最終回 大獄への道
送り出せば、あとは待つしかない。
目尾組を総動員し、目付組にも不眠不休で働いてもらっている。中老の権限内で打てる手は全て講じたので、舎人は地蔵台の開墾に神経を注いでいた。
二日前に若き測量士、蜂屋小左衛門が夜須に入り、地蔵台へ向かった。珍しい器具を使った実測は三日に及び、四日目の昼に屋敷に現れ、地蔵台に水が引く事は改めて可能であると報告した。
図面の完成は、早くて年末。となると、弥生の頃には、開墾を始められるかもしれない。
また、金銭面を支える卯月屋嘉兵衛や郡奉行とも会合を重ね、地蔵台に入植する百姓の選定を始めていた。
開墾後は、百姓が必要になる。その為には新たな村を作らねばならない。村の庄屋を卯月屋から出す事に郡奉行は難色を示したが、舎人はその申し出を飲んだ。銭を出す嘉兵衛の願いならば、ある程度受けるしかないのだ。一応は受け入れ、その後に影響力を削いでいけばいい。
舎人の日々は充実していた。執政府でも順調な計画を知ってか、地蔵台開墾に協力を願い出る者が、ひとりふたりと出てきた。
舎人は、
「何かあれば、声をお掛けいたします」
と丁寧に対応したが、内心では高笑いをしていた。
(功績のおこぼれを狙おうとする野犬どもめ)
中には、袖の下を忍ばせてくる者まで出た。当然、それは固辞した。利に敏い商人なら兎も角、武士は損得と言うものが判らない。判らないだけに、受け取っても見返りがない場合、刀を持ち出すから始末が悪いのだ。
誰が功績を分け与えるものか。この開墾は一生に一度の大博打。勝ち馬に乗ろうなど、ふざけた真似は許さない。
得意の絶頂にある舎人に、吉報が目尾組によって続々と舞い込んだ。
日向峠で武富を、次いで高師で舘林を斬ったというのだ。鏑木小四郎なる珂府勤番に協力し、宝如寺の賊を討ったという報告は想定外であったが、この際それはどうでいい。まずは首の皮が繋がった事を素直に喜んだ。
今は宇美津にて、勤王派を追いつめているらしく、舎人も夜須に残存する勤王派の探索を再開した。
武富と舘林亡き後、夜須勤王党を支えるのは、真崎惣蔵という徒士格の下士だけである。
この男は、剣と学問を教える尚武塾を谷町に開き、身分が低い者に安い謝礼で教えているという。
(上手いな……)
その話を聞いた時、舎人は素直にそう思った。
塾生は真崎に恩を感じ、その手先となっていく。所詮、思想では人は動かない。野心や恩義、好悪が人を突き動かすのだ。
今や、尚武塾は勤王の巣窟だった。昼夜関わらず人の出入りは頻繁で、他藩からの来訪者も多い。
舎人は自らの家臣を、尚武塾に潜り込ませていた。まだ若く身分も低いが、頭が切れ度胸もあった。
潜入した家臣が運ぶ情報は、大変貴重なものだった。中でも、尚武塾に東北諸藩が連絡を寄越している事だ。伊達家黒河藩は言うに及ばず、日々勤王色を濃くする最上や北畠、相馬・南部と言った家中の士が、続々と真崎に接触しているという。
事態が急変したのは、初めての木枯しが吹いた頃だった。
潜入させていた部下が、溺死体で発見されたのだ。波瀬川に飛び込んだらしく、遺書では舎人への忠義と真崎に感化された勤王思想間で悩み、自死に至った旨が記されていた。
筆跡はほぼ同じ。執政府の面々は自筆の遺書だと結論付けたが、舎人は信じる気にはなれなかった。世の中には、筆跡を真似る聖手書生など探せばいるものだ。
清記が戻ったのは、師走の朔であった。宇美津では勤王派を壊滅しただけか、嫡男の小弥太が橘民部の片腕・金橋忠兵衛を捕縛するという大手柄を挙げている。執政会議で報告を聞いた後、利景や清記を交えた宴が開かれた。
その日の晩である。屋敷へ戻ると、お梅が邸内に落とし文があったと報告した。
「ほう……」
天誅。落とし文には、ただその二語だけが記されていた。つまり、今度はお前を殺すと言っているのだ。
怯えだろうか。手が意に反して震えている。しかし、それは四半刻ほどで収まり、次は理不尽な宣言への怒りが込み上げてきた。
(天に代わって、私を誅滅しようというのか)
下士の分際で、夜須藩の将来を背負うこの私を。相賀舎人を斬るという事が、どれだけ藩の損失になるか考える事も出来ないらしい。
そもそも天とは何だ。天を騙る、己の意思ではないか。
(夢想家の思い通りにしてたまるか)
翌日から、舎人は護衛の数を増やした。移動の際は勿論、屋敷の中も不寝番を配して備えをした。
緘口令を敷いたが、この噂はすぐに広まった。陰では自らの臆病を笑う者もいたが、命あっての物種と、そうした雑音は意に介さなかった。
「天誅」
それは絶叫にも似た声だった。
弁分町にある、卯月屋嘉兵衛宅からの帰り。月も星も無い夜の襲撃だった。
抜身の白が目に入った瞬間、護衛が瞬時に舎人を取り囲んだ。
「殿は早く、お逃げを」
襲撃者は十五名。少なくとも、それぐらいはいる。護衛は七名だった。
「この人数で逃げ切れるものか」
舎人の明晰な頭脳は、すぐに答えを出していた。ここは戦った上で、切り抜けるしかない。
舎人は刀を抜いた。自信は無いが、振り回す事だけは出来る。
中老になって以来、これは想定していた事だった。それに落とし文で予告もあったのだ。今更驚く事ではない。
闘争は、すぐに始まった。
構えてはみたものの、振り回す事すら出来なかった。精々、声を出すぐらいだ。思えば、鶏一羽とて捌いた事が無い。それが何故、人を斬れようか。
剣術は嫌いだった。学問の時代に剣術などと、見下していた。こうした局面になって、それがはっきりと判った。
「姦賊、相賀」
そう背後から聞こえた。振り向く。眼が血走った男がいた。その時、舎人の全身に粟が立った。
「天誅」
叫び。舎人は、立ち尽くした。どうにも出来ない。身体が動かないのだ。目を閉じた。衝撃をまった。が、それは訪れず、恐る恐る目を開けると、左腕を切り落とされた護衛が割って入っていた。
「おのれ」
賊の一刀を、片腕の護衛は肩を突き出して受けた。
「相賀様の頭は、藩の宝じゃ。こんな所で死なせてたまるか」
残った右腕で、護衛は斬り上げた。それを賊は防ぐと、護衛は突進して組みつき縺れながら地面を転がっていく。
交錯する刃の光と、耳を劈く怒号。目の前で繰り広げられる死闘は、もはや別世界のものだった。
(人はこうも愚かに殺し合えるのか)
愚かだ。どうせ死ぬる命なら、藩や主君の為に捧げるべきであろう。何故、こうも殺し合うのだ。思想というものは、余程の毒薬なのか。
そもそも、自分に思想はあるのか。勤王は世迷言だ。共感など到底出来ない。かと言って、幕府の腐敗には呆れるばかりだ。お殿様が佐幕を含めた〔忠義〕を標榜しているから、それに追従しているに過ぎない。
強いて言うなら、完璧な仕事を為す。それが自分の思想だ。だが、それは勤王でも佐幕でもない。
(私は、何なのだ)
何の為に、襲われているのだ。
不意に恐怖が襲ってきた。それは抗いようもない大きなもので、舎人の足は自然と駆け出していた。
「殿」
背中で、護衛の声を聞いた。だが足は止まらず、遮二無二駆けていた。
息が切れ、舎人は足を止めた。殺し合いの絶叫はもう聞こえない。
どれほど駆けたのだろうか。寺が多い地域だった。番屋があれば飛び込むが、この夜更けに灯りなどは見当たらない。
「相賀舎人殿とお見受けする」
寺壁の陰から声がした。出て来たのは、中年の武士だった。
「名を名乗れ」
「刺客に名乗る名はございませぬな」
鼻髭を蓄えた、浪人風の男だった。懐手をしている所に、殺しに対する余裕を感じる。
「始末屋か」
「ふふ」
「私が斬る最初の男の名ぐらい知りたいのだが」
虚勢だった。それを見透かしてか、浪人者は嫌らしく笑むだけだった。
舎人は、正眼に構えた。相手がどれほどの腕なのか、知りようは無い。ただ自分より使えるのは確実だ。
(もう逃げられぬか)
肺はもう破れそうだった。
諦めようか。そう思った、その時だった。
背後から影が駆けてきた。黒装束に覆面。舎人の目が捉えたのは、それだけだった。
「貴様」
浪人者の抜き打ち。影は、いとも容易くそれを掻い潜ると、夜の空高く跳躍した。
何が起きたのか。舎人には判らなかった。ただ、影が着地した時には、浪人者の身体は二つに割れていた。
「おぬしは」
舎人の問いに、影は無言だった。ただ振り返ると、黙礼をして駆け去っていった。
(何者だろうか)
覆面から僅かに見えた切れ長の目には、まだ成熟しきれていない若さがあった。
(いずれ礼をせねばなるまいが――)
それよりも、今回の襲撃は誰によるものなのか。それを探らねばならない。おそらく実行犯は真崎の一党だろう。だが、それを使嗾して執政府の誰かが仕掛けた可能性もある。或いは、伊達の黒河藩か。
真相はどうあれ、舎人はこれから為す一つの事を決めていた。
勤王党を潰す。それも徹底的かつ、最も姑息なやり方で。
この相賀舎人に、恐怖を与えた罪を背負わせてやる。一人残らず、全員を。粛清を行う、その覚悟は出来た。
<おわり>
そして物語は、それぞれの運命が交錯する観寿五年を迎える。
狼の裔、後半三部作いよいよ始動!(かも)
第四章 末路
「暫く振りになりましたね」
眞鶴が、雷蔵に寄り掛かってきた。
「わたくしに飽きたかと」
「私が? まさか、眞鶴殿に飽きるなど」
「冗談ですわ」
不意に唇が重なってきた。柔らかい、眞鶴の感触。
「また、血の臭い」
愛撫を重ねながら、眞鶴が囁く。雷蔵は、気のせいだ、と言った。
第五章 寂滅の秋
皆藤が苦笑した。
何かが近くにいる。それは、以前から気付いていた。それを誘き出す為に、わざわざ釣りに出たと言ってもいい。
「立ち合いを所望か?」
「いずれは、一手ご指南願いたいですが、今日は挨拶までに」
「たかが挨拶の為に、数日間私を張っていたのか?」
「まぁ、何にでも機というものがあるのですよ」
「機か。私は一向に構わぬが」
そう言って微かな殺気を発すると、皆藤はそれを避けるように跳躍し、清記の頭上を飛び越えた。
「親子揃って似ていますな」
皆藤は、背を向けたまま言った。
「雷蔵を知っているのか?」
「ええ。狼が如き若者でした」
皆藤が一笑して去った後、清記は背筋に冷たいものが流れている事に気付いた。
(何故に……)
あの跳躍、間合い。剣を抜いていれば、落鳳だったのだ。
そして――
最終章 狼の裔
許すなど、どうして出来ようか。
この身は、もはや一族の無念を晴らす為だけにある。それを呪いだと言われようが構わない。むしろ、それすら残された形見ではないか。
心など、とうに死んでいる。
乞うご期待!!
◆短期集中連載でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございました。
「狼の裔」読者だけにわかるような作品で申し訳ないのですが、これで全編の裏側と後半の導入を補完出来たと思います。
後半の連載開始は諸事情により未定ですが、今度はシリーズではない完全新作を書きたいと思います。何卒よろしくお願いします。