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もう一度飛んで下りれば
よさそうなものだけれども(笑)
自由に飛ぼうと思っても飛べないところが
ななに掛けられた魔法の面白いところで
自分が魔法使いじゃないから、うまく使う
術もしらない。
ただ、気分が乗ると飛んでしまう(笑)
「こんなんじゃ、弁護士には絶対なれないな」と、ななは面白い事を言うので
ジョナサンは「ななは弁護士を目指しているの?」と、ふつうに、なな、と呼ぶ。
それはアメリカンらしい風習で
自然だけれども、なぜか日本人の、年下の
男の子に、なな、なんて呼ばれると
怒るだろうな、と
ななは思う(笑)。
日本語って立場がわからないと話しにくい
変な言葉なんだけれども
その立場、は
昔から決まっていた、形通りのもので
ななが幼い頃は、誰でも
幼いななを愛でてくれたし、自然に
敬う気持ちになれたから、丁寧な言葉を
使えた。
でも、最初から威張ってるような人には
敬語なんて自然に出てこない(笑)し
年下なのに尊大な感じの人には
なんとなく尊敬語なんて出てこない(笑)
尊敬できない、って思ってしまうと
もうダメだ。
派遣先で、あの大塚に出逢った頃
大塚がフランスに留学していたとか
毟れた茶髪で言うので(笑)
本当かなぁ(笑)と
ななが思ってしまって、笑ってしまった
事があったりしたけど
なんで、頼みもしないのに
フランスにいたとか言うのだろうとか(笑)
なーんとなく、本当かもしれないけど
嘘みたいに聞こえて(笑)
そういう人には敬語になれないのだった。
日本語は面白いし、威張ってる人って
敬語でも、わざとらしい敬語を
みんなに使われるので(笑)
そういう感じの言葉も、面白い。
もともと日本の言葉は、大陸から渡って来たものだけれども
ニュアンスは自由で、いろいろな
使い方でどうにでも取れるあたりが
日本人らしい言葉だ。
尊敬語が、そのまま尊敬を意味しないあたりも
日本人らしい(笑)。
いま、経済からも社会からも解放された
ななは、以前流行っていたような
ぞんざいで攻撃的な言葉の使い方を
あまり好まなくなったし
「そういえば、加藤さんはずっと
穏やかな日本語だったな」と、ななは
思い出す。
屋上はヘリポートになってるので
下りる階段を探すのは結構大変だった。
でも、なんとか下りて
12階のフロアに下りて
エレベーターを待ちながら。
ななは、ジョナサンとお話をしながら
「でも、生き物だから」と、ジョナサンは
誰かを愛したいって思う、と
そんな風に思う時、薬が効いて来るって
面白い事を言った。
「薬?」と、ななは尋ねる。
「そう、薬が心に効くんだって。
誰かを愛して、その人のために何がしてあげようと思うのは、心の薬なんだって、そう
教わった」と、ジョナサンは言う。
そういえば、ななの側でも
優しい人は、みんな誰かの為に、って
生きている人で
そういう人がいないと、大塚みたいに
ひとりで殺伐としているような
そんな気もしてきた。
「それで、ジョナサンは旅してるの?」
エレベーターが来て、人のいない12階の
扉が開いた。
ジョナサンと一緒に、エレベーターに乗って
ジョナサンは、地下2階のボタンを押した。
「どこ行くの?」ななは何気なく。
「区役所の地下を見てみたいな」と、ジョナサンは言う。
「京浜急行が、東急と地下鉄でつながるの」と、ジョナサンは面白い事を言う。
地下鉄の駅が出来るはずの区役所の下は
確かにがらんどうな駐車場で
靴音が響くような場所。
不自然な場所に、鉄の扉があって
よく聞くと、向こうに
大きな空間があるような余韻があった。
「ななは、弁護士になりたいの?」と、
唐突にジョナサンが言うので、ななは笑った。
その声も、広い空間に吸い込まれるような
響きがある。
ジョナサンは科学の子。
その響きで広さを感じ取り「地下3階まであるね」と。
「そんなのわかるの?」と、ななには
地上の雑音と混ざって、わからない。
「トンネルになっているね。響きが遠いし
低い音が共鳴してる」と、物理っぽい事を
楽しそうに話すジョナサンを見て
なんとなく、加藤を思い出すななは
自分が少し悲しくなって。
少し、涙が滲んでしまう。
忘れたようでも、思い出してしまって。
でも、もう、あの人は
ここにはいない。
ジョナサンにとって、涙ぐむ
ななは、不幸な衝撃だった。
振り返った彼は、意味がわからず
でも、ふるえる腕で
ななを思わず、抱き寄せてしまう。
科学が教えない、そんな行動は
生まれる、ずっと前から
600万年の昔から人間が持っている
優しい気持ち。
意味はない。
ジョナサンにとって不幸だったのは
ななの心には、まだ加藤が居たので
その抱擁は、ななにとって
優しい弟の、ようなものだったから。
でも、未経験なジョナサンにとっては
それが、初めて触れた女の子の肌で
柔らかく、芳しく。
感動に打ち震えたジョナサンだった。
その涙の意味を問う事もなく、ジョナサンは
ただ、それが愛と言うものなのだろうと
そう思った。
神様の薬ってこれ?
もともと、愛は
生物が繁殖のためにもっているプログラムである。
生命を慈しむ事が正しいとされているので
女の子を愛する事も、生命を作るためである(笑)。
なので、生命に危機が訪れると
繁殖をしたいと思うのは
例えば人間でもそうで
情報のように使われている
ホルモン、などが
ケミカルな情報媒体として
観測されている。
ノルアドレナリンなどは
戦闘のためのホルモンで
筋肉を緊張させたりするけれど
同時に、繁殖のための
誘因物質の分泌にも関連している
そういう理由で、危機が訪れると
繁殖が怒るのは
日本でも、よく動物行動学生が
観測するが
類人猿などの群れのリーダーが交代すると
雌が一斉に発情する、前記した
そんな例でも散見される。
危機が訪れなくなったジョナサンや、ななたちは
特に繁殖の必然はない。
けれども、ななのような
女の子が涙を流す事は
科学の子、ジョナサンの
古い記憶の中にあったデータを刺激するのだろう。
弱いもの、愛らしいものを
悲しませてはいけない、と言う
基本的な、弱者保護の
プログラムである。
人間は生き物だから
繁殖をする事を喜ぶように、出来ている。
そうしないと、死滅するから
そうなっているのだけれど
具体的には、行動を司る脳で
繁殖行動をすると気持ちいい、と感じるように
出来ている。
誠に不思議なのだが、進化の過程で
それをどうやって手に入れたか?(笑)。
それはともかく。
面白い事に、快も不快も
脳の中、神経の間に化学物質が満たされる事で
そう感じるように出来ている。
分泌、と言うか
小さな容器に入っていて、それが
出てきて
用済みなら回収される。
機械的に面白い仕掛けなのだけれども、それが
生き物には大抵備わっているのは
誠に不思議である。
ただ、人間は遊ぶ動物である。
ホモ・ルーデンスと言われる所以だが
その繁殖行動の気持ちよさを、遊ぶような
行動が見られるのは、人間の隣人、サルあたりからで
雌同士が、お互いに体を刺激して
気持ちよさを感じる事で
お互いの社会関係を保つ、と言う
今も昔も変わらない(笑)ような
行動があったりする。
人間は、その繁殖を
遊びにしてしまったので
言ってみれば、化学物質を脳で使うので
麻薬と同じで
つまり、気持ちよくない時は
不快になる。
つまり、繁殖のための機能を
遊びにしてしまうと
禁断症状のように、普段は不快、と言うか
不満になってしまう。
アメリカンでも1960年代あたりから
そういう風潮が興り
日本でも、1980年代あたりから
そうなった。
でも、賢い人は
脳で起こる快感だけを楽しむようになったから
面倒な繁殖の為の婚姻とかを避けて
快感だけで充分ハッピー(笑)だったりする。
かえって、家族を持って
新しい機会に恵まれず、禁断症状(笑)で
不満顔をしている人の方が
不幸、だったりする。
そんな理由もまた、ななたち
若い自由な人が、そういう古い人から
羨望と妬っかみ(笑)で
攻撃される理由でもあった。
実は浅ましい事であるが
パワハラの要因でもある。
でも今、そういう束縛から
少なくとも日本の人は解放されたし
ジョナサンたちアメリカンもほとんど解放された。
好きで恋愛して、子供が出来ても
育てるのが困難なら
国が引き取って育ててくれる。
家督も相続も不要な、エネルギー循環社会だからである。
食べ物すら、人工光合成を元に
有機化合物が無限エネルギーで作れるし
望めば、女は
子供を産む機能からも解放される。
発情がなくなれば、機能も不要なのである。
ジョナサンは、生まれる前から
持っている
繁殖のプログラムに沿って、ななを
対象にしてしまいたいと衝動する。
でも、ジョナサンは科学の子。
その人を愛するならば、その人の為に
ならない事はできない、と
理論的に考える。
1960年代までは日本にもあった、愛の感覚である。
それ以降、金銭を多く得る為に
思いやりより自己の利得を重視する、つまり
幼稚な考えの人間が増えて言ったので
愛は失せていった。
貨幣流通が無くなった今、損得を考える
必要もなくなったが
それでも、ジョナサンは旅の若者。
衝動に負けてしまってはいけないと
自らを律する事が
男として正しいと、成熟した行動を示すが
それは、若干ななには
物足りなかったりする(笑)。
なながそう思うのも無理もなく
ななたちの世代と言うか、1960年代より後は
日本が、工業労働者の育成の為に
学校教育を行った世代である。
理由を考える事なく、服従し
周囲と同調する事を教えた。
そういう世代が大人になって、子供を
産んで教育すると
何も知らないので、子供を教えられず(笑)
ただ、服従する事だけを教えるけれど
そのストレスで、子供は攻撃的になり
親や教育者を嫌う。
つまり、歪んだ教育方針がいけないのだが
その元凶は損得である。
工場労働者を増やして、国を儲けさせよう。
もちろん、そのピンハネをして
資本家が儲ける事が目的の一部でもある(笑)
故の服従強要であり、正しい目的なら
服従させる必要はないので
つまり、目的が変だから
理由を明らかにできないのである(笑)。
つまり、理論的に考える事を禁じられた世代が
親になったので
そうした悲劇が起こった。
善悪すら教えられていないのは
善悪を知ると、損得と相反すると
都合が悪いから、である。
つい最近まで、「原発は安全だ」などと
教えられていたのもその一例で
事故で、その嘘が露見するのだが(笑)。
そのように、正しい認識を教えられていない
ななにとっては、無軌道な欲の充足が
渇望される。けれど
それは謝った教育の弊害である。
科学の子、ジョナサンは
その道を歩まない。
「ごめんなさい」と、ジョナサンは
やわらかな誘惑を断ち切る。
ほんとうは、ずっとそうしていたかったけれど
暗がりで抱き合っていたら、ジョナサンの
抑制もどこまで続くかわからなかった。
ななは、少し、残念に思ったけれど
その感覚は、加藤に感じたそれと
似ていて。
ジェントルマンなジョナサンを、加藤のようだと
好ましく思った。
加藤は、古い教育を受けた日本人の子孫だから
善悪をはっきり見極める。
それが故、いまの日本では行き場が
研究室くらいでしかなかった。
服従だけを教える国の教育のせいで
その、研究室ですら
不正研究で成果を捏造し、予算を着服するような
研究者が増えてはいたけれど。
損得だけを考え、隠れてするなら
悪い事だって平気。
そんな研究者が、増えていたのも
教育の歪みのせいで
服従を強要されれば、隠れて自由を
求めるのは当たり前で
それでは、教育ではない。
自ら考え、正しい判断をして
自律する事へ導くのが教育である。
それを行わなかったせいで、年老いても
成熟せず、分別のできない大人ばかりになったから
子供に分別がないのは当然である(笑)。
判断力の源を教えないから、だ。
政治も、そういう大人たちがすれば
損の押し付け合いになるから
そうなると、政治ではなくて
ただの衆愚である(笑)。
そういう衆愚が、損得勘定で
古い原発を使いつづけ、安全対策を怠ったところに
大地震が起きて。
衆愚たる存在が明らかになったのだった。
人間の愛は、我が身の為じゃなくて
愛する者がいて、それを初めて知る事ができる。
そう、ジョナサンは感じているし
ななも同じだろう。
それは、たぶん
ななが少女っぽい思いを忘れずに
生きて来たからで
ふつうの26才だったら、そんな事も忘れて
繁殖の為の行動を遊び、快楽に酔って
ふだんは、禁断症状のように
不満と不快に明け暮れる、つまらない大人に
堕ちてしまっていただろう。
そうしなかった理由は、ななにもわからないけれど
たぶん、母親の自堕落なそういう姿に
内心嫌悪していたからなのだろうと
ななは、女同士として
いつか、そうなってしまう自分を
怖いと思い、踏み止まっていた。
理屈はなにも分からなくても
感じ、で
汚濁に塗れたくないと感じた。
「ねえ、ジョナサン」と、ななが
加藤に似ているジョナサンに、好感を
告げようとすると
「変だな」と、ジョナサンが言うので
ななは、少し驚く。
加藤の代わり、みたいに
ジョナサンを思っていた事を
彼に見透かされていたように思って。
「音がする」ジョナサンは、地下の音に
集中していた。
「何もないはずなのに、地下から音がするよ」と、ジョナサンの少年のような
好奇心は、ななの事を気にしていなかったので
その事に、ななは安堵するけれど
半面、少年のようなジョナサンの心に
嘘をついてはいけない、と
加藤の代わりにジョナサンを愛そうとした
自身を反省する。
それは愛じゃないわ。
汚濁に塗れる一歩手前で、ななは踏み止まって。