4 決意
諦めない事にしました。
あのキャラクリが何の意味も無かったなんて言わせない。
……と言っても、人間になる方法なんてさっぱり分からない。
というわけで、泉に来ました。
修道院の裏をちょっと行った所にある、小さな泉。
この世界に落としたのがみかんの神様なら、泉で禊をするのが一番なのではないかと思いました。院長にお願いしたら、何も言わずに禊を許可してくれた。元々、この泉は禊を行うためのものです。
仕事が終わると修道院へ行き、刺すような泉の水に入る。キャラクリで作った自身の体を思い浮かべ、良く冷えるまで泉で瞑想する。浮かんでるだけと言えなくもない。良く冷えて食べごろですよ。いや、そうじゃない。
そんな生活を続けること、しばらく。
「へぇっくしょーい!」
風邪ひいた。
しまった。シーツにみかんの汁が。急いでもう1回洗濯しよう。
何だか頭がポーッとする。みかんの頭ってどこだっけ……。
仕事がそろそろ終わる、よりも早く兄に話しかけられた。
「シトラス、大丈夫か? 何だかフラフラしてるけど」
「兄さん。もう帰り?」
いつもの騎士服姿じゃなく、私服を着ています。今日は早いとは言って無かったような。
「今日も泉に行くのか?」
「うん。毎日の日課だし。大丈夫、私みかんだから」
あの日から1日も欠かさず行っています。こういうのはそれに意味があると思った。いつもより早く帰るように念を押され、今日も泉へと入る。
何だか体が熱い。人生……みかん生?で、風邪なんて引いたことなかったけれど、止めておくべきだったのかもしれない。コロコロと、地面へと上がる。体が熱い。意識がはっきりとしないし、もう動く事も出来なかった。
そんなに、長い時間ではなかったと思う。
ぼうっとした視界から、自分の額に手を当てる。張り付いた長い髪の毛を絞った所で、私はようやく自分の体の変化に気が付いた。
オレンジの髪。大きくも小さくもない胸、身長は160センチくらい。青い瞳のたれ目にしたはず。なんとか立ち上がってみると、白いワンピースから水滴が落ちる。
私の足元にはかつてのみかんの皮だけが広がっていて、果肉に当たる部分はどこにも見当たらなかった。
人間だ。人間になれた。
何度も何度も自分の手のひらを確認する。握ったり、開いたりしてみる。手だ、私の手だ。
「シトラス?」
喜びで舞い上がるのと同時に、愛しい人の声がした。
「レイド王子」
驚きに満ち溢れた王子の瞳が、私を捕らえる。
「シトラス?」
「はい。私です。シトラスです」
こぼれそうな涙をこらえて告げた次の瞬間、目の前が真っ暗になった。
私の体は、とうに限界を超えていた。
「シトラス」
優しい声がする。母の声、の様に感じる。父と兄もどうやらいるみたいだ。額が冷たくて気持ちいい。という事は、私は人間のままなのかな。そうだったら嬉しい。ゆっくりと閉じていた瞼を開けると、見えたのは母の顔だった。
「シトラス、目が覚めたのね。ああ、良かった。……っ、もう、もう目を覚まさなかったらどうしようかと――」
私の手を握る母の手は、ありえないほど震えていた。崩れ落ちそうになるその体を、優しく父が支える。
「ほら、目が覚めたら出て行く約束だったろう?お前も、少し休んだ方がいい」
震える声でそう言った父は、母を支えたまま年老いた薬師の方を向く。立派な石造りの壁と内装から、ここがお城の1室だという事が分かった。何度もお礼を繰り返す両親と兄の向こうに、ソファーにもたれかかるように倒れ込んでいる人影が見える。
「……レイド王子?」
少し痩せて、やつれたように見える。美しい白金の髪はその光沢を無くしていた。
私の声に反応するかのように、薄く瞳が開かれる。
「シトラス?」
弾かれた様に立ち上がろうとしたその体が、薬師によって支えられる。
私の頬に触れる王子の手は冷たく、わずかに震えていた。
「目が覚めたんだね、シトラス」
「はい。レイド王子」
何かを言いたげな瞳が、優しく細められた時、薬師が口を開いた。
「レイド王子も、どうぞお休み下さい。目が覚めたら休むという約束じゃったでしょう」
「あ、ああ。分かっている。だが少しの間だけ、シトラスと2人で話がしたいんだ」
困ったような顔をした薬師は、仕方ないといった様子で口を開いた。
「本当に、少しの間だけですぞ」
名残惜しそうに皆が出て行った後、静かに王子は口を開いた。
「シークから、聞いたよ。人間になりたかったんだって」
「はい。なれました。もう、みかんじゃありません」
目から、一筋の涙が零れ落ちる。せきを切った様に溢れ出した感情が、止まらなくなった。
「これで、手を繋げます」
「うん」
「涙も、流せます」
「うん」
感情を、表情に出来る。もう気持ち悪いと言われなくて済む。王子も、頭がおかしいと言われることは無い。皆と同じように、歩ける。もう転がって移動しなくてもいい。
ひくつきながら話す私の言葉に、王子はただ優しく返事をし続けた。
「ねぇ、知ってる? シトラス」
泣き止んだ後、優しく王子が言った。
「恥ずかしい時、君の葉っぱは真上にぴんと立つんだ」
「え」
「逆に悲しい時は皮に張り付くように、しわしわになるよね」
泣いている時は、皮がしっとりとするらしい。怒っている時は、葉がギザギザになるそうです。葉が右にあればこっちを向いている。逆に左にあれば背を向けているんだそう。
「シトラスの家族から聞いたよ」
小さく笑いながら、王子は言葉を続ける。
「みかんであっても、そうでなくても、シトラスの事はしっかりと伝わっているみたいだよ?」
……知らなかった。そうだったんだ。
優しく髪を梳いてくれているレイド王子の手が、後頭部に回される。
「私は君の事が好きだ。その姿も可愛いと思うけど、みかんの時もすごく可愛いんだよ?」
「れ、れれレイド王子、顔が近いです」
「レイドでいいよ」
「そういうっ――」
最後までいう事は出来なかった。
柔らかな感触が、ヘタへと落とされる。甘い痺れが、全身を満たしていった。
……ん?
「ふふ、葉っぱが真っ赤になってる。なるほど、こうなるんだね。やっぱりヘタが弱点なんだ?可愛い」
その後、人の姿になれるようになった私は、無事レイド王子の妃になることが出来ました。だけど、2人きりの時はみかんに戻って欲しいとよく言われます。
……戻って欲しいって言うよりも、恥ずかしくなったら思わずみかんに戻ってしまうというのが正しいです。
人の姿にはなれるけど、私はみかん。
これからも、それは変わらない。
そういう変な所も含めて、好きだと言ってくれる人がいる。
分かってくれる人がいるから。
私はみかんです。
お読み頂き、ありがとうございました。