5.戦い
急襲に浮足立ったストライダー達を横目に見ながら、ニルギリーは剣を構えると、突っ込んできた黒騎士の一人を迎え撃った。
「ヌン!」
ニルギリーの首筋を狙って剣を振り下ろそうとした騎士の右腕を思い切り薙ぎ払うと、斬撃が刀身を骨までめり込ませ、衝撃がそれを砕く。黒騎士は片腕を失った事態に間の抜けた悲鳴を上げて落馬し、主を失った黒馬は勢いのまま『大足』と呼ばれる獣に激突した。
衝撃に身を仰け反らせた大足は二本足で立ち上がり、傾いた櫓の兵士たちは振り落とされぬ様必死にこらえる。射撃が止むのを見て、ニルギリーは吠えた。
「今だッ! 怖れず、かかれ!」
ニルギリーの叫びに戦士達はようやく士気を取り戻す。狭い村の中に入ってしまった今、騎士はその機動力を生かし辛い。『大足』による奇襲と、騎士の最初の突進攻撃を凌いだ今が正念場だった。
生き残った戦士達が立ち上がり、メッテルニヒーの黒騎士達に果敢に挑む。馬上から引きずりおろし、斬りあいを始める者、乗り手を失った馬を奪い騎乗戦に臨む者もいた。混戦に血しぶきが上がり、村の異臭の中に、新たな要素――「血の匂い」が入り混じる。
混戦を見回したニルギリーは、メッテルニヒーの黒騎士の中にひときわ異彩を放つ者を見つけた。兜を身に着けず、群がる戦士達を相手に顔色一つ変えず斬撃を見舞い、その白い顔を血に染める若い騎士。
――カイゼル・フリード、と先に聞いた名を思い出し、彼に挑むべく駆け出したニルギリーは直後、背後に別の殺気を感じ振り変えった。
「――シッ!」
奇声とともに振り下ろされた剣撃を紙一重でしのいだニルギリーは、馬上の男を確認した。この男も兜を付けていない。カイゼルと共に自分と相対した、男――ニールスとか呼ばれていた者だ。
おそらくは狙ってニルギリーに向かってきたのだろう。彼を見てニタリと笑ったニールスは「シッ! シッ! シッ!」と甲高い掛け声を上げて、執拗に斬撃を繰り返す。馬上からの斬撃にニルギリーは受け太刀するごとにその体力を削がれ、後ずさった。
「どうした? ストライダー。その剣で俺の首を跳ねるのだろう? そら、やってみろ!」
ニルギリーの苦悶の表情に昂ぶり、黒騎士ニールスは堪えきれぬ愉悦に破顔した。その叫びに伴ったわずかな油断が斬撃を鈍らせ、そしてニルギリーはその隙を見逃さない。左手で振り下ろされた黒騎士の切っ先を掴み取ると、右手の剣をニールスの脇の下に突き立てる。「アッーッ!」という苦痛の雄叫びに声を枯らしたニールスはたまらずに距離を取ったが、やがて落馬して地面をのたうちまわった。
倒れ込んだ彼の腹部に、ニルギリーはすかさず追撃の蹴りをねじ込んだ。ボギッ、と骨が砕ける音が聞こえ、力任せに打ち上げられたニールスは三十センチほど中空に持ちあがり、吐しゃ物と血反吐を撒きながら泥の中を転がった。
「そこで寝ていろ。首は後でもらいに行く」
邪魔者を排除して再びカイゼルのいた場所に向き直ったニルギリーだが、既に彼との距離は開かれ、そしてその間には未だ健在の『大足』が暴れまわっていた。暴れる獣に振り落とされたのだろう、櫓の中の獣使いと弩兵はいなくなっており、『大足』は生存本能に任せてその巨体を振り回している。ストライダー三人が必死になって『大足』に切り込んだが、一人はすぐにその角の飾りに変わり、一人はその巨体に怖じけて腰を抜かした所を、丸太の如き大足に押さえつけられ、破砕された。
残る一人の戦士は――磨り潰された肉塊へと変わった仲間たちを見て、震える事しかできない。
チッ、と短い舌打ちをしたニルギリーは足元に転がった手槍を拾い上げると、それを思い切り投擲する。巨大な矢のごとき勢いを伴って宙を飛んだそれは『大足』の脇腹に直撃し、分厚い象皮と脂肪を抜け臓物まで達した。
新たな苦悶に再度二本足で立ち上がった大足は獣の咆哮で大気を震わせると、攻撃のあった方向、すなわちニルギリーに向き直り、怒りの形相を見せる。再度獣の轟咆を上げた巨獣は、どす黒い血を滴らせながら死力を尽くした突進を掛けて来た。
地鳴りと土煙、辺りに転がる黒騎士やストライダーの亡骸を粉砕しながら、巨獣はストライダーの長に向かって一直線に掛ける。
猛然と向かってくる猛獣の威容は、地面や大気だけではなく、理性によって抑えられていたニルギリーの本能――恐怖心を奮い起こした。それを高まる気迫で無理やりに押さえつけたニルギリーは、獣と接触しようという刹那に横へ飛び退いた。
「チッ!」
すれ違いざまに獣の角がニルギリーの脇腹を掠り、鎖帷子を貫いて肉を抉る。痛みに一瞬うめき声を上げたが、すぐに彼は怒りの雄叫びを上げると、獣の首を切り払った。続けて返す刃を『大足』の所以たる四足のうちの一つに掠める。
獣の生臭い血しぶきが絶え間なく上がり、視界を染めたかと思うと、『大足』はよたよたとよろめきながら突進の余力に流されていった。集落の住居の一つ――石を積んでできたその外壁に激突し粉砕した『大足』は、やがて力なく倒れ込み、崩れゆく石弾と茅葺き屋根に覆われて、果てた。
戸口にできた、僅かな隙間。
そこから見える断片的な光景でさえ、修也を戦慄させるに十分な殺戮が散らばっていた。大地を埋め尽くすほどの血海がむせ返りそうな鉄臭さを放ち、絶え間ない鉄の衝突音と、激痛に喚く断末魔の声が響く。音が止んで、人型の肉塊が一つ転がったかと思うと、再び野獣の如き叫びと戦いの音が始まる。
「なんだ……どうなってんだっ、外はっ!」
ノブの、その短い言葉は、修也達四人の心境を全て語り尽くしている。
人はこんな簡単に死ねるのか――? 地面に転がっている死体たち。その一つ一つに自分と同じ重さの命があったということが、信じられなかった。そんなはずがない、そんなことが有ってはならない。修也の知る世界では――日本では、人はこんな簡単に死なない。
それが――有ってはならないはずの事が、眼前に転がっている事実。異世界においては、命の重さすら違う。悲しむ暇すらない、いつ死んだのか分からないくらい勢いを付けて、ここでは人が呆気なく死ぬ。
混乱した頭を、それまで以上の轟音が揺さぶった。戦端を切り開いた『サイに似た化け物』が、近くの住居に突っ込んだのだ。石造りの建物を容易く粉砕して、その中に埋もれもがいている。
地鳴りと衝撃に、遥が再度悲鳴を上げた。もう何回目の絶叫か、既に声は掠れ、途切れ途切れになっている。それでも彼女は叫び続けていた。まるで、そうでもしていないと意識が保てないとでも言うように。
もしあの獣が、この小屋に直撃していたら――。
石造りの住居が、積み木の家みたいに粉砕されたのだ。ベニヤ板みたいな木を張り合わせたおんぼろ小屋なんて、ひとたまりもない。修也達はまとめて死んでしまう。
――そうでなくとも、こんなところに拘束されたまま留まっていたらいつか敵に見つかり、死ぬ。
そんなの嫌だ、と、滲み出た苦い唾を飲み込み、修也はケララを見た。
「こいつを……縄を解いてくれ。このままじゃみんな死んでしまう」
まるでそれまで意識を失っていたかのように、ハッとして少女は顔を上げた。その瞳を見捕らえて「ここにいても安全じゃない。一緒に逃げよう」と続けた修也の声は、内心の動揺に反して不思議なほど冷静だった。
少女は何も言わなかったが、それは修也の言葉への拒絶でも、迷っているのでもない。怖れで体が動かないだけで、既に回答は決まっているのだと修也は理解した。
暗がりの中でも、この異世界の少女が青ざめているのが分かった。彼女も、死を恐れている。そこに漬け込むことができれば――。
後ろ手に縛られた両の手をケララに向けると「こんなところで皆を死なせない。大和達も、もちろん、君も」と、まるでその場の全員――そして修也自身に言い聞かせるように呟いた。
修也の狙い通り、その言葉に僅かに褐色を取り戻した少女は小さく頷いて、懐からナイフを引き抜いた。暗がりの中で修也を拘束する縄にその刃を宛がうと、ゆっくりと切っ先を上下させて縄を裂き始める。
おぼつかない視界のせいか、ケララのナイフが手首にも当たって、いくつかの細かな切り傷を作る。慣れない痛みが断続的に来て、修也は痛みに呻いた。
「ご、ごめんなさいッ」
か細い声で謝る少女に「大丈夫、気にしないで」と引きつった笑みを向けた直後、戸口に何かがぶつかってガタンと音が鳴った。おそらくは切り捨てられた誰かの亡骸がはじけ飛んできたのだろう、再度遥が奇声を上げる。
耳をつんざくような悲鳴に少女の手が止まったその時、散々に細くなったロープの切れ目は修也の腕力で千切れ、弾けた。
長い間背に回されていた両手は少し痛んだが、まずは両手が自由になったおかげで少しは気が楽になる。ケララの方を振り変えり、「ナイフを貸して。みんなの縄も解かなきゃ」と促したその時――。
――急に戸口が轟音を鳴らし、蹴破られた。
「こんな所にも隠れてたのかよォ……。ストライダー共がッ……」
血まみれの黒騎士が、仁王立ちで呟いた。口元を血まみれにして、出血の止まらない右の脇の下を握りつぶすように抑えた、メッテルニヒーの騎士・ニールス。そのおどろおどろしい姿に修也は硬直し、拘束に動けない大和とノブは死を覚悟して生唾を呑む。そして遥は今日一番の、つんざくような悲鳴を上げた。
ニールスは、小屋の中でギュウギュウ詰めになっている五人の男女を見てニタリと笑うと、一番手前にいた翡翠色の目の少女を乱暴に引っ張ると、その首を鷲掴みにして持ち上げる。
「メッテルニヒーの騎士を、コケにしやがって。ぶっ殺してやる!」
乱暴に振り上げられたケララが悲鳴を上げるのを、修也は為すすべなく見守る事しかできない。恐怖で指一本動かないのだ。
まず彼女が殺されて、おそらく次は、自分の番だ。考えただけで吐きそうだった。
――逃げろ。と、脳裏に理性の声が響く。
もう縄は解かれているんだ。黒騎士がケララや、未だ縛られたままの大和達三人に気を取られているうちに逃げれば、助かるかもしれない。
早く逃げないと、と、恐怖に凍りついた四肢に必死に命令し、たちあがろうとした直後――――少女の悲鳴の中から聞こえた言葉が、後ろ向きな意中から修也を引き戻した。
「助けてッ! シューヤ、助けてぇッ!」
今にも泣きそうな、ケララの声が耳朶を打った。血まみれの悪鬼に持ち上げられて、まるで真っ白なシーツみたく揺れている白金色の髪の毛。白くて細い体躯は、人形みたいな小さな顔が付いている――この世界で一番初めに彼と出会い、導いた少女の姿だった。
それが今、目の前で殺されようとしている。
今逃げれば、自分は助かる。なのに彼は、さっき約束したばかりだった――ケララの事も必ず守る、と。修也が今何かしようがしまいが、それは守れそうにない約束だ。だけどこのまま、何もしないままケララが死ぬのを見送れば、仮に生き残ったとしても、きっと後悔する。
――馬鹿なこと考えるな。逃げろ――そうもう一度訴えかける理性とは真逆の、癇癪にも似た感情が腹の底から湧いてきて、修也は絶叫した。
「うおおおおっ!」
一息に、湧き上がる衝動を吐き出す。
気迫の叫びに引き摺られるように、全身の制御が戻る。修也は立ち上がると、その勢いのまま目の前の黒騎士に体当たりを噛ました。
「アッ、なんだコイツッ――ッ!」
既に死に態だった黒騎士はそのタックルで大袈裟に吹っ飛び、拘束から解かれたケララは投げ出されて尻もちをつく。
「修也!」
「――ッシ、シューヤぁっ!」
――大和と、少し遅れてケララが呼ぶ声が、遠くに聞こえた。
ニールスを突き飛ばした修也は、図らずも戦場の真ん中に転がりこむ形になった。身に纏う制服が血と泥でベトベトになり、修也はその不快感に震えたが、そんな彼に怒気を飛ばす騎士がいる。
「こ、小僧ーッ!」
よたよたと起き上がったニールスが怒りの呻きを上げて剣を手に取ると、修也目がけて一直線に飛びかかってきた。
「ウ、うわぁーッ!」
絶叫に、風を引き裂く剣閃の鳴りが重なる。
間の抜けた叫びを上げながらもその斬撃を躱すことが出来たのは、完全に『偶然』のおかげだった。だらしなく尻もちをついた修也は慌てて辺りを見回す。
ストライダーの戦士なら、この黒騎士と戦ってくれるはず。それだけが希望だった。
ニールス、退け、と叫ぶ馬上の男――あれは黒騎士カイゼル・フリード、味方じゃない。地面に転がってうわ言みたいなのをぶつぶつつぶやいているのは、修也を捕まえた門番の男の片割れだ――彼は両足が潰れていて、もう動けない。
どこだ、どこにいる? 今自分を助けてくれそうな者――そうだ、ニルギリーは、この集落の長はどこか。あの男なら、ケララを護ろうとして戦ってくれるはずだ。
必死になって辺りを見回すが、あるのは動かない死体ばかりだった。どうすればいい、とパニックになる修也の背中に、黒騎士の殺気が振り下ろされる。
「シィィィッ!」
咄嗟に反応したが、それは修也の学生服を掠めて、その背中を裂いた。再度派手に倒れ込んだ修也は何故か立ち上がれず地べたを這い――そんな彼を黒騎士ニールスは不敵に笑い、緩い足取りで追ってくる。
もうだめだ、今度こそ殺される。
赤黒い泥に塗れて這い回った修也は、背後で黒騎士が剣を振り上げるのが分かって、泣きたくなった。それが自分の脳天に落ちれば、本当の本当に終わりだ。せっかく助けたケララも、すぐにアイツに殺されてしまう。
(嫌だ……嫌だ、嫌だ嫌だッ!)
それは自分が死ぬことか、それとも友人や、異世界の少女が殺される事か――。何が嫌なのか自分でもわからなかった。彼は地べたに伏した低い視線の中で、どうにかしてこの状況を打開できるものを探した。
――血を吸ってぬかるんだ汚土。――動かなくなった人の亡骸。そして――その近くに転がる、血濡れの長剣――ッ。
それが目に付いた時、反射的に手を伸ばしていた。
修也がそれを手に取って上体を起こしたその時、ニールスの振り被った斬撃もまた振り下ろされようとしていた。
「シィイネェェ!」
「うおわぁぁーッ!」
――絶叫の交錯。そして右手に、人の肉体を刺し貫く鈍い感触が伝わった。
彼の怒声に合わせて叫んだ修也が拾った長剣を突きだすと、それは黒騎士の喉を貫いてうなじから飛び出していた。
「ゴッ………ヴォッ!」
くぐもった声を上げたニールスは剣を落として数歩後退ると、やがて喉元から真っ赤なしぶきを上げて倒れ込む。
修也は自分が何をしたのか理解できず、呆然と右手に持った剣を眺めた。その切っ先から滴る血は未だ生温く、ついさっきまで体内を流動していたであろう新鮮な赤みを帯びていた。
――殺した。自分が、人を殺した。
理不尽に死んでいく人達に疑問を呈していた自分が、人の命を奪って生き残った。すべてを理解した修也は剣を放り投げると、訳の分からない恐怖に絶叫した。
「ニールス!」
這いまわる丸腰のストライダーを追い回していた友人の騎士が果てたのを見て、カイゼル・フリードは思わず叫んだ。辺りを見ると既に動ける敵は殆んどいないが、こちらの軍勢も『大足』を含め半数が殺され、また騎士団の指揮官であるニールス卿の死に動揺が広がっているのが見て取れた。
カイゼルの目の前には、血濡れの姿で仁王立ちするストライダーの長がいる。
彼を仕留めたいのはやまやまだったが、自分の部下でない騎士団を指揮してこれ以上戦っても、あの男を討つことはできないだろう。そう判断して、
「退けッ! ここはもういい!」
カイゼルの叫びに、生き残った騎士達が振り返る。さらに一言、「いけっ……退却するぞ」と促すと、騎士達は手綱を振るって馬達を掛けさせた。 全体に退却の意思が浸透したのを確認すると、カイゼルも剣を納めて力強く手綱を振るう。疾走を始める馬上でカイゼルは振り返ると、ニールスの亡骸の傍でへたり込んだ少年に怪訝な顔を浮かべた。
カラスの羽みたいに真っ黒な髪の毛と、黒い瞳。それは彼の知る三種族の特徴とは一致しないが、不思議な既視感がある。
(あの少年……ストライダーではないのか?)
疑念が浮かぶが、今は確かめる余地はない。いずれはこのストライダー達とカタを付けなければならない以上、その時までに確かめておけばいい。そう割り切って、黒騎士のフリード卿は夜の森に躍り出た。
「行ったか……」
走り去る騎士の生き残り達の背中をニルギリーは見送った。これほど大掛かりな奇襲をした上での退却だから、さすがにさらなる伏兵がいる、ということはないだろう。
「隊長!」
叫んだ戦士が一人寄ってくるのに気づいて、振り返る。オーエン・コースター、武芸においてはニルギリーに次ぐ、信頼できるストライダーの仲間だ。亡骸の海と成り果てた集落を見回して神妙な面持ちを見せるオーエンに、「生き残った者を集めろ。十人といないだろうがな」とだけ伝えたニルギリーは、彼の返事を待たずに背を向ける。
向かう先には、一人の黒騎士の亡骸を呆然と眺め、固まっている少年がいた。
少年――菰口修也は腰が抜けてしまったかのように血泡を吹いた黒騎士を見つめて、動かない。ニルギリーはそんな彼をちらと見た後死体の前に屈み込み、その顔を確認する。
「ニールス・ケプナー。この、『ストラドの森』の領主だ。ここしばらく俺たちを嗅ぎまわっていた」
そう呟くと修也に視線を戻し、「お前が殺ったのか?」と問いかけるが、彼は相変わらず呆けたままで、答えない。苛立ったニルギリは少年に掴みかかろうとしたが、
「シューヤは、私を助けてくれたの……それで、その人を……」
そう言って代わりに答えたのは、物陰からおずおずと出てきたケララだった。その後ろには――彼女が束縛を解いたのだろう――大和とノブ、遥の姿も見える。三人とも周囲の凄惨な光景と、血と泥に塗れて変わり果てた修也の姿に青ざめている。
少しの合間考えた後、修也に向き直ったニルギリーは、
「メッテルニヒーの手下に、メッテルニヒーの騎士は殺せない。お前達が、少なくとも我らに危害を加えない者だということは、証明されたな」
危害を加えられるほどの力も無いか、と付け加え、へたり込んだ修也を見て笑った。そんなニルギリーの小脇を抜けて、呆然自失の修也の腕を引っ掴んだ大和は、彼を無理やりに立たせた後ストライダーの長を睨みつける。
「なら、もういいでしょう。俺たちは行きます」
大和に引っ張られるままに立ち上がった修也は、覇気なき瞳で辺りを見回す。戦士達の墓場へと変わり果てた集落は、むせ返るような死臭が漂っていた。そして、そこに転がる一つ――ニールス・ケプナーとかいう騎士を殺したのは、自分だ。右手には未だに彼の喉を貫く感触が残っている。こんな世界に来なければ、あんな感触を味わうことなんてなかったのに。この世界にさえ来なければ、こんな過ちを犯さずに済んだのに。
そう思った時、立ち尽くすケララと目が合った。大和に引っ張られるまま揺れている修也を、不安げに見つめている。溺れていた修也を助けたすぐ後、初めましての挨拶を交わした時は笑っていたのに、思えばそれ以降の彼女はずっと困った顔をしているように思える。
これほどの惨状を前にしていればそれは仕方ないのかもしれないが、自分が消えない罪を犯してまで守った少女が、今にも泣きそうな顔で見つめているのは気分がいい物じゃなかった。どうにかして笑ってほしいと思った。
それを伝えようと、大和の手を振り払おうとした時、
「丸腰で、どこへ行くつもりだ? 仲間を探すか? 当てもないまま、がむしゃらに」
ニルギリーのしゃがれた声が大和を刺す。
ムッとして振り返った大和は「仲間がいるんです。この狂った世界に。早く見つけて、皆で帰る」と、彼に言葉を突き返すと、そのまま村を出ようと背を向けた。そして直後、無理やりに引っ張られて、頬に衝撃をねじ込まれる。
ニルギリーの拳を受けて、大和は吹っ飛んでいた。
突然の出来事に悲鳴も出せずに横転した彼に引っ張られて、修也も勢いよく倒れ込んだ。二人の名前を呼んで駆け寄った遥とノブに抱き起こされた修也は、「自分の身も守れないようでは、長生きできん。仲間とやらを見つけても、一緒に死ねるだけだ」と唸ったニルギリーを見上げた。
ニルギリーの腹心・オーエン・コースターが、生き残っていたストライダーの戦士達を連れてニルギリーの元に集う。その人数は十人にも満たない物だった。皆どこかしら負傷し、また突然の激戦を乗り切った疲れで、やつれている。
「ケプナーの仇を取るために、カイゼル・フリードの騎士団はまた来る。『止まり木』に斥候を出して、動きを探れ」
そう宣言した後、少し小さめの声で「この集落はもう終わりだ」と付け足したニルギリーはクルと背を向けて自らの館に戻った。彼の脇腹からとめどなく流れる鮮血の量をその場で気に留めた者は、誰も居なかった。