ハローエレノア(その2)大ピンチ
前回の流れ。
・助けを求めたら、エレノアと言う名前のアラクネが乱入。
・美咲、蜘蛛が苦手でアラクネに涙目。
・エレノアが美咲をモンスターから奪って、モンスターと戦い始める。
・モンスターの知能が思いのほか高い事が判明。
・モンスターが使う長物、飛び道具、戦術に苦戦して、エレノアが窮地に立たされる。
・エレノアが負けると美咲も死が確定。
※一部表現、内容、誤字、スペースを編集しました。
猫猿の手下二匹が、順に弓矢でみさきエレノアを狙い撃とうとする。
それに対して、脚四本を身体の前に盾の様に構え、エレノアは自身と美咲を守った。
矢が飛んでくるのなんて、薄暗い中で、動体視力で止めたり避ける事は、簡単には出来ない。
エレノアの脚の、装甲の様な外殻が鏃を難なく弾いたが、守りに徹した瞬間に、エレノアの蜘蛛の腹に、リーダー格の猿が放ったクロスボウの矢が命中した。
弓矢とクロスボウの矢では、太さも威力も桁違いだった。
外殻の当たった角度が良かったのか、小さなヒビが入るだけで貫通せずに矢は床へとそれた。
リーダー格の猫猿は舌打ちした。
リーダーに続けと、隙を突いた猫猿の一匹がエレノアの人間部分の腰に槍を突き刺した。
傷口からは、赤い血があふれ出し、エレノアは悶絶しながらも蜘蛛の足を使って槍が深く刺さる前に素早く退けた。
猫猿達は、またギャアギャアと嬉しそうに騒ぎ始めると、情報共有をしたのか、途端に弓矢で美咲を狙い始めた。
エレノアは、前脚全てを使って盾を作るが、今度はクロスボウの矢が前脚の一本、右前部の外殻を貫通して突き刺さり、血が飛び散った。
『ふうううぅ、ふうううぅ』
エレノアの呼吸は、痛みに荒くなった。
攻めようと前に出ても、テーブルの盾と槍で押し返され、どれかの相手をしていると、別の攻撃が飛んできた。
エレノアが攻めようとすると美咲が狙われ、無理やり防御姿勢を取らされ、そこから狙い撃ってくるクロスボウは、基本的に防御不能だった。
硬い外殻にも傷やヒビが入り、角度が悪いと貫通して刺さるのだ。
美咲を抱えながらでは、どう考えても飛び道具と数の暴力を相手にしては、エレノアに分が悪かった。
ここまでハッキリと美咲が狙われると、美咲の中で曖昧だった疑問に一つ答えが出た。
美咲は、ようやくエレノアが自分を猫猿達から守っている事に確信が持てた。
同時に、会って間もないエレノアが命がけで美咲を守ろうと死力を尽くしている事に、新たな疑問と申し訳なさが生まれた。
美咲がエレノアに感じた第一印象は、知っての通り良い物では無かった。
蜘蛛の下半身を見ると、抱きかかえられて守られている今でさえも抵抗を感じる。
無意識でも、全身に鳥肌が立ってしまう。
こんな状況で無ければ、蜘蛛嫌いの美咲はエレノアに近寄りもしない筈だった。
そんな相手とは知らないとは言え、初対面の他人を命がけで守っているエレノアの動機が気になった。
だが、それ以上に、エレノアに対して失礼で最低な自分が何も出来ない状況に、いてもたってもいられなかった。
美咲としては、助けてくれているエレノアを、既に裏切っているのだ。
エレノアが助けてくれようとしているのならば、自分も何とかしなければならないと思った。
それが、美咲とエレノア、二人の窮地なら、なおさらである。
だが、武器を持たず、既に傷だらけの美咲には、何も出来ない。
そんな事は百も承知だった。
それでも美咲は、何が出来るか必死に考えた。
ここまでずっと猫猿達は、執拗に美咲を狙ってきていた。
それは間違いなかった。
つまり、美咲を囮にすれば、確実に食いつく筈である。
その隙に、エレノアは何が出来るだろうか?
その時だった。
美咲がいなければ、エレノアは自分だけを守れば良いし、両手だって使えると思った。
気が付けば美咲の思考は、目的が当初のそれとは別の何かにすり替わっていた。
この世界に来てからずっと、家に帰る事、生き残る事を求め、願った。
エレノアの名前を叫んだのも、ただあの場で助けてくれる存在にすがりついただけである。
それが、ここに来て、エレノアに身を挺して守られて、それよりも求めているものが生まれた事に気が付いた。
エレノアは、美咲を助けなければ、ここを生きて出られるのでは、と思った。
そもそも、エレノアを巻き込んだのは美咲なのだ。
勝ち目が無いのなら、何も一緒に死ぬ必要は無い。
言葉も通じないのに、助けてくれた。
名前も知らない他人の為に、目覚めたばかりで身体を張っているのだ。
それも、助けようとした相手は、心の中で恩人の身体を気持ち悪いと感じていたら、救われる筈がない。
エレノアには、美咲を守らなければいけない義務も責任も無い筈である。
美咲は、エレノアの腕の中で、エレノアに話しかけた。
「わ、私が、囮になる」
声が震えていた。
『××××××!』
エレノアが何を言っているか分からないが、通じたのだけは分かった。
エレノアも、美咲の今にも泣きそうな、思いつめた表情で察した様だった。
きっと、諦めるなって言ってると美咲は思った。
言葉の通じない二人は、気が付けば言葉以外の全てで対話していた。
美咲とエレノアは、お互いの目で、声で、行動で、息遣いで、お互いが何を考えているのか感じる事が出来ていた。
「行って」
美咲は、そう言うと素直には動かない自身の身体をよじった。
不意を突かれたエレノアの腕から、美咲が崩れ落ちる様に逃れた。
怖いが、動かずにはいられなかった。
猫猿も、武器も、エレノアの蜘蛛の部分も、全てが怖かった。
でも、それ以上に怖かったのは、食べられる事でも、殺される事でも無い。
さっき会ったばかりの、名前しか知らないエレノアと言う少女の期待を裏切る自分のままで死ぬ事の方が何倍も怖かった。
それをエレノアが、知らないし、知る術がないとしてもだ。
そんな事エレノアは求めていないし、独りよがりなのは分かっていた。
それでも、美咲は、エレノアに対して不誠実なまま死ぬ事だけは、許せないと思ったのだった。
美咲が辛うじて前のめりに体制を維持すると、猫猿のリーダーがエレノアが美咲を誤って落としたと思い、嬉しそうにクロスボウを向けた。
クロスボウのリロードには、時間がかかる。
エレノア一人なら、クロスボウが再発射されるまでの間に、状況をひっくり返せるかもしれない。
それに、矢が狙いを外せば、美咲だって生き残れるかもしれない。
そう自分に言い訳をして、美咲は賭けた。
本当は、エレノアだけでも、生き残る事を願いながら。
「巻き込んでごめん……」
狙いを定めた猫猿のクロスボウから、矢が発射された。
美咲を狙った矢は、美咲の胸目がけて飛び出した。
避けられない。
美咲は、死を覚悟し、目を閉じた。
ここまでかと思った。
最後の言葉が、伝わる事の無い謝罪で終わる人生だなんて……
目を開けると、美咲は、まだ生きていた。
当たる直前に立ちはだかったエレノアの脚に突き刺さって、クロスボウの矢は止まっていた。
エレノアは、黙って美咲を拾い上げると、猫猿達の攻撃に再び耐え始めた。
「なんで!?」
意図は通じたはずなのに。
言葉が通じないのがもどかしかった。
エレノアにとって、美咲には助ける価値が無い事を伝えたい。
それは、不思議な感覚だった。
エレノアの事を、嫌われたいぐらいに嫌いなら、利用して助かって、永遠に別れれば良い。
それに、エレノアが負けると決まった訳ではない。
今の美咲にとって、一番楽な選択肢は、エレノアが勝手に助けてくれるのを、ただ待つ事である。
なのに、それを選ぶことが、どうしても出来ない。
美咲は、頬を涙が伝うのを感じた。
今まで流したどの涙よりも辛かった。
エレノアが美咲を抱きしめる力は、さっきよりも強くなっている。
そこに息苦しさは無く、美咲を二度と落とさない意志が感じられるのだ。
それが伝わると、美咲は余計に辛くなった。
この感覚は、美咲も知っていた。
それでも、こんなに強く感じたのは生まれて初めてだった。
『×××××××××、×××××……』
エレノアが呟いた。
意味は分からないが、美咲に向けられるエレノアの目には葛藤が見えた。
美咲の涙を見て、エレノアは、自身の顔にかかっていた髪を、フルフルと首を上へ伸ばす様に顔を揺らして左右に分けた。
美咲はエレノアの髪に隠れていた顔を、まっすぐ見つめた。
ずっと日の当たらない水槽の中にいたのか、シミ一つない透き通る様な白い肌で、人形の様に整った顔立ちの少女だなと、美咲は思った。
エレノアは、美咲の目を見た。
『エレノア』
そう、自分の名前を言って、おでこをコツンと美咲のおでこに当てた。
この時、エレノアは猫猿達に対して、反撃も含めて一切の攻撃を止めた。
猫猿が隙有とばかりに弓矢でエレノアの上半身を狙い撃つが、守りにだけ徹する事を決めたエレノアに前脚で防がれ、傷を負わせられなかった。
こんな状況なのに美咲は、目の前の少女と友達になろうと思った。
どんな姿形であろうと、友達になりたいと思えた。
エレノアの全てを受け入れよう。
下半身が何でも関係ない。
そう思えた瞬間、美咲は救われた気がした。
これは、助けてくれたエレノアに相応しくない自分を変える、エレノアに与えられたチャンスだと思った。
「み、美咲」
それが、どんなに残り少ない時間だとしても。
エレノアに対して恥ずかしくない人間でありたいと思った。
『ミサキ』
エレノアは名前を繰り返した。
「美咲」
美咲は首を縦に振った。
エレノアの目には、一つの決意がある事が美咲にも見て取れた。
『ミサキ、×××××××、×××……』と、美咲には分からない言葉を囁いた。
美咲には、ごめんと謝っている様に聞こえた。
「え、ええ!?」と美咲が言い終える間もなく、エレノアの唇が美咲の唇に触れる寸前まで近づいた。
唇の隙間からは、鋭い牙が顔を覗かせるが、不思議と怖さを感じない。
全てを受け入れると腹をくくったからか、それともエレノアの牙が八重歯の様に可愛く見えたからか、美咲は分からない。
近づいたエレノアの身体は培養液のにおいがしたが、それとは別に、遅れてエレノアのにおいを感じた。
美咲は、思わずスンスンと嗅いでしまい、甘い、良いにおいだと思った。
そのまま美咲は、空気に飲まれて目を閉じてしまった。
今置かれている危機的状況とは別の理由で、胸がドキドキした。
そして、これが最初で最後のキスかと思った。
ちなみに、口の中は血の味でいっぱいである。
しかし、エレノアの唇は美咲の血まみれの唇には一切振れずに軌道を下に変える。
エレノアからすると、なぜか唇が震えている美咲。
その、喉元に噛みついたのだった。
エレノアの牙が、深々と美咲の皮膚に突き刺さった。
「あ、れ?」
思っていたのと違った美咲の手足は、一度驚きに痙攣すると、すぐに大人しくなった。
エレノアは、血を吸っている訳では無かった。
美咲に、牙から何かを注入している。
それが何かは、説明が無くてもすぐに分かった。
毒である。
ただでさえ血を流した上に、何も食べていない美咲は、毒が身体を巡ってくると貧血も手伝い視界がグルグルし始めた。
視界の端では、iDが解析不能の異物混入を警告していた。
「人体に多大な影響が出る場合があります。最寄りの病院で治療を受けてください」
ロッテがそんな事を言っているが、病院なんてどこにもない。
美咲は、諦めずに足掻いた結果が、これかと思った。
でも、猫猿達に嬲り殺されるよりは、かなりマシなのかな、とも思った。
最後に出来た友達の手で、苦しまずに殺してもらうのだから。