姫殿下と王宮騎士1
最近、たまに予知夢を見る。
波打つ濁った水中に居るような曖昧な感覚。どこに居るのかさえよく解らないし、何が起きているかもはっきりしない。そういう夢。
たまに鮮明な夢も見るのだけれど、そういうのはだいたいさっきみたいなエグいやつばかりだ。
「…………きっつ……」
流石に堪えた。じっとりと重い汗が首筋から滲んでくる。
「……店番中に居眠りした罰かな……」
そう思おう。そういうことにしておこう。でなければあんな悪夢、割に合わない。
ここは僕が経営している店だ。と言っても、父親から譲り受けた店だから、特にこれといった苦労もせずに手に入れてしまった店なのだけれど。
小さな面積に、天井から吊るすなんて工夫を凝らしてまで、所狭しと置かれた魔具達。半分は父親の遺物。残りの半分は仕入れ品で、もう半分が僕の作品。
常連さんは多いが、初見さんは少ないのが特徴の店だ。
居眠りしている間に客が来ていないかと店を見回していたら、「あ」と、思わず小さな声を漏らした。
それと同時に、店の扉が勢いよく開かれる。木製の扉が、小さな欠片を飛ばすのが見えたほどの勢いで、だ。
「邪魔するぜ!! ケイン!」
「……来ると思ったよ、レイ」
本当に、来ると思った。その光景に既視感があったし、ここに来る心当たりもあったのだ。
異常に目立つ金の鎧を身に纏う、金髪のショートヘアーを逆立たせた長身の若い男。背中には大剣が携えられている。
レイヴィス・アストレア。王宮に務める騎士だ。
「来ると思ったっつーことは、要件は解ってるな?」
カウンターににじり寄って、ニヤニヤと僕に顔を近付けるレイヴィス。
「偶然だから勲章は頂かないって伝えておいて」
僕は適当な口調で答える。
レイヴィスはアホみたいに愉快げに笑った。
「その偶然を奇跡っつーんだがな! ま、非公式だし、どうせ勲章は出せねぇけどよ!」
奇跡。確かに、奇跡と言えば奇跡かもしれない。
「普通に考えたらありえねぇだろ! 家出したお姫様を、崖から落ちそうになったその瞬間に見つけ出して救い出すなんて!」
「うーん、まぁ、確かにありえないけど……」
事実有り得た。王宮から抜け出した殿下を、事があけっぴろげにならないよう秘密裏に探していた騎士達よりも先に見つけ出して、崖から落ちそうになっていた所を救出。
それについての僕がした当初のコメントを、レイヴィスは過剰に作った良い声で真似する。
『姫が困ってる気がしたので、助けに来ました』
途端に恥ずかしくなって、赤面していくのを自分でも感じる。
事実なのは事実。姫が崖の下で死んでいる姿で発見される。その夢を以前見たため、人が落ちそうな崖付近に魔術の鈴を着けておいたら、数日後、鈴が僕に姫殿下の危機を教えてくれたという流れだ。
けれど、恥ずかしいものは恥ずかしい。せめてもの抵抗として、僕は歯をむき出して言った。
「そうやってイジるなら、もう二度と王宮の手伝いなんてしてやらないからな」
「ほぉ? それは本気か? ケイン」
「本気も本気。超本気。王宮へ行く時の差し入れだってくれてやるもんか」
「ほぉほぉ。そうかそうか。王宮ではもう遊ばないとお前は言いやがるんだな?」
「いや、王宮で遊んだ覚えは最初から無いよ……」
なんて恐れ多いんだ、それ……。
「遊んだ覚えが無い、ねぇ」
にやり、と、レイヴィスが意味深に笑った。
ゾクッと背筋に嫌な感覚が走る。この気配には覚えがあった。
「……………………」
店の出入口にて呆然と、その姿はあられた。
レイヴィスの半分も無さそうな身長。ツヤの一切無い青い髪と輝きを失った瞳。半開きの唇。白い肌はしかし、どんよりとした空気のせいで灰色にさえ見える。
その人は僕を見ていた。
その瞳だけで呪術を成立させそうなほどのほの暗さで僕を見ていたのだ。
「姫…………殿下……?」
それは、ここにあるはずのないお姿だ。先日家出をしたばかりで、外出が易々と許されるとは思えない。そもそもが1国を収める王の娘が、こんな貧乏臭い店に居て良いと思えない。
それになにより、あのお姿だ。服装は白を基調とした豪奢なものになっており、飾り物もその地位に相応しいもの達を身にまとっている。
が。
「ケイ……ネス……妾とは、遊んでくれなんだか……」
その声や手足は小刻みに震え、髪や瞳からは今もなお光が失われていく。
「いや、ちがっ」
なんと言おう。なんと言わなければいけないのか解らない。でも、自分の発言の何がいけなかったのかぐらいは解った。
「姫殿下! 違います! 僕は王宮へは仕事で赴いてはいますが、それは姫殿下の戯れにお付き合いするための口実なのです! 姫殿下と戯れることは僕にとって遊びではなく、人生そのものなのです!」
多分だけど僕は今言いすぎた。
「…………」
じと、と、僕を見つめていた死人のような眼に、少しずつ光が宿ったかと思いきや、
「……ほむっ! さようか!」
「うお!」「まっぶしいな、おい」
比喩ではなく本当に、青い髪と青い瞳が強く輝き出し、その光量が一定に達すると、光が逃げ場を求めたかのように、身につけていた宝石達に飛び火した。
イーリア・ツェン・ファルスタイン。
姫殿下という立場に負けない、強烈な特徴を持った、齢10歳の少女。
「今ので喜ぶたぁ、殿下もまだまだ子供だなぁ」
と、殿下の顔を覗き込みながら言うレイヴィス。普通に考えたらかなりの無礼だが、良いのか悪いのか、姫殿下は輝く髪を触手のようにゆらゆらと揺らしながら、小さな胸を張る。
「戯言も立派な戯れじゃ。ご機嫌取りのおべっかとて、その心意気は買って然るべきじゃろう」
言っている事は本当に立派で、本気で言っているのがまさに見て取れるから尊敬も出来るけど、声の高さと舌っ足らずな喋り方のせいで、どうしても可愛いが勝ってしまう……。
不敬と解ってはいても、例えるなら、姫殿下は妹のような存在だ。王族だから守りたいのではなく、庇護欲が働いてしまう。
「時にケイネスよ! 妾は買い物に来たのじゃ!」
僕、苦笑いである。
「王宮への仕入れは、怠らず定期的に行っていると思いますが……」
「実は先日の遭難で、封魔具がいくつか壊れてしまってのぉ……。またあの話を掘り返すとお父様が怖いから、オモチャを買いに行くと言ってこっそり来たのじゃ!」
「そんなノリで良いんですか、姫殿下……」
「良いのじゃ!」
適当過ぎるよ、姫殿下も、簡単に外出を許可してる王宮も……。
とはいえ商売は商売だし、なにより姫殿下が用いる封魔具は、国家レベルの重要アイテムだ。無下にするなど出来ない。
「では、また新しいものをいくつか誂えますので、姫殿下はスケープゴートのオモチャを選んでおいて下さい」
「わかったのじゃー!」
ビシッと片手を上げてついでに数本の髪の束も挙手するように跳ねる。
青く輝く触手達と共に店内を徘徊する姫殿下。僕はカウンター下の金庫から、いくつかの宝石を取り出した。
「すまねぇな、急で」
と、カウンターに腕を掛け、レイヴィスが言う。
「ほんとだよ。先に伝令でも出してくれれば、作っておいたのに」
「そうしたかったんだがなぁ、実は俺も今朝相談されたばっかでよぉ」
苦笑するレイヴィス。僕も頬が引きつった。
レイヴィスと僕は、掻い摘んで言うと『英雄の息子』で、そのため国王陛下にも贔屓して頂いている。だから少し、姫殿下との距離感というものが、普通人のそれと異なってしまうのだ。
「ケインも大変だとは思うが、姫殿下はもっと大変なんだ。堪忍してやってくれな」
「……うん。解ってる」
宝石の形を機材で整えつつ、静かに、いくつかの薬剤、陣、詠唱などによる魔術達を、その宝石に重ねていく。
本当に、大変なのだ。
数日前、もしかしたら事故で命を落としていたかもしれない、というほど必死になって、王宮から逃げ出そうとするほどに、姫殿下は大変なのだ。