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ドリムナノグの詩  作者: 西住 聖
第一章:ドリムナノグ
3/108

1.始まり

 

 教室に射し込む斜陽が、妙に眩しく思えた。


 瞼を細め、黒板の上に掛けられた時計を見ると、午後四時五分過ぎ。新年度が始まって一月、気温も心地いいぐらいに落ち着いて、放課後の寄り道もしやすくなるだろう――そう思った矢先の掃除当番だ。割り振られた仕事が床の乾拭きと机の移動、というのも相まって、菰口修也(こもぐちしゅうや)の気だるさは頂点に達しようとしている。


「修也、働けよ。何一人で黄昏てんのさ」


 そう言って肩を叩いたのは、同じく掃除当番の山田大和(やまだやまと)だった。

「早く帰りたいだろ、みんなで済ませよう」

 と、言葉を付け足して誤魔化そうとしているが、サボっている修也への非難の意図は確定的で、相変わらずの堅物だ、と思わずにはいられない。

「やるよ。やるけど、慌てる事じゃないだろ。どうせ廊下に出てる連中が済まないと終われないんだし、こっちも自分のペースでやればいいって」

 修也は教室の出口を親指で指す。

 大和がそちらにちらと目線を動かしたのと同時に、廊下から姦しい笑い声が響いた。教室前の廊下掃除を任せられている女子達の物で、談笑に耽っているのだろう。彼女らに大和の言うような真面目さ――『早く済ませる』気が無いのは明らかだった。

 眉間に皺を刻んだ大和は、決まり悪そうにそっぽを向いて愚痴を漏らす。


「文句があるなら注意して来いよ。あいつらがそうだからって、お前がサボっていい理由にはならないだろ」

「別にそう言うんじゃなくてさ。みんなと同じノリでやればいい、ってだけ」


 新年度が始まって早々の掃除当番だから、みんなやる気がないのはしょうがない話だ。さっと教室内を見渡しても、真面目に取り組んでいると太鼓判を押して言えるようなヤツはいない。(ほうき)を持った二人の男子生徒――坂本と佐藤は、クラスメイトの早坂を突いて笑い合っているし、黒板掃除をしているはずの富谷はどこに行ったのやら、見当たらない。

 修也と大和は、一年生からの縁がある。今年は二年生への進級に伴いクラス替えをしたから、この掃除当番のメンツも見慣れない者が多い。生真面目な大和が気安く注意を促せるのは修也だけだから言ってきたのだろうが、彼に従い張り切って、結果皆の足並みを乱すような真似はしたくなかった。


「お前なぁ――」

 修也の言い分に納得できていないのだろう、大和は尚も抗議しようとしたが、


「大和ー。ゴミ捨てお願いー」


 と、廊下から掛けられた声がそれを制す。

 廊下にいる女子の中では二人の唯一の顔見知りである、増岡真澄(ますおかますみ)。ゴミの乗った塵取りを片手に、戸口から顔を覗かせていた。

「……ああ、今いく」

 内心はまだ修也の怠惰を追及したかったのだろう、渋々呼びかけに応じた大和に、真澄は無垢な笑みを浮かべる。

 二人は付き合っているらしい、と小耳に挟んだことがあるが、肩幅があって長身の大和に対して、色白で単身、加えて少し肉付きの良い真澄だ。見事なまでの凸と凹で、二人で並んだ後ろ姿だけ見れば兄と妹と言っても通じる。

 堅物とおっとりで、意気は会っているのかもしれないな、と結論を導いた修也に、

「サンクス。お陰で俺も堂々とサボれる」

 と声を掛けたのは、どこから現れたのか、さっきまでいなかった黒板掃除の富谷だった。


「えーと、富――」

「ああ。俺は利府斗(りふと)富谷利府斗(とみやりふと)。山田君、真面目そうだからさ。黙ってサボるのは良心が痛んでしょうがなかったんだ」

 修也が反応するより先に、富谷は自己紹介の挨拶を続ける。眺めの前髪で隠れているが、彫り深く端正な作りの顔立ち。急に話しかけてきた利府斗に、なんだこのイケメン、と修也は気持ち後ずさりながら、

「いや、サボらないって。みんなのペースでやるだけ」

 そう正して、学習机を動かそうと手を掛ける。

 持ち主が置き勉しているのだろう、想像より重い机に内心で悪態を突きながらも、作り笑顔を向ける修也。

 そんな彼を笑いながら、利府斗は「んじゃあ、俺も」と別の机に手を伸ばす。

「黒板掃除は?」

「いらんだろ。どうせ明日、また汚れる」

「……まぁ、確かに。そうだけど」

 その言い分に(……変わったヤツだな)と感じながらも、これがきっかけで大和以外に話せる相手ができるなら、と修也は思い直す。

 クラス替えをして一か月が過ぎたが、どうにも面識のない人間に話しかけるという度胸が起こらない。特にこの掃除当番のメンツには、アクがあり過ぎて身構えてしまっていた所だ。


 大和以外の男子――坂本信幸(さかもとのぶゆき)佐藤卓也(さとうたくや)。いかにもチャラチャラ遊んでいるという風貌で顔つきも悪いこの二人は、どうやら前のクラスから一緒だったらしく、掃除の時間もずっとつるんでいる。偏見を持つ気はないが、あえてお友達になりたいとは思わない部類の人間だ。

 次いで、彼らと共にいる早坂海介(はやさかかいすけ)は正反対のもやし少年だが、無理やりに仲間に加えられているのだろう、いいように弄られている有様で、下手に声を掛ける気には慣れなかった。

 ――そして、この富谷利府斗。

 軽薄な信幸や卓也達に比べ、利府斗は接しやすいタイプの人間に見えた。運動部的な粗暴さも文化部的な日陰っぽさもない、文武両道の好青年に見える。


 修也の思慮を余所に、ニッと白い歯を見せた利府斗が続けた。

「ホント、ツイてないよな。新学期早々一月目の当番が、俺たちなんて」

「確かに。しかも堅物の大和に、あの班長だろ。やり辛いよ」

 利府斗の駄弁にそう相槌を打つと、修也も笑う。

 自堕落で無気力な風を装っている彼は、大和の真面目さに堅苦しさを覚える、修也の性分に近い。彼も親近感を覚えたから話かけて来たのだろう、仲良くなれそうだ、と直感した修也は気を浮つかせる。

 気分の高揚に身体がつられたのか、次に手に掛けた机はやけに軽く感じた。直前に運んでいたのが重かったせいか――過度に力んで臨んだ修也は、素っ気ない机の軽さに勢いを余してよろめいてしまう。

 上に載っていた椅子が大袈裟な音を立てて転がり、中に入っていたノートだの教科書が続けざまに床に撒かれる。反射的に「アッ」と息を呑んだ時にはどうしようもなく、響き渡った音に室内のすべての目が修也に集まっていた。


「やっべ……」


 注目の目に赤面しながら慌てて屈み込み、散らばった物を拾い集めようとする。直後、丁度ゴミ箱を手にした大和が帰って来て、この惨事に気づいたらしい、

「何やってんだよ、お前」

 と、呆れ顔を向けた。

「悪い、やっちまった」

「まったく。……誰の机だ? これ」

 寄ってきて拾うのを手伝おうとした大和は、そう言って首を傾げる。

「わかんねぇ」

 応じた修也が机の方を振り返るが、荷物はなかった。中に入っていた物もごくわずかで、数冊のノートと教科書、それに鉛筆、消しゴムの入ったペンケースだけ。やけに軽いと感じたのは気のせいではなかったらしい。

 ペンケースのデザインは味気ないものだが、薄紅色の装いから、何となく女子の持ちものだというのは分かった。そして、床に転がった教科書は『理科総合A』――一年生の頃使う物で、二年生に進級した修也たちには縁の無い科目である。

「そう言えばこの机、いつも空席だった気が……」

 日頃教室の風景を眺めると、不自然に空いていた席があったな――そう思い出した修也がポツリと呟いた。すると、事態を見守っていた富谷利府斗が、

「ああ、それたぶん、深山の席だ」

 と、大和が手にした理科総合の教科書を取って、裏表紙を指す。


 裏表紙の隅に、『1のA 深山美咲』と、女子が書く細い線の字が並んでいた。


「ほら、深山美咲(みやまみさき)。去年クラス一緒だったからさ、俺」

「みやまみさき? そんな子、いたか?」

 大和が眉間を潜める。おそらくその『深山美咲』と言う生徒の顔が、思い出せないのだろう。

 修也も同じだった。おそらく二年に進級してから――つまりはこのクラスになってから、深山という生徒は一度も顔を見せていない。

「深山、入院してるんだよ。一年の終わりくらいからさ。なんでも原因は分からないけど、ずっと寝たきりになってるんだとさ」

 そう付け足した利府斗はしゃがみ込んで深山のノート、ペンケースを拾い集めると、

「なんていうの? ちょっと根暗な感じだったから、話したことも無いけど、わりとかわいい顔してた」

 一纏めにしたそれを修也に差し出しながら、冗談めかして言う。

「そいつはいい。今度お見舞いにでも行くか」

 クルと背を向け仕事に戻る利府斗に、修也もジョークのつもりでそう返した。


 あまり興味がなかった。利府斗の美醜の判断はどれほどの信憑性を持つのか分からないが、根が暗そうで、しかも長期欠席している女子というのは『近寄りがたいクセモノ』に思え、食指が動かない。

 そんな感想を隅に置き、差し出された物を受け取った修也。片づけようとすると、ノートに挟み込まれていたのだろう何枚かのルーズリーフが落ちて、「おっと」と慌てて受け止める。


(……なんだこれ)


 きれいに折り畳まれたそれには、赤のボールペンで何やら図形のような物が描かれている、というのが見て取れた。

 女子の持ち物、という響きに興味が出たというのもある。持ち主は欠席していて、本人に咎められる心配もないという安心感もあり――修也は何気なく、それを広げようとした。


「――ちょっと、男子ッ!」


 開こうとした直後、甲高い声が耳朶を打った。

 男子、と言うのが自分のことだと思って慌てた修也は、とっさにそのルーズリーフをポケットにねじ込む。恐る恐る振り変えると、廊下の掃除に赴いていた女子達が教室に戻ってきていたらしい。増岡真澄と、他に二人――確か、藤堂遥(とうどうはるか)一ノ瀬恵璃(いちのせえり)だ。

「もうこっちは終わってるんだけど。しっかりしてよぉ。みんなで協力すればすぐに終わるんだから。早く帰りたいんでしょ?」

 妙に起伏のあるイントネーションで、藤堂遥が言う。

 彼女はこの掃除の班の班長だったが、正直な話、修也はあまり彼女の事が好きではなかった。艶のある黒の長髪はよく手入れされているから、後ろ姿なら絶世の美人にも見えるが、その実体――正面から見ると、色白で糸目の淡泊な顔の作りに、赤黒いニキビが点在する彼女の面相は、やけに意地悪そうに見える。それに加え、見ての通りやたらと仕切りたがる『委員長気質』の持ち主でもあるのだ。

 もう一人、遥の傍にいる一ノ瀬恵璃は小柄で細い体型で、全体的に幼い印象だが、大きめの瞳にきめ細かい肌、茶色っぽい髪も合わせて華やかな雰囲気の少女である。多分クラスの中でもかなりの美少女なのだろうが、いつも不機嫌そうに口を結んでいて、かつあの藤堂遥の傍にいる。その近寄り難いオーラのせいで、修也は何故か彼女にも苦手意識があった。

 キンキンと響いた遥の声に、それまで遊び呆けていた坂本と佐藤、早坂もやむなく掃除に戻る。「ほら、俺たちもやるぞ」と促した大和は、手早く深山美咲の持ち物を机に入れて立ち上がった。

(自分達だって、廊下にいた時は散々に話し込んでただろうに)

 修也は内心で遥に文句を付けたが、あのキンキン声を当てられたら一たまりもない。愚痴を口中で分解し、無言のまま仕事に戻った。


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