ギリギリ向こう岸の崖にしがみつくと、どうにか必死によじ登った。

 そんな不幸中の幸いの中、不幸にも、よりにもよって、吊り橋を支える町側の柱付近で縄が切れた。

 砦側の縄支えの柱を軸にして、橋が空中ブランコの様に砦側に落ちて、ドガシャッと堀の壁面と橋の踏板がぶつかる音が響く。


 美咲が、ぶらりと落ちた吊り橋の下の方を除き見た。

 そこには、数が七匹にまで減っていたが、猫猿達はしぶとく吊り橋の残骸にしがみつき、我先にと、お互い押しのけ合いながら、かなりの速さで上に登って来ていた。

 橋を渡る前だった猫猿達は、堀を挟んだ先にいる美咲の事を、なおもうろうろと追いたそうにしていたが、広く深い堀を渡る術がない様子だった。


 事実上、一対七になった。

 一対百よりは、まだマシである。


 美咲は、垂れ下がった吊り橋のロープを切れれば、ぶら下がり組を一網打尽に出来るのではと考えた。

 それは、可能ならば良い考えではあったが、美咲の持ち物は、水着の肩紐に引っ掛けたキャップと首にかけたゴーグルだけで、縄を切れそうな物は周囲には無かった。

 水着も崖に飛びついた拍子に、腹の部分が少し敗れて丸い穴が開いていた。


 そこで、とにかく建物の中に逃げようと、砦の正門に走る事にした。

 砦の正門には、大きな扉があった。

 だが、扉は押しても引いても開く気配すらない。


「開けて! 助けて! 誰か!」


 叫び、何度も扉を叩くが、中に人の気配は無かった。

 鍵がかかっているのか、重いだけなのか、とにかく扉はビクともしなかった。


 後ろを振り向くと、一匹目の猫猿が吊り橋をのぼり切ろうとしているのが見えた。

 美咲は、猫猿の視界から逃れようと、当てもなく砦の壁伝いに走り始めた。

 しばらく砦と堀に挟まれた細い通路を走っていくと、背の低い裏口の扉があった。


 今度こそと扉を開けようとするが、今度も開かない。


「冗談! きついよっ!」


 必死に扉の引き手を引くと、その扉は少し動いた。

 どうやら鍵がかかっている訳では無く、ただ古くなって固いだけらしい。


 無理やり引っ張ると地面をガリリと削りながら少し扉が開いたところで、扉の引き手が風化していたのか、ポロリと取れてしまった。

 勢いづいて美咲は地面に尻もちをつくが、すぐ後ろには深い堀の闇。

 堀の底に、美咲の手から零れた扉の引き手が落ちていき、少しすると底で着地の音が聞こえてきた。

 どうやら底無しではないらしいが、結構な深さがあり、落ちれば大怪我は避けられないし、美咲には登る術も無さそうだった。

 堀の底の暗闇にゾッとしつつも、すぐに立ち上がって扉の隙間に手を入れて、全力で扉を開けにかかる。


 やっとの思いで出来た隙間から身体を無理やり滑り込ませると、今度は逆に全力で扉を閉じ始めた。

 扉には、内側からかける大きな閂がついていた。

 これさえ閉じてしまえば、猫猿は入って来れない筈である。

 全体重をかけて、全力で扉を引いて閉じようとする。


 バキッ!

 引き手を扉に固定している金具が劣化していて、一本折れた感触が手に伝わって来た。

 屋内側の引き手が取れたら、扉を閉じきる事も出来ない。

 それでも美咲は、引き手の強度がもつ事を祈りながら、全力で閉じ続けた。


 あと少しで扉が閉じそうな所で、一匹の猫猿が扉の隙間に指を入れて引き始めた。


「うわぁ! ダメダメダメ!」


 美咲は思わず叫びながら、扉にかけられた猫猿の指ごと閉じる勢いで、壁に足をかけて必死に引いた。

 力は、指先だけで引く猫猿と、壁に足をかけて全体重と全力を持って閉じようとする美咲で、良い勝負だったが、扉の引き手をちゃんと使っている分、まだ美咲がギリギリ勝っていた。


 あと少し。

 扉に猫猿の指が挟まれて、猫猿が扉から指を離した隙に扉を閉じようと言う、ギリギリの時。


 扉にかかる猫猿の指の数が倍に増えた。


「ちょっ!? ずるい! うわっ!?」


 一対二になり、このままだと一対七になる事は目に見えていた。

 美咲は、精神的に追いつめられ過ぎて頭の芯が痺れるのを感じた。

 このままでは、猫猿が入ってきて美咲は食べられてしまう。


 窮地に立たされた状況で美咲は、扉を必死に引きながら薄暗い砦の中に目をやった。

 そこは砦の厨房の様だった。

 美咲は、すぐそこにあった作業台の上に何かを見つける。


 あれだけ開けるのに苦労したのだ。

 手を放しても、この扉はすぐに開ききらない“筈”である。

 思い切って扉から手を放し、台の上に捨てる様に置かれた錆びたナイフを手に取った。


 猫猿達も抵抗が弱まったのを見逃さず扉を一気に開けようと、三匹に増えてグイグイと力を入れている。

 しかし、猫猿達の思い通りにもならず、扉は重い上に蝶番も錆びていて、すぐには開かない。

 猫猿達は美咲よりも屈強な上に、美咲とは違って直前まで腹一杯食べていた為、身体を滑り込ませるには、もっと扉を開ける必要があった。

 最初は敵だと思ったが、今は開かない扉が美咲の味方をしていた。


「はなして!」


 すぐ扉に戻った美咲は、猫猿の指をナイフで片っ端から切り付けた。

 錆びてこそいるが、ナイフの刃は所々生きていた。

 猫猿達は、突然死角から切り付けられて驚き、大した傷ではないが、傷口が空気に触れて遅れてくる痛みに怒りだした。

 一際身体が大きな猫猿の一匹が、ナイフによる切り付けが大した事は無いと判断したのか、扉の隙間に腕を入れて反撃してきた。


 ミサキは腕を掴まれかけるが、ギリギリの所で身を引き、なんとか避ける。


「いつっ!?」


 しかし、猫猿の爪で腕に怪我を負った上に、バランスを崩して転倒してしまった。

 そのまま一匹の猫猿が扉を開けるよりも、美咲を掴んで引きずり出そうと手で部屋の中を探って来た。


 美咲は、地面に落ちたナイフを拾うと、慎重に猫猿の死角へ移動してから、両手で握り締めたナイフを一気に猫猿の左腕に突き立てた。


 ギャアアアアアア!?


 猫猿はナイフを腕に指したまま、扉口から腕を引っ込めた。

 思わぬ反撃に怯んだ猫猿達が、全ての手を放したその瞬間を、美咲は見逃さなかった。


 激しい行き来で蝶番が少し動くようになった扉を、力いっぱい引っ張って一気に閉じる。

 どうにか閉じ切る事に成功すると、そのまま間髪入れずに、震える手で閂をかけた。


 猫猿達が叫びながら扉を叩き、引っ掻き、体当たりし続ける音が部屋の中に響き続ける。

 美咲は、その場で、急に力が抜けて、ペタンと尻もちをつくと、そのまま地べたに倒れこんでしまった。


 全身の震えが止まらなかった。

 人生で初めて、殺意を伴った敵意を向けられた経験だった。

 それも、いきなりあんな沢山の相手からである。


 生き物を刃物で切り付けたのも初めてだった。

 簡単な料理なら出来るが、カレーを作る時に切る肉とは、全然違った。

 心に、罪悪感の一言では言い表せない棘が刺さったような、複雑な気持ちが抑えられない。


 それから、全身の緊張が一気に解けたせいか、急激な吐き気に襲われ、床に朝食と胃液を吐いてしまった。

 しかし、すぐに吐く物が無くなり、ぜぇぜぇと息を切らす事しか出来なくなった。

 喉が胃酸に焼け、口の中が酸っぱい。

 唾の粘度も見た事が無い程に濃く、涎が糸を引いた。

 綺麗な水でうがいをしたいが、そんな物はここには無い。


 こうして、先ほどまで自分を支配していた恐怖が薄れると、心の隙間を埋める様に別の感情が顔を見せ始めた。

 寂しい、痛い、辛い、帰りたい。

 他にも言語化が美咲には難しい、様々な感情の濁流が一気に押し寄せた。

 なんでこんな状況になってしまったのかと思った。


 逃げながら流したものとは、別の種類の涙がとめどなく溢れてきた。


「ぐすっ、わたし、なにか、したぁ?」


 納得が出来なかった。

 理不尽だと思った。

 誰でもいいから、答えて欲しかった。


 しかし、どこからも誰からも、答えは返ってこなかった。


「どっかいってよっ! いなくなってっ! 死んじゃえっ! バカっ! あほっ!」


 美咲は扉の外で騒ぎ続ける猫猿達に、思いつく限りの罵詈雑言を浴びせた。

 それでも胸を締め付ける感情は、消える事も、薄まることも無かった。


 扉の隙間を削り引っ掻く音の横で、ひとしきり声を出して泣いて、叫んで、地面を叩いた。

 その場で、その姿勢のまま、思いつく事を一通りやった。


「もう、許して……死にたくない、よぉ……」


 そう、まどろみの中で呟くと、そのまま疲れ力尽きる様に眠りに落ちた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ