1350
神様が見下ろしている日本でも
都市生活になるまでは
恋愛も婚姻も自由で
例えば昭和になってさえ
農村や山奥では
子供は村の共有財産で
若い娘は、お年頃になると
女の子だけのコミュニティーに入り
老婆が大抵管理する
村外れの家に住み
そこで、若い男の
来訪者を待ち
恋を得て、婚姻に至る。
そういうコミュニティーが存在していた。
西洋でもそういう例は至る所にあり
例えばイスラエルなどでも散見されている。
それができなくなったのは
家族単位で租税をするために
国がそうしたので
つまり、人間の自由を
損得と貨幣が抑圧したと言う
側面もある。
もっとも、日本では
若い娘たちを
日本人に化けた渡来人の末裔、
年長者の男が凌辱する事が多かったので
国がそれを規制した、と言う側面もあるのだけれど。
天敵がいなくなった事で
増殖をした人類が
フィールドが狭くなったから
自らの仲間を仮想天敵として
攻撃を始めた結果
人間が住みにくい社会になったと
神様は、天上から見下ろしてそう回想して
その少し未来、科学によって
その攻撃の理由になっていた経済格差や
貨幣流通と言うものを破壊して
人間は、また自由に
原始時代のように
生きて行く事が出来るようになった。
攻撃したいと言う
意味のない感情は
実は、親が歪んだ社会から受ける抑圧で
子供への教育を歪めた結果であったのだから
その貨幣流通経路も、社会も
家族も無くなれば
人間は、もともと
攻撃しようなどとは
思わないのであった。
神様が見た近未来は、そんな感じ。
エネルギー源が潤沢なので
誰も、困る事もない。
元々、怒ると言う事自体が
怒っている本人の脳のイメージと
目の前の現実が違うから、と言うような
客観的なものの見方ができれば起こらない事だし
大抵は、それによって
自らが損する、みたいな理由があって
怒りにつながるので
元々、損得と言うような
相対的比較をしなければ起こらないものである。
恋愛の争いなどもそうで
訳解らずに、ひとりの人を
恋しいなどと思い込まなければ、起こらない(笑)。
それは恋かもしれないけれども
さて、自らの好みの相手でなかったとしても
慕われて、愛しいと思って
その対象を大切にしようと思うと
それは、愛、と言えるかもしれない。
そういう気持ちをかわいいと思えるなら
気持ちのある限り、愛は続く。
それは、なにも人間でなくても良くて
物語を書くひとが、その作品を
愛してもいいし
音楽を奏でるひとが、曲や
演奏をしている時の気持ちを愛してもいい。
自動車や、オートバイでもいいし
コンピュータプログラムでもいい。
愛は自分の中にあるのだから
対象はなんでもいい。
愛せる対象があれば、人は幸せになれる。
その対象の為に、なんでも出来るから
愛は素晴らしい。
科学の子供達でも、それは同じで
何か、愛せる対象を求めるのは
生き物に生まれたので、そうして
相互に支え合って生きていく事が
好ましいと思えるように出来ているだけだ。
神様の薬、オキシとしんも
そのひとつで
愛せる対象を愛でている時に、その薬が
効くようになっていて。
それは、科学の子供達でも同じだったりする。
ななの時代の、次の20年くらいで
そうした、新しい環境に人間たちも馴染む。
ななとジョナサンが結ばれたかどうかは別にして(笑)
ななたちは、経済のあった最後の人類。
ジョナサンたちが、新しい人類。
争って、力の拮抗に明け暮れていた
人類は、そこから解放される。
元々、生き物に雌と雄があるのは
生き物の中のごく一部で
雄は大抵の動物で体も大きく、力の強い
個体が生き延びていくような性質があったのが
人類は、社会生活の中で
その力を封じるルールを作った。
力の強い個体が強引な事をしないように、との
配慮であるが
それだけなら良かったが、隠れて
弱い個体がまとまってルール破りをする
事が流行してしまったので
それが、例えばななたちの世代で言うと
派遣イジメ、なんて事になったりするのは
つまり、ルールが不徹底なので起こった。
徹底が難しいので、加藤たちは
根源になっている経済そのものを変えてしまって
平準化を図った。
新しい、ジョナサンたちの世代は
科学の子供達なので、理論的だ。
正当な事しか必要でないのは当然で
1960年代あたりで普通だった
感覚である。
正当である事が、男の証、女の証であるが
これは、日本で言えば古来の武士道にも通じるものであったり
アメリカンで言えばフロンティアスピリットの
ようなものであったり。
そういう時代に人間は戻ったのである。
自らを律し、卑怯な事をしないのが人間。
そういう形で、清々しく生きるのが
新しい人類であるし
なにより、卑怯な事をしなくとも
エネルギー源は無尽蔵なので
誰も争う事はなかった。
子供達はコミュニティーで生まれ育ち
慈しみあうように生きていく。
敵性は、己の心にある悪。
そう、誰もが考え、お互いのために
生きていく科学の子供達は
やがて、大人になっていく。
競い合うのは、作品であったり
研究であったり、あるいは
スポーツであったり。
そうしたものが内包するスピリットを
争うのが古くて新しい感覚だった。
例えば、野球の試合があったとする。
強打者を迎えて、投手が
敬遠をして勝っても
それを勝利とは言わないような
そういう気風に満ちた社会になった。
ななたちの世代は、懐かしいような
感覚でそれに触れる事になる。
そんな未来が待っていると知らない
なな、は
ジョナサンの純粋なところに
感心したり
なな自身が、仕方なく
疑って生きていく事を覚えたり、そのせいで
加藤と出会って、好意を感じても
自分からそれを言えず、誘惑しようとして
そのせいで、加藤に誤解されてしまって
ほんの少しのタイミングのずれ、で
他の女の子に、加藤を奪われてしまった
(訳ではないのだが、ななはそんな風に
感じていたりする。)
それへの後悔もあって、ジョナサンの純粋さが
眩しく思えるなな。
でも、ななが不純な訳でもなくて
女の子は弱い存在で、狡い男に
騙されて傷つけられたら
立ち直れないかもしれないから
知らずに疑うようになっていた。
つまりは環境が悪いので
加藤は、そういう環境を破壊しようとして
貨幣流通経済を壊した。
でも、そういう女の子の防衛は
男の子がみんな、ジョナサンみたいに
純粋にならないと続くだろう。
それは、仕方のない事で
生物でも、昆虫が保護色を纏ったり
擬態で、植物そっくりの形をしたり。
それは、生きていく為の仕方のない事だったりする。
そういう記憶が、ななの記憶、遺伝子に
残っていたりする。
どうしても恋を得たいと思えば
嘘くらいはつくかもしれない。
そう思うななは、ジョナサンや
加藤のような男の子、男のひとを
羨ましいと思う。
「女って面倒」だと思う。
でも、生物の根源は女で
だけれども、近未来に
生命を育む事すら、人間は手放す事も出来て
ジョナサンのように、科学から
生まれた子供が増えたりする。
雄は争って強い者が生き延びようとして
雌は、そういう雄を選ぶ。
そんな動物の性質が
人間の誰にも残っていて
社会では、争いは不要なのに
理由をつけて争おうとする。
例えば、勉強が出来たら
出来ないひとの事は虐げていいとか
スポーツで金メダルを取ったら
弟子を殴っていいとか
女の子の弟子なら凌辱していいとか
そんな事が起きたりしたのは、みんな
その争いを好む性格のせいだったりするけれど
科学の子供達は、そんな事を
好む事もない。
人間同士争っても、たかが知れている(笑)
からである。
そんな事をしているなら、新しい事を
始めた方がいい。
ジョナサンのように、人間から
生まれない事が
ふつうになってくると
完全な保育で数年、少なくとも
目が見えて、自意識が起こるくらいまで
育つと
元々、頭が大きくなって
早産で生まれてしまったせいで
人間の赤ちゃんは、目の見えない状態で
欠乏や、不安感を覚えたりする事から
それが、心のどこかに残ってしまって
大人になっても欠乏恐怖があったり
暗いとこを恐れたり。
不安を嫌ったり。
そういうせいで、人格にネガティブな
ところが出来たりするけれど
そういう記憶のせいなので
ジョナサンのように、過不足なく
育てられる事で
円満な、焦る事もなく
つまりは、大人になってからも
追われる生活はしないようになる。
知恵がついて、脳が大きくなったせいで
類人猿の隣人より早く生まれてしまうから
心に欠乏感が出来たりと言う
なんとも不条理な進化(笑)である。
それからも人間は解放されるから
ゆったりとした時間の流れの中で
好きな事を楽しみながら
生きてゆけるようになった。
ななは、ジョナサンと
蒲田区役所の地下駐車場から、そのまた下の
地下鉄予定空間に臨みながら。
神様が地上を臨むような気持ちになっていて(笑)
「どっちかと言うと、閻魔さまが
地獄を臨む気持ちかな」と、イメージを
声に出してしまって(笑)
ジョナサンが笑顔になる。
「地獄って具体的だよね。痛いとか辛いとか。
針の山とか、火あぶりとか。
でも天国ってひとそれぞれだから
しあわせってそうなんだろね」と、科学の子供達、ジョナサンは
イメージも科学的だ。
体感できる苦痛が、わかりやすい地獄の
イメージだったりする。
ななにとっては、女、のコミュニティーも
苦痛だったりしたけれど(笑)
意味もなく、抑圧されたりする。
人間の祖先、猿あたりからの経験で
雌は子供を育てる共同体、みたいな側面があるから
協同組合のように、同じ負担をさせられたりする。
猿の頃では、子供の面倒を
協同組合で(笑)するから
自分の子供でなくても面倒を見たり
年長の雌のマッサージ(笑)をしたりとか
そういう群れが転じ、人間の家族になって
女たちは、女社会を作っていたりする。
そこに、論理的な側面はないから
変な負担もある。
ななは愛らしいから、加藤のような男に
愛らしいと評価されると
愛らしくない女たちから嫉妬されて
事務所の台所掃除当番をさせられたり(笑)とか
そういう、コミュニティーを使った
意地悪はあったりする。
元々、コミュニティーは自由参加だから
出ればいいのだが(笑)
それを認めない、と言う
ある種テロ集団のような所もある(笑)。
集団の横暴とは、例えば
派遣労働者が望んでいないのに
派遣労働者の待遇を悪くする法案を
作るようなものだ(笑)。
それも、言って見れば横暴であるから
論理的でない。
そんな、ななの嫌っていた
女同士のコミュニティーは
昔は、猿同士のように
助け合いの組織だったのだけれども
国の政治が、国民の貧富を黙認するように変わった平成以降
そのコミュニティーに
差別が入ってから
変になってしまった。
ななのいたコミュニティーで言えば
派遣社員のななは
どうあっても、正社員には逆らえない、なんて
おかしなコミュニティーだった。
そのコミュニティーを仕切っていたのが
重役の愛人だったりしたので
なおのこと
(笑比較的)
若くて美しいなな
に嫉妬した愛人、松野が
ななを嫌って
無法な事をしたりして。
そのひとつで、男たちをたきつけて
深夜に会社で
ななを凌辱しよう、などとの企みを
起こしたり、なんて事もあったのだから
ななが、それを嫌うのも当然だった。
加藤は、その事を知らない。
もし、知っていれば
法律的な知識のある加藤だから
何等かの措置を取ったのだろうけど
ななは、敢えてそれを知らせない事にした。
加藤に迷惑はかけたくないと
思ったからだった。
「それで良かったのね」と、ななは
声に出してしまったので
また、ジョナサンが笑顔になった。
ななは、平和になった今でも
その暗鬱な時期を思い出し
臨席の加藤がそこで、ななの
心の支えになっていたかを
夢の中で思い知ったりした。
その松野が、単なるパートタイムである
にも関わらず
派遣先重役の愛人と言う事で
派遣社員たちに命令したり(笑労働者派遣法違反である)。
派遣労働者たちを虐待したり(笑もちろん、派遣法はもとより刑法犯である)。
そんな事をしている松野を、止める事のある
気概のある人間は誰も居なかった。
勿論、重役の愛人だからと言う事で
正社員たちも遠慮するような
状態。
それも、実は損得勘定が
正義感に負けてしまっている、平成以降の
価値観の影響で
この会社、経営が思わしくないのは
勿論、そういう古臭い体質のせいで
誰も、前向きに働かなくなってしまっている
せいだ、と言う事が
その重役たちにも解らないせい、でもある。
ガス会社、と言う
寡占事業なので
原発事故で明るみに出た、電力会社に似た
封建体質に添っていれば、安泰だと言う
硬直体質だったので
江戸時代の悪代官(笑)の漫画のようだと
ななも思っていた。けれど
ななは派遣なので、諦めていた。
けれど、加藤は違っていて
そんな松野たちの事を気にもせず、明るく
楽しげに振る舞っていた(笑)。
そこが、ななには不思議で
どうして、何も気にならないのだろう?
何を言われても、何をされても
平然と笑顔で対応している加藤。
松野が命令口調で高圧的に何かを命じても
平然と笑顔で、相手にせず
自分の仕事をしている、揺るぎない態度。
そこに緊張も防御もなく、ゆったりと
楽しげにしていて
まるで松野たちの事など眼中にない、と言う
そういう加藤は、いつしか
派遣労働者はもとより、正社員たちの
信望も集めるようになっていて
そこが、松野たちの気に障る。
課長が、加藤の文字が汚いと
因縁をつけてきても
加藤は平然と笑顔で「文字書きは契約内容に
含まれておりませんし、書類は判読出来れば
良いのです。」と、笑顔で対応すると
課長は怒鳴るのだが
(笑刑法犯罪であるところの暴行に該当する。。)
加藤は平然と「落ち着いてお話をなさってください?」と
何も気にせず微笑んでいるのだ。
その加藤の超越した姿勢は、松野たちの事など
微塵にも感じていないと言うあたりが
女の子たちの注目を集めるところ、でもあった。
誰だって、嫌なのだ。
重役の愛人が仕切る会社なんて。