表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/80

1360

チャールズ・ダーウィンは

[比較進化論]で


環境が生物を選ぶ、と考えた。



実は、彼自身もイジメの被害者で


そのせいで、学者になってからも


ライバルの学者を論説でイジメたり、と

人格的にはあまり(笑)だったようである。




環境が生物を選ぶと言うあたりの発想は



そういう被虐体験からくるものだとも

思われる。




つまり、イジメられて

イジメに加担するなら、その環境に適応。



加藤のように、別の環境を作る人が


次の世代を作るのである。





ななが不思議に思った加藤は




不正に加担しない、と言う

意識を持っている日本人の末裔だったから


平然と、出来ていた。




そういう環境を自分で作っていたので





例えば、課長に怒鳴られても

気にならないのだった。


怒鳴るのは正しくない。



松野が、職制上

ただのパートタイムで、加藤に指示する

事は不正なので



正しくない行動は、無いものと同じ。



そう感じる人で



昔の日本人は、悪い人が因縁をつけてきても

怒る事はなく、平然としていたのだけれども



そんな感じに近い。





それは理論的な帰結、だったりするし

経験適応だったりもする。




そういう加藤は、いろいろな仕事を得て

動いていく。



結局、彼の能力を生かせる環境に

進んで行くので




大きな企業の科学的な研究所で

仕事をするようになる。



その人に見合った環境が

その人を選ぶのだ。


派遣、と言う環境でも


経験がありさえすれば、いろいろな研究所から

声がかかるから

加藤は、組織に属さないと言う環境に

選ばれたのだった。


ひとりで生きて行くと言う環境は

ジョナサンたち、科学の子供達と

同じだから



加藤は、20年先を行っていた事になり


それは、ダーウィンの言うような

環境の先適応だったりもする。



変な人達に対応する事などない。



加藤は、松野が

重役の愛人だから、会社を仕切っているのを

おそらく知らないが

知る必要もないし、知ったとしても

松野の言う事に従わないだろう。



昭和までの日本はそうで



会社の職制は、役割なので

専決判断を下す事は社長でも出来ない。



それはルールであり、人間の社会は

ルールで出来ているので



ルール破りをしている松野に

発言力はない(笑)のである。




重役の愛人だからと

我が儘を許しているなら、その重役が

問題視されるべきなのだ。



そういうルールを

変にしたのが、平成以降の日本国であって


アメリカ合衆国でもそんな事はない。



中国や朝鮮にはわりと類似な例があるから

松野はそういう系統の人達なのかもしれない。



もとより、経済効率を重視すれば

重役の愛人が会社で悪い事をしている余裕はないのだが(笑)。






正しい事をする。




それは、普通の日本人の感覚だ。


でも、加藤は

松野たちを嘲笑していた訳ではなくて

ただ、微笑んでいただけだった。



それを、松野たちは

ばかにされたと曲解するのだけれど



ななは、それを見ていて

加藤のような人のそばにいられれば



別に、貧乏だったとしても


幸せに暮らせそうな、そんな

空想をして



その空間に憧れてしまった、そんな

感じだった。




なので、隣席だから



時々、加藤と会話する。


たまに、メガネをかけて来るななを



「可愛らしいですね」と、穏やかに微笑んで

そういわれると、胸の奥が温まるような


そんな気がした。




なので、加藤が

元々いた科学研究所に戻ると言って



アルバイトを辞めた時



一緒に、辞めてしまったのだった。




もう、会えないなら


この場所に来るのも辛い。



そう思って、旅に出たのだった。





気持ちは不思議だと、ななは思う。





その加藤は、10年前に

心の忘れ物をして、並列時空間に

飛んでしまった、のだけれども



ななの心は、まだ


そこから進んでいない。



地下鉄の探検は、諦めた

ジョナサンは、少し残念そうだけど



「まあいいか」と、ニッコリして

ななのほうを振り向いて。



その笑顔を見ていると、ななも


まあいいか、って気持ちになる(笑)。




そんなもので、別に

恋愛とかって大袈裟に考えなくても



誰か、気の合う人と一緒にいるのは

楽しいものだし



そういう関係もいいものだ。




自然の子、ななは



親に育てられて来たから



なーんとなく、頼る相手に


甘えたい、みたいな気持ちは

どこかにあるし



「わたしって魅力的なのよ」って

身体で表現したい。



花のような存在の女の子って

生け花みたいに



全身が愛でたい存在、だったりする。




それは、ジョナサンにもわかる。



I like you don't you



って、ジョナサンはアメリカ英語で言うけど



その本当の意味は、日本人のななには

伝わらない。




言葉でひととひとが結ばれたり、離れたり


変なものだとジョナサンは、科学的に感じる(笑)。



子孫を残す為の人間の愛、でも


今はジョナサンのように、科学的に

生まれて来る事も出来るから




そんな科学の子供達の愛って、争いもなく

共和的。





「ジョナサンは、アメリカに恋人はいないの?」と、ななは楽しそうに聞く。


地下駐車場にクルマが入ってきて



タイヤの音が、地下に響く。




「うん。別に無理して恋しなくてもいいし。

友達は一杯いるけどね」と、ジョナサン。



アメリカンって、開放的だから


楽しいんだろうな、って

ななは想像する。


ブロンドの美人や、エボニーのファンキーガール。



笑いながら、海岸でサーフィンしたりとか。



なーんて、ななの想像は

どことなく映画っぽいけど(笑)。




行った事ないし。(笑)。




ななの想像だと、アメリカンって

そんな風に陽気で、お肉が大好きで

食べものは味がテキトーで(笑)

安くて一杯あって。



みたいなイメージだけど。



ジョナサンはあんまりそういう感じがしない。



それが不思議な、ななだったけど




エレベーターで区役所の1階に上がると

郵便局のひととか、区役所のひとが


玄関から外へ出て、タバコを吸っていたりする。




「おもしろいね、あんなにしてまで吸いたいのかな」と、ジョナサンは言う。





「わたしも解らないけど」と、タバコを

吸う事など知らない、ななも言う。




「刺激に慣れるんだって」と、ジョナサンは

科学の子供だけあって、知識に豊富だ。




環境にないものを、人間が作って

それが、たまたま


効き目のある薬物だから、習慣になる。




どんなものも、結局は

好悪の感情に関わるとすれば、薬のように

ケミカルが効いて行くものなので




薬でなくても、いつも

のんびりしてるひとは、のんびりしてる顔になるけれど

それは、普段の習慣が表情に出るから、だったりする。





そういうものも、大抵は親の影響だったりするので




親が怒りっぽいと、あまり

穏やかな子供には育たないけれど


遺伝とは別に、習慣の伝染である。




弱い立場の子供は、大人がとっても強く見えるから



感情的になる親なら、いない方がいい。



そんな意味で、科学の子供ジョナサンは


普通だ。




「アメリカに、科学の子供は多いの?」ななは

尋ねる。




日本にはまだ少ないけれど。



「アメリカンって、陽気で

開放的だって」と、ななは

区役所の広い玄関から、庭園になっている

エントランスを歩きながら。



少し離れて歩く、ジョナサンを振り向きながら。



にっこり。




その庭園は、区役所の人達の

憩いの場所になっていて



ベンチや、水際の公園みたいになっていて。




あちこちでタバコの煙りがたなびいている。




見上げると、硝子のタワーのような


区役所の建物が


太陽にきらめいて。





ジョナサンは「アメリカンって、陽気で

だれとでもHするとか?」と

あからさまに言うので


ななはちょっと恥ずかしくなった。





「そんな事ないよ。日本のJKがそうだって

アメリカでも言われてるけど、そんな事ないでしょ」と、ジョナサン(笑)。




「そんな事聞いてない」と、ななは

笑いながら。




「そうだよね。日本のJKってアメリカでも

有名だもの。レッグウォーマーで歩いてて」と

ジョナサンは、ルーズソックスの事を言っているのだろうか。




「ああ、あれ。今は廃れたけど」と、なな。




それにしても、どうしてアメリカンがだれとでもH(笑)

なんてイメージが伝わったんだか。



と、ななは思う。




日本のJKがそうだって言うイメージもそうだけど



そんな事ない。




JKって言うと、ななは

加藤の恋人になってしまった

あの少女の事を思い、ちょっと

悲しくなる。




科学の子供達だって、恋のライバルは

いるんだろうし、と思って




「ねえ、ジョナサン?科学の子供達だって

三角関係とか、なるんでしょ?」と

当たり前の事を聞く。



「それは、変わらない。でも、あんまり

ないかなぁ。どっちかと言うと」と、ジョナサンは淡々と言った。



「ほら、僕らは親って言うか

みんな一緒に育ってるから。

誰かだけが特別好きって思い込まないんだ。

コミュニティーの女の子は

大抵好きだし」と、ジョナサンは

淡々と言う。



そんなものだ。



もう、人間同士争う事もない。



争って生き延びないといけない、のは

野生生物の話で



人間は天敵も無くしたし


損得、なんて概念も

過去になったから



江戸時代の町人みたいに



その日暮らしで

十分幸せにやっていけるのだ。



都会が住みにくいとか

人が冷たい、なんて言うのは



田舎者が都会に出てきて言う言葉で


江戸っ子は、生れつき

周りに人がいて

だれとでも気軽に仲良くするのに

慣れているから


とても気楽で温かみのある人たちなのだけど




そういうふうに、子供達のコミュニティーで育った


ジョナサンたちは、だれとでもフレンドリー。



そういう事だから、過剰に

思い込んだりしないし




三角関係、なんて

誰かが傷ついたりするような


恋の仕方はしない。




そういうものだ。





争いたがる人って、実は

都会的ではないのだ。


なぜ、生物に

オスとメスが出来たかと言う

理由をひもとくまでもなく


生き物は、動くので


その結果、自分の領域を保つために

争うようになった。



生き物の基本は、元々メスだから


それを愛でるような記憶が

どんな生物にもある。



愛らしいもの。




それを愛でるから、優しくなれて


ひとは家族を持って

家族に誰か、かわいい人がいて

その存在を愛でる事で、家族が

成り立っていた。



そのために、オスは生きる意味があった。




でも、ひとが損得を覚えて



愛しいはずのひとは、それを

売り物にするようになって



愛しさを失った。


荒みだ。


それなので、男たちも

荒んで行った。





すべて、損得のせいだったので


エネルギーが無尽蔵になった今


損得がなくなり



科学の子供達は、その

愛しさを取り戻す。



自然の子供達も、そう。



ななは、違和感。「科学の子供達って

真剣に一人を思うって事ないの?」



ジョナサンは、歩きながら少し考えて



「わからないよ。みんな愛しいと思うけど

誰かが特別だって思ったりしないし。

こんな僕を好きになってくれたら、そのひとを

一生懸命に愛するよ、そのひとが

僕を嫌いになるまで」



と、ジョナサンはさらりと答える。





そうかなぁ、とななは思う。



わからないけど、ななは

いつもひとりを思っていたような

気がする。



でもそれが、純愛だって

思っていたからなのかな?と


ななは思う。





ジョナサンも思う。



ジョナサンが女の子を選ぶと言うより


選ばれた時、愛が始まった。





ジョナサンの愛は、生物的な愛で

大抵のオスは、撰ばれてカップルになる。



人類の祖先、猿や

隣人の類人猿たちでも



一見、群れのボスはオスで

メスを選択しているように見えるけど



メスたちは、選択していて


選ばれたオスが、ボスになれる。



それは、好ましいオス、と言う事で

人間で言えば、メスを大切にしてくれるオス

と言う事で




つまり、生物的に好ましいオス。




ところが、人間は

貨幣を作り、損得を覚えたりしたから



狡い事をしても、貨幣を沢山得るオスも

狡いメスの人気を得たりする(笑)。




例えば、首相経験者の孫が

アメリカの金融会社で

芳しくないビジネスをして、金儲けをしていて


女子アナをお嫁さんに貰ったりする。


でもそこに、心の幸せはないから



会社が倒産したりして、奥さんも

不幸に襲われたりする。




金融システムの隙間を突いた


借金して金融して利益をあげる、なんていう

芳しくない事をしていた利益なので




でもそれは、彼らのせいじゃない。

社会が、そういう事をしていたからで

それを幸せだと思いこまされていただけだ。



加藤はそれを科学的に破壊し

平和を作った。


でも、人間は

ひとりひとり、脳が違っていて

ネットワークもないから


思い通りにならない事も多いし


可愛いものに恵まれない事も多い。



大昔から、そういう人達は

芸術で心を満たしたりした。



小説や、音楽、絵画や彫塑に

偶像的なものが多いのは、そんな理由でもある。



アニメーションや、映画のような

機械文明のあと、発達したものにも



そうした、愛らしい偶像が多いのは


世の中に愛らしいものが減ったせいでもあるし


別に、歴史的に

繰り返された事でもある。




ななのような女の子の文明は、大抵我が身が中心である。


装飾も美容も、我が身が中心なので



年老いた女が、美容に

お金をかけたりして

若い容姿になりたがったりするのも


それが本能的だからで


理論的には、あまり意味がないが


それが趣味なのだ。




なので、ななの感覚的な恋愛と


ジョナサンの理論的友好には


交わるところは少ないようにも見えるが(笑)



それも出会いである。












評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ