ハローエレノア(その4)ビジョン
前回の流れ。
・美咲、エレノアに噛まれて毒に侵され、走馬灯を見る。
・目を開けると、美咲は死んでおらず、景色に無数の幽霊みたいな物が重なって見えた。
※一部表現、内容、誤字、スペースを編集しました。
世界がスローに感じる体感時間の変化と、視界に広がる異常な光景。
原因は、どう考えても一つしか考えられなかった。
それがエレノアの毒なのは、すぐに分かった。
体感時間にiDがついて来れず、極端な処理落ちみたいに、iDの挙動もスローだ。
しかし、スローな中で自分だけ動ける訳では無く、あくまでも体感時間が変わっているだけの様だった。
一種のトランス状態なのか、幻覚を見ているのか、美咲は幽霊のビジョンから目を離せなくなっていた。
身体がスローの中では自由に動かないのだから、全神経を観察に集中させるしかない。
見えている幽霊のビジョン、それが何なのか最初は分からなかった。
スローの中で暫く見ていると、見える幽霊のビジョンは、この部屋を使っていた過去の人のようだった。
声は聞こえないが、スローの中なのに目まぐるしく動いている。
どうやら、この場で起きた事がそのまま、高速の残像の様に、美咲の目の前で再現されているみたいに見えた。
ただし、無数の残像が重なっているのか、像がぼやけて、性別さえハッキリとは分からない物も多い。
部屋中に無数の重なった人影が蠢いているのは、様々な時間の再現が同時に見えているかららしい。
物も当時の物が、現在と重なって見えた。
「……場所の、記憶?」
この幽霊全てが推測通り場所の記憶なら、この部屋の過去に何があったのだろうと思った。
すると、ビジョンは絞り込まれ、大人が様々な年齢と人種の幼い子供を、この部屋に連れてくるのが見えた。
子供は手術台に寝かされると、様々な注射を打たれ、苦しみ悶えては動かなくなった。
大勢の子供が苦しみ、暴れ、動かなくなる姿が、同じ台の上で同時に見える。
子供達の苦しむ残像が重なり加速する。
10人はすぐに超え、100人なのか200人なのか、あまりにも像が重なっていて何人かは分からない。
それは終わりが見えない、人体実験の光景だった。
「やめて、こんなの見たくない!」
美咲が思うと、別の場面に切り替わった。
同じ台に拘束された子供の身体が徐々に変化を初めた。
それも、やはり重なって見えた。
下半身が蛇や蠍の子供もいれば、美咲には何に変わっているのかさえ分からない物に変わっていく子供もいた。
多くの子供は身体の一部が別の生き物に変わっていくが、中には不定形の何かに変化していく子供もいた。
その中に、台に拘束具で縛り付けられ、苦しみ悶え暴れながら下半身が長い時間をかけて何かに変わっていく一人の少女がいた。
最初は尾てい骨から尻尾が生える様に背骨が伸び初め、やがて人の足と尻尾が外骨格で覆われると、その中で内臓や脚が形成されていく。
そのどれか一つとっても、成長痛では済まされない激痛なのだろう。
少女は暴れようとするが拘束具のせいでそれさえも許されず、身体の変化も止まる事は無い。
やがて背中の皮膚が割れると、脱皮をして中から現れた少女の下半身は蜘蛛へと変化していた。
「あの子が……エレノア?」
エレノアらしい子供に注目すると、注目したビジョンが目の前で繰り広げられ始めた。
どうやら、美咲が気になるビジョンへとチャンネルが切り替わるらしい。
意識の集中は、iDで慣れているせいか、ぎこちないがどうにか出来そうである。
身体の一部が別の動物に変化した子供達は、揃いの服を着せられ、金属製の首輪をはめられ、大人達の言う事を聞かされている様だった。
逆らった子供は、いともあっさり殺されたり、実験に使われて死んでいった。
逆らわなかった子供達も注射を打たれ、薬を飲まされ、結局は実験に使われていた。
それからも下半身が蜘蛛の子供には様々な薬が投与され、台の上でその子は、何度も苦しみもがいたが、ビジョンを見る限り、その全てを乗り切っていた。
下半身が蜘蛛の子供には、大勢の友達がいた。
みんな同じ境遇で、身体の一部が、別の動物だった。
友達と話をするのと、食事だけが唯一の楽しみみたいだった。
部屋の中で、大人達がいない時は、今は置かれていない檻の中で笑っている姿があった。
この部屋では、皮肉にも人種も性別も姿形も超えて、子供達は固い絆で結ばれていた事がわかった。
しかし、その数は次第に減っていき、気が付けば大勢いた下半身が蜘蛛の子供の友達は、たったの三人になっていた。
「なに、これ……」
美咲は、あまりにも悲惨な過去の出来事に言葉を失っていた。
子供の数が減ると、部屋にある瓶詰の数が増えていた。
あの大人達は、何が目的で、こんな酷い事をやっているのだろうと思った。
すると、またビジョンが切り替わり、場面が変わった。
生き残った四人の子供達が、この部屋から一度逃亡を図ったビジョンが見えた。
部屋の中しか見えないので、どれだけの時間を自由に過ごせたのかは分からない。
次の場面では四人共捕まって、例の水槽の中に眠らされて、裸で入れられていた。
水槽の中で四人の意識は無く、ただ栄養を与えて生かされている様に見えた。
やはり、入れられた水槽の位置から見ても下半身が蜘蛛の子供がエレノアの様だった。
大人は水槽の台座にある装置を操作して配管から水槽内に薬を注入したり、何かを日誌に書いたりしていた。
時々、機械を調整して、水槽から子供達を眠らせたまま出すと、身体から様々ンサンプルを取ったり、牙等から毒を採取しては、また水槽に戻す事を繰り返す。
場面が変わると、無理やり連れて来られたらしい大人達が、腕に注射を打たれていた。
注射は、ギフトナンバー○○と手書きで書かれた薬品保存用の瓶と、様々な大人の腕の間を行ったり来たりしていた。
水槽にもギフトと文字があった事を思い出した。
「ギフト……」
場面がまた変わると、水槽に入れられていた下半身が蛇の子供が、水槽の外に出された時にどうやってか目覚め、拘束から脱出していた。
それから、大人に巻き付いて、次々と絞め殺すと、誰もいないうちに他の子供達を助けようと水槽を開閉する機械を操作し始めた。
しかし、どうやらそれが上手くいかなかったようで、今度は水槽を割ろうと、長い身体を水槽に巻きつかせた。
大人を軽々と絞め殺した蛇の胴体は、ガラスをギリギリと締め付けて、ついにはヒビが入っていく。
だが、その中の子供達は眠っていて反応がない。
ようやく一つの水槽のガラスが割れたが、最初に水槽から出された下半身が蠍の子供は眠りから覚めない。
次の水槽を壊そうと、下半身が蛇の子供が別の水槽に巻き付くが、騒ぎを聞いて駆けつけて来た武装した大人達に捕まってしまった。
せっかく水槽の外に出る事が出来た下半身が蠍の子供は、目を覚まさぬまま、あっさりと回収されてしまう。
また場面が変わると、下半身が蛇の子供が手術台の上に拘束されていた。
下半身が長いので、手術台が五つも並べられ、その全てが床に固定されていた。
大勢の大人が台の周りを囲み、子供の身体を文字通り尻尾の先から、胸の上まで“開き”始めた。
この場面では、三つの水槽の中の子供達には意識があり、どうやら見せしめと実験を兼ねた、ここの大人達による子供達への躾の様だった。
水槽がさっきの場面とは別の、現在と同じ物に全て変わっていて、頑丈さが向上している様に見えた。
台の上で解体されていく子供の臓器が、この部屋の中で既に見た瓶の中に保管されていくのが光景に、美咲はゾッとした。
台の上の子供は、中々死ねずに友達の方を見て何かを言おうとした。
大声を出せる筈も無いのに、うるさかったのか、大人の一人が蛇の子供に猿轡をはめて黙らせる。
大人達も、わざと死ねない様に、また、子供の意識を失わせない様に、急所を外し、痛みを消して実験をしている様だった。
その光景を目の前にして、まだ幼いエレノアが必死に水槽を叩いていた。
下半身が蠍の子供は、辛そうに目を背けていた。
美咲が、何に変わったのか分からないと思っていた四人目の、他の子よりも年上の子供は、水槽のガラスに手をついて、反対のガラスを足で踏ん張って、全力で押していた。
しかし、頑丈な物に交換された水槽のガラスは割れない。
大人達は、台の上の子供の頭部を切り取って、他の瓶と同じように保存しようと道具の準備を始めた。
それは台の上の子供を物として扱い、壊そうとしているようにしか見えない。
どこまでも胸糞の悪い光景である。
水槽のガラスを叩き続けるエレノア。
その時、手足をついて水槽を破壊しようとしていた子供の全身が限界を超えて力を出し過ぎたのか、自壊し血が溢れ出した。
培養液が子供の血で赤く染まっていく。
それでも、その子供はガラスを押す事をやめなかった。
真赤に染まり、中が見えなくなった水槽は、手の平だけが変わらずにガラスに張り付いていた。
それを見ていた大人達は、子供の無駄な努力を嘲笑う。
しかし、大人達の余裕はすぐに消え失せた。
ついに水槽のガラスに大きなヒビが入ったのだ。
慌てた大人達は、水槽の中の子供達を眠らせようと水槽に繋がる配管に薬を注入したが、薬が到達するよりも早く、その四人目の子供は水槽を破壊した。
割れた水槽から降り立ち、大人達の前に立つ血まみれの子供。
美咲の目には、エレノアや他の子供とは違い、普通の少年に見えた。
少年は体内の培養液を吐き出すと、息を大きく吸い込み、大人達を見た。
その目は、獲物に狙いを定めた獣のようだった。
それから先は、凄惨な光景だった。
水槽を破壊した少年が、次々と“素手”で大人達を生きたままバラバラに引きちぎり始めた。
部屋の中は血の海に変わっていった。
友達の解体に絡んだ全ての大人を友達と同じ目に遭わせ、少年は台の上で死を待つだけの友達に駆け寄った。
台の上の友達の猿轡を外し、友達に何か言われると、少年は泣きながら、友達の首を絞めて殺してしまった。
台の上で殺された子供の顔は、少年に向かって笑いかけたままだった。
水槽の中で蠍の子供は既に薬が効いて眠らされていたが、エレノアは薬にまだ耐えていて水槽の中から友達が友達を殺す場面を見ていた。
エレノアは培養液の中だが、美咲にはエレノアが泣いているのが分かった。
『ミサキ×××××』
スローでも、着実に時間は経っていた。
エレノアの語り掛ける言葉は、美咲の耳に届いているが、美咲はビジョンに集中していて聞こえていなかった。
ビジョンでは、水槽から脱出した少年が、死んだ友達から牙を抜くと、自分の首に刺した。
すると、少年に異変が起き始めた。
見た目の変化では無く、少年が手をかざすと、その手の中に炎が現れ、勢いよく燃え始めたのだ。
美咲には、その光景が魔法か超能力にしか見えなかった。
少年は、手の中の火を試しに投げたり、見るだけで周囲の物を手当たり次第に、不思議な力で燃やし始めた。
自分の力を試し終えた少年は、台の上で亡くなった友達の亡骸を見ると、一気に焼き尽くした。
すぐに部屋は火の海になり、火をつけた少年は、自分を止めようと部屋に入ってきた武装した大人達を片っ端から焼き始め、エレノアに何か言うと、そのまま部屋を出ていった。
火を操る少年が、エレノアに何と言ったのかは分からない。
だが美咲には、必ず助けに戻る事を伝えている様に見えた。
美咲は、これが砦の火事の原因だろうと思った。
その時、プールで聞いた音が聞こえた。
より正確には、走馬灯から目覚めてから、ビジョンを見ながらずっと聞こえていたのに、ようやく気付いた。
あの時、確かに聞いたノイズと似た音だった。
音に集中したらビジョンが乱れてクリアに見えなくなり、すぐに無数のビジョンが重なっている状態に戻る。
するとノイズが酷くなって聞こえた。
美咲は、この音は、ビジョンとも、この世界に自分が飛ばされた現象とも関係があると思った。
では、またどこかに飛ばされるのか? どうせなら帰りたい。
正直に帰りたいけど、だけど今はまだ駄目だと思った。
スローの中、猫猿達がエレノアにとどめを刺すつもりなのか、連携をして一斉に襲いかかり始めた。
それでもエレノアは、美咲を強く抱きしめ、身を呈して庇い、守ろうとしている。
ビジョンを見た美咲には、エレノアが本当に助けようとしているのは、きっと自分じゃない事が分かっていた。
なぜ助けてくれているのか、これで合点がいった。
最初から、美咲を助けようとしているのではなく、エレノアは、過去の自分が出来なかった事を代替品でもいいからやり直して、エレノア自身を救う事に必死だったのだ。
美咲は、エレノアにとっては、偶然にも過去をやり直すチャンスであった。
スローの世界の中で、声が聞こえた。
「それでも、エレノアを助けたいの?」
「助けたい」
そう思った。
「まだ、会って数分だよ? 半分人間じゃないんだよ? 嫌いな蜘蛛なんだよ?」
「もう、関係無いよ。それでも」
「助けてくれたから?」
「それだけじゃない」
「過去を知って、同情しちゃった?」
「したかもしれない、けど、そんなのじゃない」
スローのビジョンの中に、もう一人の美咲が現れ、心に直に質問してきた。
これは、毒の作用か、貧血のせいか、美咲には分からなかった。
「私のせいで死なれたら罪悪感があるから?」
「あると思うけど、ちがう」
「じゃあ、一番大事な理由は?」
「……きだから」
「自分に言うのに、恥ずかしがるの?」
「気が付いたら、好きになってたの!」
そう、強く思った。
正直それが、どの好きなのかは分からなかった。
恋人なんて、いた試しが無いのだ。
それに、この短い時間で、いつ好きになったのかも、自分では覚えていない。
それでも、エレノアの笑顔を、もっと明るい場所で見れたら素敵だなと思った。
もし叶うなら、自分に向けてくれたら、どんなに嬉しいだろう。
それは、どんなに幸せな瞬間だろうか……
「声に出して」
美咲は、また兄の声が聞こえた気がした。
「助けを呼ぶんだぞ」
「絶対駆けつけるからな」
兄の言葉を思い出した。
「わかんない、わかんないけど、エレノアを助けて!」
美咲は、声に出して助けを求めた。
それが誰に向けた言葉なのかは分からない。
それでも、もし誰かに届いたら。
そう願わずにはいられなかった。